2020年3月29日日曜日


4月も近いのに今朝は突然の雪。
昨日は裏山に見えていた桜も、
白で埋もれて見えなくなってしまった。

昨夜は結構な雨で、夜中に起きると
川の音が激しくて少し怖かった。

でも両方とも事前に知ってた。
雨も雪も天気予報通りだ。

天気予報の無かった時代だったら
昨夜から今朝の天気に、人々は何を思うだろう。
天変地異と考えたのか。
お天道さんのことなので考えてもしょうがない、と考えたのか。

先日の記事で昨今の状況を踏まえて、無常について書いたが、
きっと昔は今よりも「無常」にあふれていて、身近だったのだろう。
今は天気予報で事前にわかる情報も
昔は無常であり、都度対応を迫られる事件だ。

昨今の状況は相変わらず、まさしく無常で、
一寸先は闇といったかんじだ。
世界が今まで味わったことのない状況に陥っている。

その中で何をすべきかを考えてしまい、
その考えにつかれたりもする。

道元禅師は「無常を知ることで、吾我を離れる」とおっしゃっている。
世の中、昨日までの状況、基準は今日にでも変わるかもしれない。
その中でエゴは意味を持たない。
そんな意味合いととらえている。

無常な世の中だからこそ、
大切なのは助け合いであったり、愛かと思う。

きれいごとではありますが、
ここ最近のニュースや政治、SNSを見ていると特にそう思わされる。

無常を痛感させられる今だからこそ、
見えてくるものもあるんじゃなかろうか。

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こんな状況ですが、ライブ告知です。

こんなこと言うとメンバーや共演者様に怒られそうですが、
告知であっても「ぜひ来てください」ではありません。
音楽を準備しますので、
それぞれお考えの上、行動なさっていただければと思います。

あくまでもそのための情報提示です。

なんか、言葉が硬くなっちゃって嫌ですが。

ABNORMALSはまずは4月12日(日)
渋谷CLUB ASIA




 その後は5月16日(土)
新宿FATE



NILOMETERもライブです。


4月18日(土)
阿佐ヶ谷天



ご検討どうぞ。


2020年3月22日日曜日

ライブやります。



NILOMETER presents
"SUNRAIN BLACKOUT"

4月18日(土)
阿佐ヶ谷天

NILOMETER
山際英樹

19:00  open
19:30 start
2000円+1d


企画まで1か月を切りました。
時世を鑑みますと、あと1か月で状況が変わるとも考えにくく、
いろいろと思うところもありますが、
予定通り実施させていただきます。

音楽性、お集りいただくであろうお客様のタイプを考えましても、
世間的に懸念されているような
いわゆる密集した環境で大声を上げる、
といった状態になるとは思えませんが、
転換時の換気実施などは行うつもりです。

さて、2回目となる今回の企画ですが、
共演は山際英樹さんです。

氏は割礼、血と雫でも活動なさるギタリストでして、
ソロでも2枚のアルバムをご発表なさっています。

初めてその演奏を拝見したのは
池袋での血と雫のライブでした。
バンドとしてのすごさはもちろんですが、
山際さんの演奏に驚き、帰路、妻と一緒に
「あのギターさんすごかったね。」などと話し合ったのを覚えています。

その後、割礼のライブも拝見させていただき、
今ではすっかりファンとなり、定期的にライブを見させていただいています。

氏の演奏を見ていていつも感心してしまうのが
その落ち着きと安定です。
決して簡単ではないフレーズやアルペジオ、
さらには急遽突っ込んだと思われるような即興演奏にも、
見ている側に不安を感じさせない。「力み」がないのだ。

さらには、変なことを言いますが、ミスがあっても安定しているのです。
なんというか、泰然としていると言いますか、
ミスも含めて山際さんとしてハラハラせずに見ていられるのです。
こういう方にはあまりお会いしたことはありません。

実は過去に11でプライベートセッションをしていただいたことがある。
勉強させていただきたくて無理言ってお願いした。
あっという間の2時間、終わったときは汗びっしょりでした。
主に緊張の汗。

セッションの際、山際さんに言われて印象的だったのが
「斉藤君は音が多いね」との言葉。
マイナス思考の私は、空間を生かせない自分に悔しいものを感じたのですが、
その後、いろいろと経験や試行錯誤を重ね、
今ではそれを自分の個性と考え、NILOMETERでは、
いかに美しく音を敷きつめるかを考えている。

