2026年6月8日月曜日

オーストラリアバスキング日記 2026

 

528日から64日、約半年ぶりに
オーストラリアバスキング旅行に行ってまいりました。

今回から数回、その際の日記など書かせていただきます。

 

 

527日(水)

 

フライトは翌28日の早朝なのですが、

我が家から羽田まで行くには始発でも間に合わない時間。

なので、昨年同様、蒲田に前泊しました。

 

前回は休職期間だったので、

仕事の方は気兼ねなく行けたのですが、

今回は有給を駆使しての渡豪。

仕事の整理でちょっとドタバタし、
出発食前まで仕事用PCを開いたりするも、

何とか片付け、出発。

 

まずはペットのリクガメを爬虫類専門のペットホテルに預け、

その足で蒲田へ向かう。

 

前回、帰り道の電車がかなりしんどかったので、

今回は蒲田近郊まで車で向かう。

運転もまぁしんどいが、大荷物をもっての電車よりはマシ。

ネットで予約しておいた比較的安価な駐車場に停め、

18時頃蒲田のホテル着。

 

明日からは1週間日本食を離れるので、

夕食はうまい日本食を、と思っていましたが、

ちょうどいいお店が見つからず、結局富士そばで晩餐。

 

翌日早いのでできるだけ早めに就寝。

 

 

528日(木)

 

5時起床。6時前に羽田着。

 

仕事で飛行機を使うときもそうですが、

朝の空港はなぜか楽しい。

たいして好きでもないスターバックスのコーヒーもおいしく感じる。

 

出国手続きを済ませ、830分フライト。

 

飛行機は満席といった感じ。

妻と横並びの席が取れたので気楽です。

 

映画を見たり、本を読んだり。

見たいと持っていた「SPRINGSTEEN」が見れてうれしい。

想像以上にいい映画でした。感動で機内で涙目。

 

最近のプレデターも2本ほどあり、見てみましたが

二次創作感の強さに辟易。

特に「プレデターバッドランド」は人間臭いプレデターが嫌で途中脱落。

謎は謎のままにしておいた方がいい。

 

そんなこんなで現地時間20時ころにシドニー国際空港到着。

 

昨年の訪問時も思いましたが、

パスポートのIC化、顔認証などの発達で、

出入国手続きは本当に簡単になりました。

ほぼ英会話無しで行けるのもありがたい。

 

シドニー滞在中の宿は、

前回と同じホテルにしました。

 

どちらかというを古風なホテルで、防音、設備などは

今時のホテルに劣るのですが、その古風な雰囲気、異国感が好きで、

なんとなく、私たちにとっての
シドニーの一部としてイメージが出来てしまっているので、

またここにしました。

 

ホテルの階段。全体的に調度が古風


空港からホテルのあるキングスクロスへ電車を乗り継いで移動。

前回旅行の際にも書きましたが、

キングスクロスという町はどちらかというと治安が良くない地域でして、

駅を降りると酔客、路上喫煙、浮浪者が目立つ。

 

10分ほど歩いて21時、ホテル着。

 

翌朝の朝食などを22時まで営業している近所のスーパーに買い物に行き、

荷ほどきし、バラして持ってきたベースを組み立ててから就寝。

 


前回同様、ベースは小型のバイオリンベースを
バラしてスーツケースに入れて運びました。

比較的寛容と言われるオーストラリアとはいえ、
楽器を飛行機で運ぶとなると、

その目的を問われるのがめんどくさい。

スーツケースに入れてしまえば、特に質問されることもなく運べる。

 

 

529日(金)

 

6時起床 坐禅。

 

前回もお世話になったオーストラリアっ子のソウルフード(らしい)、

安価なパンケーキ「パイクレット」で朝食。

 

オーストラリアは物価が上昇を続けており、

しかも円安が加速し、
前回は1ドル100円くらいだったのに、今回は1ドル120円程度。

「安価な食事」は滞在中のテーマの一つであり続けました。

貧乏くさいとは思いますが、まぁこれも楽しい。

 

そして、朝食後はホテル近所の「ジプシーエスプレッソ」で
フラットホワイト(ラテ)をいただく。

前回、「ジプシーエスプレッソ」にすっかりほれ込み、

今回も同じホテルを選んだ理由の一つでもあったりします。



フラットホワイトは6ドル。

上記のとおり、貧乏旅行なのですが、ここは譲れず、

毎朝、ここのフラットホワイトをいただきました。

 

