2024年4月4日木曜日

いい音

 

以前にも書いたかと思いますが、

私が音楽にはまるきっかけになったのは、

高校1年生の時に聴いたブルーハーツでした。

 

高校生の頃、私は器械体操部に所属しており、

夏休みには学校に泊まり込みで練習を続ける
校内合宿というイベントがありました。


合宿中、1年生は朝から練習を続ける。

夜になると、もう引退している3年生やOBたちが陣中見舞いに来る。

 

一応体育会系ですので、先輩には絶対服従。

先輩たちが部屋に入ってくると、1年生の私たちはシーンと静まり、

神妙な面持ちになる。

 

そんな先輩の中にフォークソング部にも顔を出している方々がおり、

アコギを持ってきて、後輩たちに聴かせるでもなく
弾き語りをやったりしていました。

曲はブルーハーツの「ラインを越えて」。

 

姉の影響でブルーハーツのことは知っていたので、

聴いたことがない曲ながらもブルーハーツの曲であろうことは
何となくわかった。

先輩にビビりながらも、その曲に心が震えた。

 

合宿が終わると、すぐにレンタルCD屋でブルーハーツを借りてきて
カセットテープに収めた。

そしてそれ以降、暇さえあればポータブルカセットプレイヤーで聴き続けました。

家にいるときも、通学の時も。

あまり友達が多いタイプでもなかったので、学校でも休み時間は

一人で聴き続けていました。

毎日毎日。

 

 閑話休題


現在、私が住んでいるところの最寄り駅は

高校の最寄り駅と同じ路線となります。

(かなり離れてはいますが・・)

 

なので、町に出るときには電車から高校を眺めることができる。

 

校舎も建て替わり、

私が在学していたころからは大きく外観が変わりましたが、

それでも高校の近くを通ると何となくなつかしい。

 

先日、高校の近くを電車で通る際、

たまたまスマホでメタリカを聴いていました。

 

先述のとおりブルーハーツで音楽に目覚め、

色々と聴く音楽の幅をひろげ、

高校卒業の頃はメタルヘッドになってました。

高3のころは通学電車の中でよくメタリカを聴いたものでした。

 

メタリカを聴きながら、車窓から母校を眺める。

昔と同じシチュエーションに、

不思議と普段聴くよりも良く感じました。

 

でも、ちょっと惜しい。

というのも、私にとってリアルなメタリカはカセットテープの音。

スマホで聴くMP3ではない。

カセットで聴いたらもっと良く聴けそうな気がする。

うーん、カセットで聴きたい。

 

いや、待てよ。

もしも同じように高校の脇を抜けながら、

あんなに聴き続けたブルーハーツをカセットで聴いたら、
どんな気持ちになるんだろう。

 

 

そこで、カセットプレーヤーを買ってきて試してみた。

幸い、ブルーハーツのカセットは当時にダビングしたものを

まだ持っている。

 

仕事の帰り道、電車の中でおもむろにカセットを取り出す。

カセットをプレイヤーに入れるカチャカチャ音も何となく愛らしい。

そして再生ボタンを押す。

 

おお。あの時の音だ。

 

音楽を聴くときのいつもの癖で運指をイメージしてしまったり、

レコーディング環境を想像したりしてしまう。

でもそんな邪念(?)も最初だけ。

どんどん引き込まれる。

 

懐かしいとかばかりではなく、

本当にいい曲だなと実感しながら、

記憶に染みついた歌詞をついつい口ずさむ。

 

 

カセットの音は低音域が削られ、

高音域には特有のヒスノイズが乗る。

レコーディングされた元音、元データに比べると「悪い音」だ。

でもこの音が好きだ。

 

 

「いい音」って何だろう。

 

クリアで異物がなく、音域に偏りがない音。

演奏者が出したそのままの音。

一般にはそんな100点満点みたいなものが「いい音」なのかもしれないが、

それは純度が高いだけであり、別に「いい音」ではない。

 

結局は聴き手にとって好ましいかどうかなのだ。

好ましければその人にとっていい音だ。

世間が悪いと言おうが、違和感が存在しようが。


人は本能的に他人の評価、意見、噂話を求めてしまうらしい。

原始の人間にとって、それらは生き抜くための必須情報だったからだ。

もちろんそれらは大事なことだと思います。

でも最後は自分の評価。

表現の分野に関していえばなおさらだ。

世間が「いい」と言おうが、「悪い」と言おうが関係ない。

自分次第。


 

カセットテープで聴くブルーハーツ。

私には最高にいい音でした。

 

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さて、告知です。

 

いよいよ「のうてんふぁいら」まで2週間強です。



「のうてんふぁいら・Ⅰ」

4月20日(土)

飯能イーストコート

 

出演

山際英樹

斉藤新

 

展示、物販

斉藤マミ

 

にじいろ市

MCRカンパニー

めぐるみどり

チチ

 

開場 12:30

開演 13:00

終演 14:30(予定)

 

料金 2000

※完全予約制です。

 予約は下記メールまで。

sleepsleepgotosleep@gmail.com

 

 

よろしくお願いします!!