そんな山際さんと、いよいよソロでの共演となります。
楽しみやら緊張やら。

コロナウィルスの状況は不透明なままで、
残念ながら、完全な対策というものはありえません。
ライブであろうとなんだろうと、感染のリスクはございます。
あとはお客様のご判断に任せるしかなく、
演者側はご満足いただけるものを提示できるように準備を行うに尽きます。
ご覧になればきっと何かを感じていただけるような一夜を目指します。

そんなわけで、今日も練習です。

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諸々事情があり、すこし変化があるかもしれませんが、
ABNORMALSもライブやります。

4月、5月に各一本。


私は音楽を作り、演奏します。
ABNORMALSでもNILOMETERでも。
これは当たり前のことで、誰かに止められてもやるのです。
勝手と言われても、場所がなくてもやるのです。










2020年3月20日金曜日

私的UMA伝説


UMAってご存じでしょうか。
Unidentified Mysterious Animalの略で
未確認生物のことを指します。
有名なところだとネッシーや雪男、ツチノコなどが挙げられる。

私は子供のころからこのUMAが好きで、
子供だましレベルからある程度学術的なものまで、
そこそこの数の資料本を収集している。

UMAというとやはりうさんくさい印象がぬぐえないかと思うが、
世界で見つかっている動物のいくつかには
昔はUMAと扱われていたものもいる。
例えば、コビトカバ、オカピ、アマゾンイルカなんかがそうで、
原住民の言葉や偶然撮られた写真に対して
「そんな動物がいるわけがない」と思われていた動物が実際に存在した例だ。
一概に非科学的とは言えないものなのだ。

と、擁護してみたものの、私が惹かれるのは
実はそのインチキ臭さも含めてだったりする。

サスカッチ(雪男)にデビルマンのような羽の生えたバッツカッチとか、
放射線をまき散らしながら夜空を舞う人面大蝙蝠ジーナフォイロとか、
瞬間移動を行う、通称「エイリアンビッグキャット」モギーとか。

突っ込みどころが多すぎて、ありえないと思っていながらも、
想像図や目撃談、ピンボケの写真、
それらをまじめに研究する姿勢も含めて
心踊らされてしまうのだ。


そんな私のUMA愛なのですが、
ここ数年、WEBの進歩とともにだいぶ鎮火してしまっている。
動画サイトの流行や、写真加工技術の向上により。
昔よりも高精度、鮮明な情報が簡単に得られるようになるとともに
気持ちが離れてしまったのだ。

情報が簡単に探せるようになったのはありがたくもありますが、
きっと私がUMAに求めていたのは
自分の中の伝説のようなものであり、
あいまいかつ少ない情報だからこそ
自分の中で補填し、想像を広げる。
その作業が好きだったのか思う。
だからこそ、しょーもないムック本なんかが
自分にとっては貴重な学術文献だったりするのだ。

WEBの進歩によって、インチキは暴かれ、
逆に高精度なインチキが流布していくことで
私が楽しんでいた伝説創生環境が崩れてしまったのだ。

情報量の増加は
UMAだけでなく、いろんな世界で伝説の生まれる隙を破壊してしまう。

音楽でもそうだ。
例えば昔は口づてに聞かされた
ライブでの事件や武闘派の先輩の武勇伝などなど。
それらは若干美化されたり、盛られた状態で心にとどまっている。

今では、事件の翌日には目撃者による動画がSNSに流れ、
それを見た不特定多数が拡散する。
それは伝説までは熟成されず、
安全地帯からの不特定多数のコメントとともに
少し騒がれうっすらと記憶に残りながら消えていく。
それはわくわくと共に口伝され続けるようなものではなくなっている。


プロレスラーの内藤哲也選手が常套句的に使う言葉がある。
彼は今後の自身の動きについて
少しだけ情報を開示したり、態度を示し、
プロレスファンをやきもきさせた上で、
「こうやっていろいろと想像しながら過ごすことが
プロレスファンにとって一番楽しい時間」と言う。
実際その通りで我々ファンは今後の展開を気にしながら、
次の興行シリーズが開催されるのを待つことになる。

情報は少し足らないくらいがいいのかもしれない。
自分で補うこと、想像することで自分なりの事実が整理、確保される。
それによって、その人が作り上げられていくことすらあるように思う。
個々の得た情報量に応じて、
出来事はそれぞれにとって固有の事件、伝説になっていく。