昼前にシドニー市役所(タウンホール)へバスキングライセンスを取りに行く。

窓口の方の事務英語に苦戦しつつも、

何とかライセンス発行いただき、バスキング準備完了。


 
 

昼食で一息ついてから、

早速バスキング。

 

今回初のバスキングは地下鉄出口の横で実施。

ゴミ箱、灰皿が横にあり、

場所としてはいまいちだったのですが、

それでもシドニーの乾燥した空気の中、

異邦人としてのパフォーマンスがすごく気持ちいい。


 

初日ということもあり、1回で終わりとし、

ホテルへ帰りました。

 

 

530日(土)

 

6時起床、坐禅

 

土曜朝は近所の公園でマルシェが開かれる。

前回の旅行時にたまたま通りかかってその存在を知ったが

大荷物を持っていたので立ち寄ることが出来なかった経緯がある。

そのリベンジというのでもないが、行ってみた。

 

比較的安価な野菜、果物の他、

コーヒー、パン、軽食、雑貨の店が雑然と並ぶ。

何とも異国感あふれるにぎやかな風景が楽しい。


 

クロワッサンとバナナ、ティラミスを購入し、

ホテルに戻って昼食。

 

午後からはまた市役所近くに出向き、バスキング。

 

土曜日の市役所近傍はクリスチャンの宣教活動が大掛かりになされており、

大音量で「主は来れり」みたいな歌詞のロック調音楽が鳴らされる。

讃美歌とかではなく、ロック調なのが面白い。

サビで「ハレルヤーハレルヤ―」とコーラスが入るアメリカンハードロック。

 

また、共産党へのデモ集会を行う中華系オーストラリア人集団などもいて、

宗教、民族性、民主主義の在り方の日本との違いを感じる。

 

それらの大音量を避けながら、場所を探し、

なんとか3セットのパフォーマンスを行う。


 

土曜ということで人通りも多く、

声をかけていただいたり、
サムズアップとともにチップをいただいたり、

胸を叩きながら感極まった表情とともに
チップをいただいたのは本当にうれしかった。

こちらに住む日本人の方からも声をかけていただく。

有意義な一日でした。

 

くたくたでホテルに戻り、

近所のスーパーで買ったレンジアップの
チキンストロガノフ丼(?)をいただく。

細米ですが、米というだけでおいしい。

 

オーストラリア(シドニー、キングスクロス)は朝が早い。

6時ころにはゴミ収集が来て、

6時半にはカフェが、7時にはスーパーがオープンする。

にもかかわらず、結構宵っ張りでもあり、

ホテルの近所の飲み屋
(たいてい店前の歩道スペースにもテーブルを広げている)は

土曜ともなると深夜まで騒がしい。

 

そんな嬌声を聴きながら眠りにつきました。

 

 

 

続く

 


 

 

2026年5月19日火曜日

ルール変更

若いころ、私は喫煙者でした。

そこそこにヘビースモーカーで、

1日に20~30本近いたばこを吸っていました。

 

当時はボーカルをやっていたこともあり、
たばこによる喉のダメージが気になったり、

また、体力が下り坂になっていく年齢といったことも重なり、

そろそろたばこやめようかな・・・なんて思っていたころに

震災が起こった。

 

震災によって国産たばこの供給が止まり、

替わりに外国のたばこを吸ったりしていたのですが、

それを機会にいっそすっぱりやめることにしたのだ。

 

あれから15年。

実は数日前から少しタバコを吸い始めた。

特に明確な理由もなく、なんとなく。

 

長らく吸っていなかったので

購入の際もなんかドキドキして楽しい。

 

そして久々の喫煙。

・・・あまりピンとこない。

まぁ、最初にタバコを吸い始めたころもこんなかんじだったな、

なんて思いながら、1日1本のペースで吸っていると、

だんだんタバコの味に慣れてくる。

いい感じだ。

大げさなことを言うようですが、
ふと「生きてて楽しいな」なんて言葉が口をつく。

 

 

さて、私はコロナ以降、菜食傾向でした。

 

と言っても厳格なベジタリアンとかではなく、

自称「消極的ベジタリアン」。

 

積極的に肉を食べることは無いが、

仕事の付き合いなどで肉が出てきたときは、

わざわざ辞退などせず、おいしくいただく。

でも、自宅では肉料理を食べないといった感じの生活で、

その期間、我が家の台所で肉を調理したことが無い。

 

