2022年12月31日土曜日

大晦日

 

大晦日ですね。

 11月以降、休日というと

新居のリフォーム作業に明け暮れてきましたが、

昨日今日は買い物や軽い掃除などをするほかは

楽器を弾いたり、模型をいじったりと、

のんびりした休日を過ごしています。

 

 

今年を振り返ってみますと、

自分にとって一番の大きい事件は、

家を買ったことですね。

 

購入が事件というよりも、

都会から離れた山の中での生活を決断したことが事件といったかんじです。

 

できるだけ自然と近い環境で暮らすというのは

昔から夢想していたことで、このブログのごく初期の記事でも、

そんな生活への憧憬を書いたりしてます。

まさか本当に移住することになるとは。


リフォームの方もいよいよ落ち着いてきており、

年明け早々に本格的に引っ越すことになります。 

最寄り駅から車で50分、一番近いコンビニまで30分・・・

果たしてどんな生活になるやら。


いまでも不安と期待が入り混じっていて、

たまにとんでもないことをしちゃったかのような

漠然とした不安にとらわれることも有りますが、

まぁ、なるようにしかなりませんし、

楽しんでいきたいと思います。

 

 

音楽面での事件と言いますと、

井野信義さんの演奏との出会いです。


夏ころに初めてライブを見させていただいて以降、

今年は3回拝見させていただきました。


音楽とは、演奏とは、ライブとは、ベースとは、作曲とは、成功とは・・・

本当にいろんなことを考えさせられるライブを体験できたことは

自分にとってとてつもなく大きな収穫でした。

来年もライブに足を運ばせていただきたく思っています。

 

 


先述のとおり、来年早々から自然の中に引っ込むことになりますが、

だからといって表現活動を停滞させるつもりはありません。

むしろ加速していくことになると思います。

一般的な「活動の加速」とは違う形になるかもしれませんが。

 

キーワードとして考えているのは「けものみち」です。

 

この言葉、妻が買ってきた農耕雑誌(?)の中で書かれていた表現でして、

情報が氾濫する世の中で、それらを積極吸収していくのではなく、

自分の踏みしめた道での情報を重視する、といった考え方を例えた言葉です。

 

過剰な情報社会の中で、周りばかりを見るのではなく、

自分のけものみちを凝視し、考えながら、

じっくりと進んでいきたいと考えています。


そのためには不要な情報は遮断するようなことも必要だと思います。

今の世の中、情報遮断は時代遅れにつながるかのようで

ともすると、悪いことのように扱われますが、

あふれかえる情報ノイズのなかで

 ノイズにまみれ、ノイズに追われ、気が付くと自分が見えなくなっていく。

そんな生き方が幸せとは思えませんし、

そこから「自分なりのもの」は生まれてこないのではないかと思います。


時代遅れ上等。

自分の中の時代に合っていればそれでいいです。

 


さて、今年もあと8時間。

今年もお世話になりました。

皆様、よいお年をお迎えくださいませ。

 

 

  

 

2022年12月15日木曜日

DEATH ”SYMBOLIC”

 

その後もリフォーム作業中です。

 

先週末、ようやくガスも開通し、風呂が使えるようにもなったので、

寝袋を持ち込んで、一泊してみました。

 

ここのところ、朝晩は結構冷え込みますが、

高尾に住んでいたころにマイナス5度なども経験していたので、

大丈夫だろうと高をくくっていました。

ですが、家具無し、エアコン無し、カーテン等も無しの

ガランとした部屋で寝袋だけではかなり寒く、

結局ほとんど眠れず。

 

吾妻ひでおさんの「失踪日記」という漫画で、

ご自身の失踪時エピソードとして、

山の中で野宿して寒さのあまりに、

ようやく眠りについても寒さに凍える夢を見た、

というのがありましたが、まさしく同じ体験をしました。

山の寒さ、古民家の寒さをなめてましたね・・・

 

 

さて、前置きが長くなりましたが、

久々の愛聴盤紹介です。

 

記念すべき10回目の今回はDEATHの「SYMBOLIC」です。

 


私などがわざわざ紹介するのもおこがましいくらい有名な名盤。

このブログでは有名すぎるものは避けていく方針なのですが、

ここのところ毎日聴いていまして、

間違いなく「愛聴盤」ですので取り上げさせていただきます。

 

DEATH6枚目のアルバム。

発表は1995年。

 

最初にこのアルバムを聴いたのは大学生のころかな。

正直、あまりピンとこなかったのですが、

たまに取り出して聴いたりしているうちに好きになり、

今でも聴き続けているスルメ盤です。

 

DEATHはリーダーのチャックシュルディナーの死去による完全解体まで、

アルバムごとに成長を続けてきたバンドで、

黎明デスメタル~プログレとアルバムごとで性格が変わっていきますが、

いずれもしっかり軸が通っていて、

「今、チャックがやりたいこと」がぎっしり詰まっている。

そんな真摯、まじめさ、一本気、鍛錬が伝わってくる。

 

売れそうなこと、派手なことにちょこちょこ手を染めて

音楽性が変わるバンドとはわけが違う。

それゆえか、聴く側にしっかりと向き合う気持ちを抱かせる。

こういう音楽でありながら正座系ってそうそうありません。

DEATHのすごみであり、魅力だと思う。

※正座系・・・聴くときに正座したくなる重みのあるアルバム

 

このアルバムでは前作「INDIVISUAL THOUGHT PATTERNS」での抒情性導入を

さらに進めた印象があります。

抒情性といっても、いたずらに泣きを入れたり、壮大にしたりとかではない。

あくまでもチャック流、DEATH流であり、

だれにもまねできない独自のやり方。

 

特に7曲目「CRYSTAL MOUNTAIN」のサビリフは涙が出るくらいに綺麗です。

半音進行、ディミニッシュ、吐き捨てボーカルといった不穏要素が基本にありながら、

なんでそれらを組み合わせてこんなにきれいな音世界が作れるのか。

チャックの天才を思い知ります。

 

音楽の世界には早逝の天才がたくさんいます。

ジミヘン、ジムモリスン、アルバートアイラー、

マークボラン、コルトレーン、イアンカーティス、

クリフバートン、ジャコパス、スコットラファロ・・・

チャックや彼らがもしも生きていたらどこまで行ったんだろう。

 

DEATHの複雑で美しい曲を聴いていると、

そんな考えても仕方のないことを考えてしまいます。

 

チャックの命日は1213日だそうです。

少し過ぎちゃいましたが、合掌させていただきます。