2019年7月13日土曜日

ワウを買った話し。そして失敗した話し。

 

ワウペダルを買った話し。

というか、買って失敗した話し。
そして教訓。
 

昔からワウペダルが好きで、いろんな機種を試してきた。


好きなスタイルとしては
いわゆるファンク的にリズミカルに踏むのではなく、
SAINT VITUSのデイブチャンドラーのように
1つのリフの中でトーンを変えたり
京都の伝説のバンド有 (U.)の横田さんのように
そこにディレイを絡めるスタイル。
なので、できるだけ可変幅の大きいワウペダルが望ましい。


ここ数年愛用しているのは
TECH21のKILLER WAILというもの
 
 


どうやらブラジルのONERRというメーカーとのOEM製品らしい。
クライベイビー風の基本モードのほか、上下に音域をずらしたモードの
合計3種モードが選べて、各モードの可変幅も広い。
 

だが、このワウ、すごく重い。
見た目はBOSSのプラ製ボリュームペダルFV50のようなのですが、
その設計をパクって鉄に置き換えているらしく、
見た目からは想像できない重さ。
 

屈強なブラジル人には問題ないのかもしれないが、
日本人としては少しでも軽いほうが望ましい。
 

そんなわけで軽いワウペダルを常々探しているのだが、
初心に帰ってIBANEZWH10 V2を試してみたくなり、購入。
 
 
 
・・・が、残念ながら好みに合わず、
購入後1回試して元に戻す結果に。


買う前は、仮に音痩せがあっても前段でトーン調整すればいいや、とか
仮に可変幅が足りなくても軽くなるならば致し方なしかな、とか
前向きな考えでいるのですが、
実際使ってみると、「重くてもKILLER WAILの方が良い」と簡単に撤回。
重さに耐えられるように体を鍛えなきゃなとか考えるくらいの方向転換。
そして常套文句「買ってみないとわからないからね。」


 
往々にして買い物ってこうなる気がする。
買うときはその対象がすごく優れているように思える。
というか、「買う」後押しのために
良いところをピックアップして、自己暗示をかけるのかも。


 
だが、今使っている機材群はそれ相応に
自分の好みっていうフィルターを潜り抜けてきたわけで、
そう簡単に代替は見つからないのだ。

教訓です。

 

たぶんすぐ同じ過ちを繰り返しますが。
 
 
 
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さて告知させていただきます。
 
まずNILOMETER
 
7月31日 阿佐ヶ谷 天
”インストイズム#1”
 
19:00 open
19:30  start
 
w/solresolla、空間猫
 
先日もご一緒させていただいた空間猫とまたご一緒。
緊張感のあるインプロ、今回も楽しみです。
 
そしてABNORMALSも急遽ライブが入りました。
 
 
 
久々に九狼吽と共演。
こちらもたのしみです。
 



2019年6月29日土曜日

最近よく見る動画の話し

 
最近、YOUTUBEで以下の動画チャンネルをよく見る。
 
 
 
インドに暮らす日本人YOUTUBERさんで、
インドの食堂、屋台の料理風景を主にUPしている。
 
その調理風景は日本人の感覚からすると、
乱暴、がさつ、不衛生。
でも出来上がるものは実においしそうだ。
 
 
料理と並んで興味深いのはインドの風景、雰囲気。
人々はカメラを向けると笑ってポーズをとったり、
仲間で肩を組んだりとなんともフレンドリー。
 
街には野良犬、野良猫、さらには野良牛もいる。
道路の真ん中で犬が寝てても誰も気にしない。
当たり前によけて歩く。
 
道路は車線無視の大渋滞でクラクションが常に鳴り響く。
でも、それを普通のこととして捉えているように見える。
日本のようにあおり運転や揉め事は無さそう。
 
なんというか全体的におおらかなのだ。
貧乏で汚い街の風景に生活の熱気と楽しさがあふれている。
そんな風景を見ているとこっちも穏やかになり、
細かいことを気にしなくなってくる。
 
 
 
3月に発表された国民幸福度によると、
150カ国ほどの中で日本は58位らしい。
そもそも幸福度を数値化して並べるという行為自体に違和感を感じるが、
一応、国民総幸福量という一定の基準で並べた結果だそうだ。
 
治安がよく、街がきれいで、国民は勤勉、そしてだいぶ落ちたとはいえ裕福、
そんな日本のイメージからすると、順位は低い印象を受けるが、
その要因は「寛大さ」だそうだ。
要するに日本は寛大さに欠けるということらしい。
 
寛大さに欠けるということは、ある意味ルール、マナーに厳格であることでもあり、
一概に悪いこととは思わない。
儒教教育の歴史の長さからすれば当然の結果のようにも思う。
 