ですが、ここ半年くらい、

肉を食べている。

 

男性更年期といった年齢になり、

少し肉を食べたほうが調子がいいように思い、

食べ始めた。

若いころのように焼肉屋、BBQで暴食、ということはないが、

普通に食卓に肉が並ぶ日々を過ごしています。

 

 

そんなわけでここのところ、
自分のルール、戒律を崩したりしているわけなのですが、

これが楽しい。なんというか自然な気持ちなのだ。

年初にも書きましたが、
私は自分を自分で決めたルールにはめ込んでしまう傾向がある。

そこからの解放が気持ちを楽にさせる。
 

自分の体であり、心であり、命。

他人や社会、慣習に流されるのではなく、

自分で考え、自分で決めるのであれば、

それがルールだ。

こだわらずに朝礼暮改。

まぁ当たり前のことなんですが、これが意外と難しい。

 

上述の通り、あくまでも体、心の状態次第で今後を考える。

以前、愛煙していたときは肩こりや寝起きの不快感に悩まされた。

今後、そういう状態になるようであれば、

また禁煙するだろう。

自分観察もまた楽しい。

 

ゆるく、なだらかに自分の生き方をいじくっていきます。

 

 

さて、今後の予定でも。

 

来週中旬からまたオーストラリアにバスキング旅行に出かけます。

今回は1週間の滞在。

前回同様、あまり実入りにこだわるつもりはなく、

異国での演奏経験を楽しんでくるつもりですが、

せめて向こうでの食費の足しにできるくらいは稼げるといいな・・・

 

そして6月は秩父でのライブが2本。

 

まずはこちら。

 


 

秩父で廃校を利用して古物店をなさっている

HELLVETICAさんにお誘いいただき、

お祭りのクロージング的な演奏会に参加してきます。

 

廃校で演奏・・こういうの、以前からやってみたかったので、

凄く楽しみです。

 

 

そしてその翌週はこちら


 

ここのところ、音色、周波数による
癒し効果について考える機会が多いのですが、

そんな折にまさかのハンドパン奏者さんとの共演。

会場は以前にも出演させていただいた
お座敷ライブハウス ちどり座さん

こちらもすごく楽しみです。




 

2026年3月27日金曜日

レコーディング日記

 

だいぶ間が開いてしまいました。

 

ここ最近、縦書きノートを購入し、

日々の気づき、日記的なものを書き記しており、

なんというか「文章での発散」がそちらでなされ、

ブログがおろそかになってしまいました。

すみません。

 

 

先週末、名古屋のSTUDIO ZEN

2ndアルバムのレコーディングをしてまいりました。


321、22日 一泊二日の遠征。

今回はその時の日記など書かせていただきます。

 

 

321

 

4時半起床。

坐禅、朝食を済ませ、6時に家を出ます。

我が家からSTUDIO ZENまではナビ上5時間程度。

入り時間は13時なので、かなり早めの出発となりますが、

途中の渋滞なども不安なので余裕を見ての出発。

 

上記の通り、5時間の旅程。

過去の音楽活動でも何度か名古屋に行っていますが、

Bucket-T時代はメンバー3人で交代しながらの運転でしたし、

ABNORMALS時代はスタッフとドラムのマサト君で運転をしてくれたので、

一人っきりで名古屋までのロングドライブは初めてのこととなります。

 

途中、SAで休憩したり食事したりしつつ、

12時ころに無事名古屋到着。

 

私は小学生低学年のころ、父の仕事の都合で名古屋に住んでおりました。

調べてみると、当時住んでいた地域がSTUDIO ZENから
15分程度の位置のようなので、

余った時間を生かして散策してみました。

 

45年ぶりということで全く雰囲気が違う。

当時は田んぼだらけで未舗装の道路、路溝もたくさんあったのですが、

田んぼは消え、振興住宅街になってました。


昔のことなので記憶もあいまいだったりするのですが、

ふとした風景に記憶がよみがえったりしてうれしくなる。

当時から残っている床屋、喫茶店などを見つけ、

感慨にふけりながら、時間をつぶす。

 

そして13時にSTUDIO ZEN入り。

 

エンジニアの岡崎さんとあいさつ。

わざわざ書くまでもないですが、
氏はETERNAL ELYSIUMのギターボーカルであり、リーダーでもあります。


ETERNAL ELYSIUMとは過去に何度か共演しており、
普通に挨拶をする仲だったのですが、

こうしてサシでお会いするのは初めて。

 

