2021年1月11日月曜日

正月雑記

 

正月を開け、また緊急事態宣言が発令となった。

 

事態を配慮し、決定していた2月6日の下記イベントは延期となりました。




残念ですが、仕方ない。

企画者のユリアキ君もさぞかし無念かと思う。

お互い腐らずに続けていくしかないね。

 

コロナが風邪の一種であれ何であれ、

罹患した際に治療、療養が必要であり、

二次感染の可能性も高い以上、

病床の確保は絶対に必要であろう。

 

病床が不足してる中、今以上に感染を広げるべきではなく、

自分なりにその努力、意識はしていかなくてはならない。

 

過度の自粛だとして問題意識を持つ人もいるとは思いますが、

まずは、上記の問題に落ち着きを取り戻してから議論すべきであり、

強いて問題視するなら、

上記懸念を放置してきた政治に対して向けるべきではないかと思う。

 

 

さて、そういう状態でしたので、

今年の正月は実家に行くでもなく、

自宅で過ごしました。

 

若いころは正月と言えば、夜更かししてテレビを見て、酒を飲み、

自身と妻の実家に挨拶に行き、初詣。

そんな過ごし方でしたが、

今はテレビも持ってないし、酒もあまり飲まない。

その上実家にもいかないとなると、ほぼ通常の休日と同じ状態でした。

 

「居心地の悪い椅子」というエッセイ集で

福田恒存が正月の楽しみは「してもらうことにある」と表現していました。

曰く、正月はごちそうなど準備してもらって

受け手として楽しむものであるとのことだ。

 

毎年の実家へのあいさつを若干なりとも面倒に思うこともあったが、

それがなくなって、いっきに正月感が失われてしまった気がする。

実家で「子供」に戻るというのは

大人になってからは少なくなった「してもらう」機会であり、

正月感に寄与していたのかもしれない。

 


慣習、さらには宗教的にいっても、

正月は心を切り替える、入れ替える場面なのかと思うが、

あまりその実感を持てないまま、気が付くと11日になってしまった。

 

だが、案外これでいいのかもしれない。

正月と言っても普通の日々と同じ一日。

逆に言えば、普段の一日も大事な一日であり、

記念すべき一日であり得る。

いつだって「今日から頑張るぞ!」でいいのではないかと思う。

 

そんなわけで今日も充実した一日にすべく過ごします。

曲でも作ろうかな。

 

 

2021年1月2日土曜日

あけましておめでとうございます。

 

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

 

昨年初、抱負というか、

標語みたいなものを考えました。

それは「ゆずる、笑う、動く」というものでして、

何とも年寄り臭くもありますが、

昨年中、この言葉を都度思い出しながら過ごしてまいりました。

 

今年もそんな標語のようなものを考えてみました。

それは「しょいこまない」という言葉です。

 

私は自分で作ったルールに囚われてしまう癖がある。

例えば読みにくい本を読んでいるとき、

「つまらない」といってやめることができない。

手に取ったのだから読破しなければいけないという変なルール意識によって、

やめりゃいいのに最後まで読み続ける。

どんなに面白くなかったり、意味がわからなくても。

 

結果、「読む」というのではなく「文字を追う」という行為に変わっていく。

それはそれで無意味とは思わないが、

有意義な時間とも言い難い。


この例に限らず、

勝手に自分をしばって、変なものを勝手にしょいこむ癖を無くしたい。

軽く、緩い気持ちで過ごしていきたいための、

「しょいこまない」という言葉だ。

 

 

我が家の周りに、数匹の野良猫が住んでいる。 

彼らは当たり前のように我が家の庭をうろうろしたり、

日当たりがいいところを見つけて昼寝したりする。

実にのどかで自由だ。

 

もちろんその生活はのどかなものばかりではないだろう。

食、住の不安定な野良生活であり、言うならば死と隣り合わせだ。

だが彼らは気にしない。

のんびりと思うままに生きている。

そこにはしょいこんだ自分ルールは無く、

そもそもルール=自分という状態だ。

 

野良猫のように生きれるものでもないが、

何か感化されてきた。

そして「しょいこまない」と思い至った次第。

 

 

波乱の2020年を終え、

今年はどんな年になるのでしょう。

まぁ、どんなことになるとしても、

無常を受け入れながら、

変に意固地にならず、身軽に楽しんで生きていきたいものです。