情報が多すぎると事件は均一化され、
想像の余地が失われてゆく。
それじゃ面白くない。
伝説は暴かれないほうが美しく、魅力的なのだ。

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さて告知です。

いろいろと気になることが多い時世ですが、
ABNORMALSは2本決まってます。

4月はこちら



何かとお世話になっている名ベーシスト タクロー君のイベント。

そして5月はこちら


EVIL UNDER THE SUNの企画。
なかなかタイミングが合わず、ご一緒できなかったのですが、
とうとう参加させていただけます。

アルバムの出るFLOATERSも楽しみ。

3月のライブは急遽キャンセルにて
お客様、関係者様にご迷惑をおかけいたしましてすみませんでした。
こちらの2本のライブはしっかりと参加、演奏させていただきます。

改めまして、よろしくお願いします。



そして既報となりますが、こちら↓もぜひぜひお願いします。





2020年3月15日日曜日

読書随想


本が好きでよく読む。

同じく読書好きという方を紹介されて、話をする機会があるが、
「読書」という言葉はあまりにも多岐にわたってしまうので、
残念ながらあまり話が弾まなかったりする。

デルタブルース好きもゴアグラインド好きも音楽好きだが、
なかなかかみ合わないだろう。
それと同じだ。いや、違うか。

先日、読書家である某バンドのベースさんとお話したのですが、
氏がお好きなのはシュールリアルとのことで、
残念ながらまったくもって門外漢の私とはあまり話が弾まなかった。
(一応、その後ブルトンを読み直したが、やっぱりぴんと来ない・・・)
そんな私は哲学、古典文学、近代小説、漢詩などが好きだ。


近代(明治~昭和初期)の小説を読んでいると、
今の言葉の漢字もしくは当て字が出てきて興味深い。

例えば何かに合点がいったとき「どうりで」というが、
「道理で」と書かれていてなるほどと思わされる。

ほかにも
「歩行た」→「あるいた」
「濃やか」→「こまやか」
「人の間」→「ひとのよ」
などなど、並べてしまうとあまりインパクトはないが、
文中でこの漢字が出てくると、一瞬「?」となり、
読み方に気づいたときにハッとするとともに情緒すら感じる。

なかには
「可成り」→「かなり」
「成る可く」→「なるべく」
といった具合に、違う言葉でも漢字から追うと
近似の意味を持って使われていたのではないかと想像させる言葉もあったりする。

以前の記事で自然という言葉の語源に触れたが、
同様に自由という言葉も英語のFREEDOMLIBERTYを訳すにあたり、
仏教語の「自由」を当てたのがはじまりだという。

もともとの「自由」は「自ずからを由とする」、
すべては自分に理由があるといった意味合いだ。
FREEDOMLIBERTYには「解放」のニュアンスがあるが、
元々の自由にはそれは無い。
どちらかというと「責任」を感じさせる言葉だ。
翻訳とその流布とともに言葉が別の意味になったり、
別の意味が付与されていくのだ。


言葉は伝達、思考の手段であり、
誰もが言葉で感覚、心を翻訳しながら生きている。
頭の中には随時言葉があふれかえっている。
人から言葉を奪い去ったとき、どんな風にものを考えるのだろう。

想像もつかないくらい言葉というのは重要な道具だ。
でも、言葉の意味は確たるものではない。
時とともに揺れ動き、人によってもとらえ方は一律ではない。


そんなことを思いながら電車に乗っていて、
ふと「情報」という文字が目についた。
この熟語も「情を知らせる」というのが語源だったりするのかなとか思い、
無機質な言葉に情緒を感じる。

そこで、ちょっと語源を調べてみた。
すると、「敵情を報知する」という言葉が語源とのこと。

なんだよ、全然想像と違う。
まったく粋じゃない。





2020年3月10日火曜日

レギュラーチューニングの重み


いままでいくつかのバンドをやってきましたが、
思えばレギュラーチューニングで演奏するバンドを
経験したことがない。

楽器をやられない方のために
ギター、ベースのチューニングについて軽く説明しますと、
通常のチューニングはレギュラーチューニングと呼ばれ、
一番低音の弦(ギターで6弦、ベースは4弦)をE音に合わせる。
これを落としてチューニングすることを
落とす量に合わせて○音下げチューニングと呼びます。