レコーディングに向けてのメール打ち合わせなどで、

波長が合いそうな人物であることは認識しており、

実際にお会いすると、すぐに意気投合。

そしてそのまま結構なボリュームで雑談・・・

 

今回の遠征中、頻繁におしゃべりをします。

音楽、機材、活動履歴、理論、
精神面、芸術、演歌、童謡、
ブラックサバス、セイントバイタス、デザートセッション・・・

話題は尽きず滞在中の半分は雑談してたかも。

 

いよいよレコーディング。

録音手法などを都度話し合いながら進めます。

 

STUDIO ZENでのレコーディング経験のある友人たちから聞いていましたが、

岡崎さんは深いバンド経験をお持ちということもあり、

何しろ話が早くて助かります。

 

レコーディングの現場では言語化が難しい事象、要求を
しなければならない場面がありますが、

そういう際にこちらの想いを確実にくみ取ってくれるのは本当に助かる。

 

そんなこんなで13時から22時までレコーディング。

ソロなので休む間がなく、緊張もあるためかなり疲れる。

しかもロングドライブ後ということもあり、途中から腰痛発生。

痛み止めを飲みながらのレコーディング。

 

今回のレコーディングでは9曲録音を予定しており、

初日に録りを済ませ、2日目は編集作業立ち合いという考えでした。

残念ながら、初日ですべて録りきることはできなかったのですが、

8割がたの録音完了。

体も限界なので、初日はここまでとします。

 

宿泊は岡崎さんのご自宅に泊めていただくことに。

氏は農業もなさっており、雰囲気のある昭和家屋にお住まい。

お部屋が多いとのことで、私のように遠征でレコーディングに来た場合は

宿泊していく人が多いらしい。

 

岡崎邸に移動し、食事。

氏の田畑で取れたご飯、野菜などいただく。

岡崎さんも疲れているだろうに、
何かと気遣っていただいて本当にありがたい限り。

 

そして、早く寝ればいいのにその後も雑談。

結局2時に就寝となりました。

 

 

322

 

7時起床。

腰の痛みでうまく起き上がれない・・・

何とか起きて、軽く坐禅。

 

すでに岡崎さんの奥さんは台所仕事をなさっていたので、

ご挨拶をさせていただき、外に出て軽く散歩。

 

岡崎さんの田んぼあぜ道を歩く。

朝の空気が気持ちいい。

 

9時、岡崎さんと一緒に朝食。

昨夜の夕飯同様、岡崎さんの田畑で取れたお米、野菜。

しみいります。

 

今日は関東に帰ることになるので、

通例は13時からの作業となるところ、
少し早めに開始しよう、などと会話するも、

食後はまたおしゃべりに没頭し、気が付いたら13時・・・

 

スタジオに移動し、作業再開。

前日に録り終えなかった曲を録り、

その後は編集作業。

 

編集作業は方向性などを都度お話するくらいで、

基本的にはお任せとなる。

ミキシングブースから聞こえてくる自曲の編集作業を聴きながら、

待たせていただく。

 

途中、岡崎さんの奥さんに持たせていただいた弁当を使う。

自家製の佃煮などのおにぎり。おいしくて一気にいただく。

お気遣い、本当にありがたいです。

 

帰路も当然5時間以上かかる。

翌日は仕事もあるので、あまり遅くまで滞在することもできず、

タイムリミットは午後7時くらい。

そんなわけでおしゃべり少な目で進行。
(といってもちょいちょいお話しましたが・・)

 

とりあえず、仮ミックスまで完了いただき、

持ち帰って、寝かせつつ、今後の動きを検討することにします。

アルバム作成といいましても、明確にリミットがあるわけでもなく、

自主製作なのでその辺はこちらの匙加減一つ。

じっくり進めてまいります。

 

そして午後7時、STUDIO ZENを後にします。


過去に経験してきたバンドでのレコーディングと違い、

ソロなので岡崎さんとマンツーマンの一泊二日。

なんだか別れが名残り惜しい。

後ろ髪をひかれつつも高速に乗り、5時間かけて地元の埼玉名栗へ。

 

往路同様、ちょいちょいSAで休憩などはさみつつ、

零時ころに地元着。

春分を越し、春めいてきたせいか、

鹿に5回、狸に1回遭遇しながら帰宅。

 