ただ、インドの風景を見ていると
「おおらか」「寛大」の美徳を強く感じるのだ。
あれはあれですばらしい。
要するにバランスが大切なのだろう。
 
ちなみに先述の国民幸福度でいうと
インドは140位・・・
うーん、幸福ってなんなんだろ。
 
ダンテは地獄を描くに当たっては現実世界から
いろいろな事例(戦争、飢餓、病苦、拷問・・・)を参考にできたが、
天国を描くには具体的な事例を探すのに苦労したという。
 
幸福というのは客観的な答えがあるわけではない。
自分自身が決めることだ。
 
その観点に立つと、少なくとも「国民総幸福量」とかいうのは
あまり意味を成さなそうだ。
それぞれが決めればいいことだ。
 
 
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さて告知です。
 
ぼちぼち7月。
来月はABNORMALSはライブなし。
NILOMETER1本です。
 
731
阿佐ヶ谷 天
 
詳細未定
 
ホームになりつつある阿佐ヶ谷 天でのライブ。
 
新曲作成中です。
 
よろしければ是非。
 
 
 

2019年6月10日月曜日

ABNORMALSワンマン



先週末は渋谷RUBYROOMにてABNORMALSライブ。
お越しいただいた皆様、ありがとうございました。
 
ゲストライブとしてMEANINGにも出演いただきましたが、
ワンマンと銘打ってのライブ。
 
ありがたいことにチケットはソールドアウト。
会場キャパを考えると、少し窮屈なくらいの御客様にご来場いただく。
御客様の怪我などの不安を感じていましたが、
そういったことも無く、いい雰囲気のままライブを終えることが出来ました。
 
かれこれ25年ほど音楽活動していますが、
ワンマンというのは初。
221時間半という長さも初のことです。
 
そんな「初」を楽しくすごさせていただき、
御客様、MEANING、RUBYROOM
関係者の皆様、そしてメンバーに大感謝です。
 
 
演奏に当たり、常に心がけているのが
「意識をもって臨み、無意識で演奏する」というもの。
 
一人きりであるNILOMETERは比較的この境地に近づきやすいのですが、
バンドであり、エンターテイメント色もあるABNORMALSではなかなかこれが難しい。
でも今回は少し出来た気がしました。
長丁場で朦朧としてただけかもしれませんが・・・
 
 
そして、ワンマンライブに味を占めた我々ABNORMALS
近いうちにまたワンマンの計画なんかも検討中です。
 
次回は2時間かな。
 
 
  
 
 
 
さて、告知です。
 
今週もNILOMETERライブがございます。
 
613日(木)
東高円寺二万電圧
 
NILOMETER
Ashigaru
バルバロア
W/N
 
Open:19:00 start:19:30
ADV 1500yen DOOR 2000yen +1d
 
NILOMETER2番手。20時頃からの演奏です。
よろしくお願いします!

 
 

2019年5月29日水曜日

ランプの宿

 
先週末、新潟県の「駒の湯山荘」という温泉宿に行ってきた。
同宿は大湯温泉郷を超えてさらに山奥にある
wifiや携帯電話はおろか、水道も無く、
電気も自家発電での最低限供給という秘湯の宿。
 
温泉の噴出量はすさまじく、毎分2000リットル。
噴水のように湧き出ています。
水道もこの温泉を利用し、食事もこの温泉水で作られる。
 
自家発電ゆえに電灯は最低限。
その代わりというのでもないが、
夜は各所にオイルランプを灯して明かりにする。
そこから通称「ランプの宿」と呼ばれる。
 
毎年5月、妻の誕生月にあわせて
この宿に訪問する。
今年はライブや妻の展示などもあり、先週末に行ってきた次第。
 
大自然に囲まれる環境。
目の前は初夏の緑。
仰ぎ見ればまだ雪の残る岩山が見え、
渓流と温泉の吹き出る水流の音を通低音にするように、
鳥、カエルの声が響く。
 
息をのむ。
言葉にできない美しさだ。
 
 
誰しもそうかと思いますが、私は自然が大好き。
だが、その中に飛び込んで暮らすというのは
都会に馴染みすぎた自分にはあまりにハードルが高い。
残念ながら踏み出せない。
 
だからこそ、こうしてたまに自然に包まれると
そんな憧憬をつよく意識する。
 
 
確か鈴木大拙さんの本だったと思うが、
もともと自然と言う言葉は今と違う意味の言葉だったそうな。
NATUREという言葉を訳すにあたって、仏教語の自然を充てたのが
いまの「自然」の始まりだという。
 
自然と言う言葉の元の意味は
文字通り「自ずから然る。」
そんな言葉をNATUREに充てるとはすごい詩的感覚だ。
 
「自ずから然る」ことができないからこそ、
自然に憧れてしまうのかもしれない。
 
 
 