チューニングを下げることで音の立ち上がりは失われるものの、
低音由来の迫力が得られるため、
90年代頭辺りからラウドな音楽性のバンドに
積極的に導入されていった。

PANTERAHELMETDチューニング(1音下げ)、
CATHEDRALCROWBARBチューニング(2音半下げ)などは
私の世代だとエポックメイキングなチューニングであり、
代表的な例かと思います。

上記の通り、チューニングを下げると迫力が増す。
これはライブだと結構顕著に表れる。
低周波の音は肺の中の空気にも響き、揺らすそうだ。
それにより、リスナーは聴いている音以上の迫力を感じる。
ちょっと極端な例だと、BORISのライブでは
低音+高音圧で体、さらには会場が物理的に揺らされる。
個人的にはこれを演奏に盛り込んだのは
BORISの大発明だと思っている。

昔、彼らのサウンドチェックを手伝ったとき、
「チューニングどうしますか?」と聞くと
Dで合わせて」と言われ、
意外と下げないんだな、なんて思ったら
さらに1オクターブ下のDだったことがある。
まさかの7音下げ。

そこまで落とすとどんな太い弦を使っても
張りがユルユルになってしまい、
楽器を下に向けて弾かないと音にならない。
演奏が成立するぎりぎりのレベルだ。
曲によってはそんな極端な導入もしているのだ。
恐るべし、というか狂ってるというか・・・


さて、冒頭に書いた通り、
過去の自身のバンド歴でもレギュラーチューニングは経験がない。
ABNORMALSが音域的には一番高いが、
それでも半音下げ。
低いところだとBucket-Tele-phantでは
2音半下げになっていた。
その経験が長いことから自分にとって一番親しみが深く、
NILOMETERも2音半下げでやってきた。

ただ、最近いろいろ試す中で、
いまさらながらレギュラーチューニングの面白さを感じている。
やはり音の立ち上がりが良く、ハーモニーがきれいに得られるのだ。

重い音楽を愛好してきたこともあり、
物足りなさを感じないでもないが、
音をたくさん重ねるNILOMETERの音楽には理想的。

ギターやベースがEチューニングになった歴史、理由は知らないのだが、
やはりそこにはそれなりの理由があるということなのかもしれない。

また、一概に重い音楽に適さないというわけでもない。
要は音作りと曲作り次第だったりする。

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レギュラーチューニングでも重さを感じる曲を少しあげてみる。

まずはこちら。

MELVINS  “Joan of Arc



うーん重い。
音作りよりも曲と雰囲気による部分が大きいのかな。
大好きな曲です。
メジャー時期のMELVINSにはレギュラーチューニングでも重い曲が多い。

さすがMELVINS
弘法はチューニングを選ばず。


次はこちら

SAINT VITUS “CHILDREN OF DOOM


これも大好きな曲。
一般的にいうと「こもった音」「よくない音」かと思いますが、
この音とルーズな演奏が重さを生んでいる。
SAINT VITUSの曲は概して音域以上の重く、だるく感じる。
このバンドにしか出せない雰囲気だと思う。


お次はメタル大御所。

METALLICA “HARVESTER OF SORROW



曲もさることながら、
音作り(レコーディング技術も含む)によるところが大きいかな。
ミキシング、マスタリングでの音圧戦争の走りかも。
このアルバム、ベースが聞こえないことでも有名。
ベースが無くても音作りとプロダクション次第で
重さが演出できる例。


以降は半音下げ。
まずは半音しか下げていないとは思えない重さの例です。

LOUDNESS “FIRESTORM”


この曲のイントロ、キーチェンジ前は
半音下げの恩恵を使わずにキーはF#
なのにしっかりと重い。
先ほどのMETALLICAとは違い、
ベースをしっかり聞かせることで重さを出している印象。
すごくタイトな演奏。
タイジ、本当にうまい。
このころ20代でアナログレコーディングだったことを思うと、めまいがする。
私はこの曲がいまだに完全に弾きこなせない。

マサキのねっとりしたボーカルも重さに寄与している。
歌詞も意味不明で最高だ。
「滅びゆく地球に隙間風吹く」て。


最後は手前みそですが。

ABNORMALS “イニシエバイオレント”