片付けもそこそこに

気絶するように眠りにつきました。

 

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前回のアルバムはセルフレコーディングでしたので、

ソロで人に録ってもらうのは今回が初めてとなります。

決して一般的な音楽性ではありませんが、

的確な判断と提案をしていただける
STUDIO ZENのレコーディング、本当に助かりました。

 

途中、話し込んでしまって中断も多く、

滞在中、半分くらいはおしゃべりしていたように思います。

この会話の中でたくさんの刺激をいただくとともに、

多くを勉強させていただきました。

 

その中には今後の自身の音楽進化について
気づきをいただく部分もあり、

数日経った今も、反芻しつつ、模索を続けております。

 

現在模索中にて、まだまとまりきっておらず

ここに書くこともできないのですが、

この進化にて、既存の曲にも変化が出てくることになりそうです。

そうなると、今回録った曲も再録音が必要になってくるかも。


そんなわけで また、近いうちに
名古屋に行くことになるかもしれません・・・

 

 

 

 

 

 

2026年1月9日金曜日

2026年

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

すでに年明けから1週間以上経ってしまっていますが、

2026年最初の記事となりますので、

今年の目標、予定など。

 

 

まず、今年こそ2ndアルバムの発売を目指しております。

 

すでに昨年から構想、デモ作成を重ねており、

デモ配布、BANDCAMP投稿などしていたのですが、

いまいち納得のいく仕上がりが得られず、

とん挫しておりました。

 

私の楽曲はクリーントーンのベースを多層に重ねることで構成していますが、

いくら多層とはいっても、1本のベースのみで構成しているので、

どうしても音域が偏ってしまいます。

 

ライブであれば、音圧や奏法の目新しさも相まって

音域の偏りを気にせずに楽しんでいただけているかと思うのですが、

音源となると、どうしても地味になりがち・・・

 

それを回避すべく、フィールドレコーディングによる環境音の導入や

テープコンプなど研究してきたのですが、

結局納得のいく録音編集方法が見つからずにおりました。

 

そこで、改めてプロの意見、知見に頼るべく、

愛知のSTUDIO ZEN岡崎さんに相談させていただいております。

氏のエンジニアとしてのすばらしさは

九狼吽リキさんやTHE DEAD PAN SPEAKERS長谷川さんからもうかがっており、

その技術の確かさもさることながら、

ETERNAL ELYSIUMでの演奏力、音と活動姿勢、
人間性、耳の確かさを信頼しての相談となりました。

 

すでに昨年末から意見交換を進めており、

何となく作品の方向性が見えてきております。

このまま意見交換を進めさせていただき、

3月には愛知に遠征して録音、夏ころには発売を目指したく思います。

 

なお、アルバムフォーマットはCDで考えています。

レコード、カセットも考えましたが、やっぱり手軽さ重視でCDでいきます。

地元の皆様にも聴いていただきたいので。

 

 

もう一つの予定として、

昨年に続き、2度目のオーストラリアバスキングツアーを考えています。

 

前回は初めての海外遠征ということもあり、手探りが多かったですが、

今年は2回目なので、演奏の高音質化を図るとともに、

妻との「にじいろのめ」としての
音楽演奏+ライブペイントパフォーマンスも

より表現の充実を考えていきたく思っております。

 

 

ほかにもいろいろと妄想、構想していることはあるのですが、

大きな予定としては上記の2点です。

両方ともすでに具体的になってきております。

確実に実現したく思っています。

 

 

あ、

あと、例年のことなのですが、

今年の抱負みたいなものも考えました。

 

今年の私は「課題を持ちすぎない」。

 

性格上、常々、次に何をするか、
いついつまでに○○を終わらせる!といった思考をしがちです。

しまいには自分で設けた課題に追い込まれて勝手に苦しんだりする始末。

 

先々月で50歳になりました。

無理が利かない、どころか無理をするのは
命とりになるような場面も出てきます。

こうした不健康なサイクルは避けるべく。

積極的に「課題を持ちすぎない」ように、身軽に生きてみます。

 

 

そんな五十路スタートの2026年。

皆様、今年もよろしくお願いいたします!

