2020年8月23日日曜日

修行物

子供のころ、ジャッキーチェンが大ブームとなり、
頻繁にテレビでもジャッキー映画が放送されていた。

たいていジャッキー映画を見た後は
何だか修行したくなり、翌朝早起きして、
公園で砂を入れた袋を引っ張ってみたり、木にキックしたりしたものだ。
友達に見つかって苦笑い、
翌日以降はやめてしまうのが常でしたが。

中でも好きだったのが
なんとか拳の類。例えば酔拳、蛇拳、笑拳とか。
それらの作品は修行シーンが一つの見せ場になっていて、
子供心をわしづかみにされるのだ。


子供心と言いましたが、いまでも修行シーンは大好き。
映画を見ていて、良質な(?)修行シーンに出合うと、
それだけで評価がぐっと上がってしまう。

さて、そんな修行物ですが、
映画だけでなく、小説、文学の世界にもあったりする。
今回はそんな修行物をいくつかご紹介させていただきます。
(以降、敬称略)


まずはこちら。
「宮本武蔵」 吉川英治

修行物の代表格かと思います。
私ももう何度も読んでいます。

武蔵が村の乱暴者から剣豪へ成長し、
巌流島の決戦にいたるまでが描かれています。
剣に賭ける武蔵の純真さは感動的ですらある。

極真空手の大山倍達を題材にした漫画「空手バカ一代」の中で、
若き大山が同書に出合い、空手一筋に生きることを決心したとして描かれています。
この漫画は、今ではフィクションであることが定説になっていますが、
それでも暗闇の中で背筋を伸ばして同書を読む大山倍達を描くコマには、
何か崇高な雰囲気が宿っている。

また、後述する柔道家木村政彦も試合が近づくと士気を高めるために、
同書を読んだと言われています。

これらエピソードからも修行物の金字塔と言えるように思います。


次はこちら。上述の木村政彦にまつわる話。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 増田俊也
  
昭和の巌流島決戦での力道山によるブック破りを軸に、
柔道家 木村政彦の生涯を描くノンフィクション作品。

15年無敗、「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」と言われる
最強の柔道家にして格闘家 木村政彦

戦前の修業時代がすさまじい。
3倍努力という言葉で知られる通り、
他人の3倍は修行を重ね、睡眠は3時間程度、
夢の中ですら柔道をやっていたという。

修行、強さにかける木村の気迫を見ていると、
自分も何かをしなくてはいけない気持ちになってくる。

戦中、戦後からは食べるために生きる木村が描かれ、
「修行物」からは少し離れてくるが、
それはそれですごく面白い。
戦後の興行史や格闘技史が
緻密な情報収集を元にすごく丁寧に描かれている。

戦争で人生の歯車が大きく崩れ、
上述の力道山戦で栄光を奪われる。
以降、苦しみぬいて生きる木村の姿は本当に切ない。
最後に奥さんと散歩中にかわす言葉に涙が止まらなくなる。

扇情的なタイトルで、少し下品な印象を持ってしまうが、
中身はすごく骨太です。

 次はこちら。
「日本の弓術」 オイゲンヘリゲル
戦前、ドイツの哲学者である著者が
日本に赴任した5年間に日本の「道」「術」に触れるべく、
弓術を修行する様子が描かれる。

「術」はスポーツとは異なり、論理的に説明できるようなものではない。
あくまでも稽古、鍛錬の末に体感、会得されていく。

例えば、弓を絞る際、
普通に考えると、背筋、腕力で絞り上げるものと考えてしまうが、
そうではなく、力は使わないとのこと。
実際に弓を引き絞った先生の腕を触れると筋肉は全然張っていないという。

また、暗闇で放った2射が1本目は的中央に、
          2本目は1本目を割く形で射抜かれる。                                   

自分が的と一つになったとき、自然と弦から指が離れ、
矢が的に刺さるのだという。
中島敦の「名人伝」にでも出てきそうな話だ。

そんな不可思議な術に対し、
西洋の哲学者ならでは、
なんとか論理的に解決、会得をしようと苦しむ著者。

だが、徐々に論理を離れ、神髄に近づいていく。
西洋的思考から東洋的思考へ。
いわゆるトレーニング的な修行というよりも、
思考の変更が修行であり、
そこに苦心するドイツ人著者と日本人師匠の心のふれあいも素晴らしい。

 次も「術」にまつわる本
「鉄山に訊け」 黒田鉄山 
「日本の弓術」での人間離れした術に、
これは過去の名人の話であり、
なんなら、すこしは脚色が入っているのかも、
なんていう思いも少しあったのですが、
ある時、YOUTUBEで黒田鉄山氏の演武を見て、
「術」は現代にも残っていることを知りました。
そこで、気になって買ってみたのがこの本。

柔術、剣術についての指南書のような雰囲気もあるため、
それらにまったく縁のない自分にはよくわからない部分も多いのですが、
人間業と思えないような術理が
型一筋に何年も打ち込んできた結果に得られてきたということ、
そこに何かがあるはずだと一途に進んできた信念に心を打たれます。

何かを会得するためには、
ある種の信仰のようなものが必要だと考えています。
そんな思いを改めて抱かされます。

完全に門外漢なのですが、
買ってみてよかったと思えた本です。

ただ、このカバーデザインは何とかならないものか・・・
もっと重厚な方が良いように思うのだが・・・

最後は小説です。
「抗夫」  夏目漱石 

抗夫とは鉱山作業員のことで、
暗い穴の中でひたすらに鉱石を掘り続ける仕事。
それは体力的にも、環境的にも苦しく、死と隣り合わせだ。

良家に育ちながら、
自棄の末、誘われるままに抗夫になることを決めた主人公の青年が、
鉱山への山越えの道、抗夫体験を経ながら、
半ば意地になって抗夫にならんとする話。

「獰猛」と表現される抗夫達の中で、
貧しい食事を食べ、南京虫に苦しめられて夜は布団で寝ることもままならない。
そんな世界の中でも、誇りと知性に輝く抗夫もいる。
それらを読んでいると、自分なりに今までに体験した苦労を思い、
その中で自分はどうあったかを反省させられる。

今まで上げてきた剣や柔術、弓術といった修行とは大きく違うが、
志はともかく、過去に味わったことの無い苦労の連続を重ねながら
少しづつ抗夫に近づいていく様には、
何か刺激されるものがあります。


以上、5冊を挙げさせていただきました。
他にも芸術での修行物、宗教での修行物などもあります。
その辺はまたの機会に紹介させていただきます。
また、冒頭にジャッキー映画を挙げましたが、
映画にもたくさんの修行物があったりします。
こちらもいずれ紹介させていただくかもしれません。

やっぱり修行物はいいです。
心が引き締まります。