私が加入する前の楽曲です。
重いというより、不思議と軽く聞こえない例。

キーはベースで36フレット(半音下げでD)となり、
一番低いオクターブの中で一番高い音にあたる。
(わかりにくい表現ですみません。)

こういう場合、普通は曲のキーを半音上げて
最低音であるD#に合わせるところなんですが、
歌を基準に曲を作る、アブならではの選択。
加入後、音を取ってみて驚かされた曲です。


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レギュラーチューニングの奥深さを感じている今日この頃、
制約を感じないでもないのですが、
制約の中でこそ出てくる面白さというものもあると思ってます。

コロナの影響で引きこもりがちということもあり、
いろいろ試してます。





2020年3月7日土曜日

即興への挑戦


先週末は阿佐ヶ谷にてNILOMETERのライブでした。
遅ればせながら、ご覧いただいた皆様、
ありがとうございました。

この日は即興演奏の面白さを世に広げるべく、
演奏家インタビューやライブレビューなどを
フリーペーパー形式で定期的に刊行なさるなど、
積極的な活動をなさっているドラマー中嶋一郎さんの企画。

共演は
Celibattere+柴田美和+北田めい
(ドラム+ダンス+ペインティングによる即興パフォーマンス)
marioノブナガ本田ユニット
(ボーカル、ギター、ドラムの即興演奏)
Procede
(ベース+ドラムの即興多めのロックバンド)
とかなり濃いいメンツ

イベントタイトルに”improvisation”とあることもあり、
私も通常の楽曲のほか、5分程度と短いながら、
即興演奏に挑戦させていただいた。

即興といっても、ルーパーで音を重ねていくという、
他の楽曲と同じスタイルでの演奏。

即興で赴くままに音を重ね合わせていくというのが
面白いのではないかと考えて挑戦したのだが、
・・・心にモヤモヤしたものを残す結果になった。

自分の引き出しから、その時の気持ちや流れに合わせて演奏を心がけるのだが、
どうしても手癖が出てしまう。
いや、手癖どころか以前に自分で作ったリフ、フレーズの残骸を引っ張り出してしまう。

また、曲の構築を思いながら音を選んでしまう自分がいる。
自由であろうとするのだが、
まとまりや着地点を意識してしまうのだ。
そして、どんどん即興演奏から離れていってしまう。

そんな自分から強引に離れようとし、
無理してアウトフレーズを入れようとするが、
それは意図した乖離であり、
やはり即興と呼べるものではない。

結果、「即興演奏」ではなく、
「曲作りのデモンストレーション公開」のようなものになってしまった。

これはこれで楽しんでいただけるものが演奏できたようにも思うが、
自分の考えるところの即興ではない。
まったくもって狙いとは異なる。

即興演奏について考えるとき、
灰野敬二さんの「なぞらない」という言葉を思う。
それを達成しようとするが、どうしても難しい。
以前書いた、無心や純粋経験の世界かと思う。

チャンスオペレーションやプリペアードピアノなど、
即興の世界には「偶然」を用いる演奏方法が多い。
「なぞらない」ことは簡単ではない。
それは「偶然」を使わなくては達成できないのかもしれない。

いや、他所のことはどうでもいい。
少なくとも、自分には出来ないということだ。
ああ悔しい。
もっと精進し、納得いく演奏ができるようになるまで即興は封印します。


演者として
ライブの出来栄えに触れるような記事はよくないと自覚しています。
  当日、ライブをご覧になった方で
この記事を読んで気分を害するような方がいらっしゃいましたらごめんなさい。
自戒をこめて書かせていただきました。


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お詫び

ABNORMALS出演予定だった、
今週末38日渋谷GAMEでの
OXYMORPHONN pre. "BLOOC MARKET vol.3"ですが、
出演を辞退させていただくこととなりました。

すでに各種SNSでも告知させていただいております通り、
メンバーの健康上の理由から、
コロナウィルスの影響を最大限考慮する必要があり、
勝手ながら辞退とさせていただいた次第です。

楽しみになさっていた皆様には本当にごめんなさい。

また、直前の決定となり、企画者様、GAME関係者様にも
多大なご迷惑をおかけすることとなり、本当に申し訳ございません。
なにとぞ、ご理解いただけますようお願いいたします。

なお、イベントは検温、消毒などを強化の上、
予定通り実施となります。

楽しいイベントになるはずです。