 

 

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さて、告知です。

 

2026年最初のライブはこちら。




 令和8年2月11日(水祝)

17:00開場/17:30開演

MC2,000円+1D(投げ銭)
*フードのみ持ち込みOK

出演(出演順)
篠崎基弘
ヨシイタダユキ
斉藤新
黄金の手

ちどり座さん、初めて出演させていただきます。
座敷がステージという面白い作りで、すごく好みな感じです。

 

フード持ち込みOK、秩父駅からの送迎も相談可と、

緩めな雰囲気が楽しそうです。

 

普段よりちょっと長めに演奏させていただきます。

 

よろしくお願いします。

  

 

  

2025年11月26日水曜日

無題

 

いよいよ今年も残すところひと月ちょっととなり、

年末の色合いが強くなってきた。

 

そんな昨日、喪中はがきが届いた。

差出人は子供のころの友達の奥様。

混乱とともに内容を確認し、友達の死を知りました。

 

悲しいことに小学13年生の頃の親友がなくなってしまった。

 

 

私は父の仕事の都合で引っ越しの多い子供時代を過ごしました。

東京の練馬で生まれ、小学校に入るタイミングで愛知の田舎に移住し、

そのまま3年生の夏休みまで名古屋で過ごしました。

その時の親友が亡くなってしまいました。

私と同い年なので享年49歳。早すぎる。

 

小学生低学年のころの親友というのは

その後の友人と比べて密なものではないでしょうか。

私たちはほぼ毎日一緒に遊んでいました。

学校でも一緒、放課後は
山や森、田んぼで一緒にカエルや虫を追い回して遊んだ。

 

近所に通称“二つ池”という、
直径100mほどの池が隣接している場所があり、

そこによく遊びに行った。

水深が浅く、池というより沼といった感じのどんよりした場所だ。

 

子供というのはおかしなことを考え付くもので、

2人で池を横切って向こう岸まで歩こうとしたことがある。

池の真ん中くらいまで足がついていたが、
だんだんと深くなっていき、ゴム草履を履いた足が泥にとられる。

恐怖とともにあきらめて戻りましたが、
今思えば、命に係わる事故が起きても不思議じゃない。

無茶なことをしたものです。

 

 

3年生のときに東京に引っ越すこととなり、別れることになった。

引っ越しが決まったときは大泣きして親を困らせた記憶がある。

 

その後は年賀状を主とした文通でつながりつづけた。

5年生のころにお互いの家(愛知と東京)に泊まりにいったことがあったが、

会ったのはそれが最後。

でも、その後も年賀状のやり取りはずっと続いた。

年賀状がすたれて行ったり、年齢とともに筆不精になったりしても
彼との年賀状だけは続いた。

 

年賀状を通して、お互いの結婚、彼がお子さんに恵まれたこと、

家業を継いでいることなど、近況を交換し合い、

常々最後の文章は「またいつか会おう」だった。

 

残念ながら会えずに終わってしまった。

仕事でもバンドでも何度も愛知に行っていたのに。

 

一度開いた距離を詰めることが面倒でもあり、

「また今度」で済ませてきてしまった。

今は強烈な後悔と喪失感を感じています。

 

先月にはBucket-T時代から仲良くしていただいた
先輩ベーシストの急逝がありました。

尊敬するミュージシャンであり、面白い兄貴であり、

ご自身が音楽活動をなさっていない時期でも、

なんだかんだで私の活動を見続けてくださった理解者でもあった。

 


続く訃報に、久しぶりに死別のつらさを噛みしめています。

なんで人は死んでしまうのだろう。

何で人生にはこんな悲しいことが約束されているのだろう、と

青臭い思いに取りつかれながら。

 

年齢とともに、こうした機会は増えていく。

そのたびに自分の歴史の共有者も失われていく。

死別の苦しさにはそういった意味もあるのかもしれない。

もう、二つ池を踏破しようとしたことや、

高円寺の飲み屋でのバカ話の共有者はいない。

私だけの歴史になってしまった。

 

 

 

月並みな言葉かと思いますが、

残されたものは故人の冥福を祈りつつ、

思い出を、失われた歴史を何らかの形で昇華していくべきだ。
そんな風に思う。

 

せっかく音楽という表現行為に恵まれているのだから、

友達や先輩からいただいた経験を落とし込み、

そこに思いを残していきたい。

 

そんなわけでとん挫してきた

アルバム作成に改めて取り組むことにしました。

 

勝手なことを言ってゴメンだけど、

2人とも天国で見ててください。

いつか感想を聞かせてください。