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さて、ぼちぼち6月。
ライブ告知です。
 
まず、ABNORMALS
 
 
6月8日 渋谷RUBY ROOM
 
自身加入後初のワンマンライブです。
(といっても強烈なゲストライブがありますが。)
 
 
演奏時間も初の領域。
体力、集中力はもつのだろうか・・・
当日までに高めて行きます。
 
 
NILOMETERは2本
 
6月7日(金)  阿佐ヶ谷 天
w/空間猫,Gumi
 
6月13日(木) 東高円寺2万電圧
w/ashigaru,バルコニア,W/N
 
 
よろしくお願いします!
 
 
 

2019年5月19日日曜日

道のりに胸を張れ

「何かになりたい」とか「何かを成したい」っていうのは
普遍的な希望のように思う。
誰しも、大なり小なりそんな願望を持って生きているだろう。
 
何かを作るとき、
良い作品を作りたいっていうのもそんな願望の一種だろう。
例えば自分も良い曲を作りたいと常々思っている。


禅の考え方に「質問を発するとき、答えは質問者の中にある」というものがある。
例えば「生きる」とは何なのかと問うとき、
質問者はすでに生きており、答えを持っているということになる。


上述の願望にこの考えを当てはめてみる。


例えば「良い曲を作りたい」と思うとき、
すでに「良い曲」の概念、イメージは願望者の中にあるはずである。
逆に言うと、その概念、イメージが無い中での願望は
漠然とした願望、絵空事ということになってしまう。
 
つまり、何かになりたいと思うとき、
その答えは自分にあり、自分から導かれるはずのものなのだろう。
ではどうやって自分の中に答えを育てるか。
それを考えるに当たり、前回書いた森有正の「経験、変貌」を思う。


自分を育てるのは経験だ。
だが経験とは事件の羅列ではなく、
積み重なる日常であり、それこそが経験だ。


ベルクソンは時間を空間的なものではなく、持続するものだと考える。
 
我々は通例的に時間というものを
現在を中心に過去、未来に伸びる線のようなものとして捉え、
時間座標のなかで出来事が積み重なり、
それを時間、歴史と考えてしまう。
だが本来、時間、歴史はそんなものではなく、1つの持続であると考える。


経験というのも年表の上にポイントポイントで置かれていく事件群ではなく、
持続として一個のものだ。
森有正の経験論を私はこのように捉えている。


華々しいことや自慢できるようなこと、自分を揺るがした大事件ばかりではなく
どんなに些細なことでも、つまらないこと、他人に話せるようなことじゃないとしても、
全ては持続であり、経験だ。
それが自分を育て、何かに臨むときの指針を作り出す。


自分の過去や現状を卑下していては指針はゆがんでいく。
簡単なことではないが、今までの道のりに胸を張って生きていくのだ。


小林秀雄は言っている。
「大切なのは目的地ではない、現に歩いているその歩き方である。」


打算や計算づくで歩くのではなく、
歩き方を整える。これに尽きるのだと思う。


歩き続けたその先で、ふと自分がなりたかった何かになっている自分に気付けるのかもしれない。



 

ブログ再開


 
森有正さんが変貌と呼ぶ現象がある。
 
我々は眼に見えない、気に止まらないような体験の積み重ねを繰り返し、
経験を経て、変貌していく。 
 
例えば苗木は数時間、数日見ているなかでは
ほとんど変化を感じない。
 
だが、1年、10年経ったとき、それはすでに木になっており、
巨木に変貌する。
 
経験というのはこういうものであり、
文字を見ただけ、話しを聞いただけでその気になれるようなもの、
わかった気になるようなものは体験であり、経験ではないという。
 
いわゆる技能習得のようなものもそれだろう。
全ては瞬間の体験でつかんだ知識やコツよりも
積み重ねていく目に見えないレベルのものが「経験」であり、
巨木変貌への本質であるように思う。
 
森有正さんの変貌についての言葉の中で、
2ヶ月前に書いたものを読んだときにそれを超えている自分に気付くと書いている。
 
考えやそれを書きとめたものと今の自分が乖離いていくというのは
朝令暮改的なあやふやさ、いい加減さを感じてしまうが、
その間に自分が成熟し、経験全体が変容しているゆえの変貌として
ある種、前向きに捉えている様に感じた。

 
自分のごときものは常に考えが揺れ動く。
そして言葉もその意味も変わっていく。
それがいやで考えを書き留めるのを辞めたのだが
それは経験の変容であり、変貌であり、成熟ともいえるのかもしれない。
 
そんなことを考え、またこんな感じのことを書き始めることにしました。