2024年3月6日水曜日

変位抜刀霞切り

 

ブルガリアンリズムというものがあります。

ブルガリアの農村の伝わる、

極端な奇数拍子が特徴的な民俗音楽、民謡です。

 

19世紀末から20世紀初頭、西洋音楽家たちは新たな音楽形態を模索する中で、

民俗音楽、民謡に着目し、研究、導入をおこなっていった。

ストラヴィンスキー、ドヴォルザーク、コダーイなどが挙げられるが

何と言ってもこの分野ではバルトークが有名です。

 

バルトークは各地の農村に赴き、

村民に民謡を歌ってもらい、それを録音、記譜し、研究を重ねたそうですが、

その中でブルガリアンリズムに出会います。

最初はこの異常ともいえる拍子が
技術の拙さによるミスだと思い込んで記譜していたらしい。

それくらい、奇異なリズムであり、
近隣地域の民謡と比べても類がないものだそうです。

 

その後、バルトークはブルガリアンリズムを導入した曲も書くなど、

先述の通り、クラシック音楽をブレイクスルーする素材としていくわけですが、

そんなバルトークの曲がロックをブレイクスルーするために、

エマーソンレイク&パーマーに引用されることになるというのも

何とも因果を感じます。

 

 

このブルガリアンリズムがどうして出来上がっていったのかは謎ですが、

ネットはおろか、テレビ、電話もない時代、

人の出入りというと出稼ぎか戦争くらいしかない隔絶された農村の中で

長い時間をかけて、独自にはぐくまれていったのだと思われます。

 

隔離、孤立した環境が新しい形式、文化を生む例は多く、

近いところでいえば、90年代の関西ボアダムズ周辺~TAGRAG周辺の特異な音楽、

70年代、高柳昌行さんをはじめとする日本の完全インプロ音楽や

ジャパノイズなどもそう言えるように思います。

音楽以外だと、日本独自の進化を進んだ折り畳み式携帯電話は、

絶島での生物の独自進化から例えてガラパゴス携帯(ガラケー)と呼ばれたりする。

 

隔絶環境では限られた情報、ツールしかない。

また、求められるニーズも独自であり、それらに対応していくことで、

他所では生まれえないものが生まれてくるのでしょう。

大多数が求めるものではないかもしれないが、

大多数にも訴える何かがある独特なものが。

 

 

常々、「制限」というものが新しいものにつながると考えています。

 

この考えは妻や恩師とも共有しているもので、

先日、エンニオモリコーネの本を読んでいても

「制限は新たな自由へにヒントとなることがある」との言葉があった。

ブルガリアンリズムもこの例に入るかと思う。

新しい何かを見出すためには外を見渡したくなるものですが、

逆に枠の中に閉じこもり、情報を絶つことも必要なのだと思います。

 

ですが、今の世の中ではこれがすごく難しい。

情報があふれかえり、そこら中から投げかけられてくる。
電車に乗っていても、町を歩いていても。

しかも伝達パフォーマンスの高い「映像」を介して。

また、ネット社会では自分からの情報へのアクセスもあまりにも簡単だし、

枠にこもることを悪とする考え方も流布している。

 

そんな中で「けものみち」を歩むべく、

街を離れて暮らし、テレビを持たず、SNS、ネットもほどほどといった具合にしてはいますが、

それでも情報は押し寄せてくる。

知的欲求、承認欲求、脅迫観念、惰性などで

ついつい平均化された情報やくだらない意見を自分から追ってしまう。

 

情報が貴重だった時代からすると逆説的な話ではありますが、

情報と距離を置くというのはこれからの時代に

求められるスキルになってきているのかもしれない。

 

 

白土三平の名作漫画「カムイ伝」にて、

主人公の一人カムイの剣技に

変位抜刀霞切りというものがある。

 

非人階級に生まれ、差別に苦しむカムイは、

一人、剣技を磨き、「力」でもって差別にあらがっていく。

 

剣術師匠を持つことは許されず、そもそも刀を持つことも許されない。

そんな中、野犬を相手に独自修行を重ね、

環境、情報ともに限られた中で必殺の変位抜刀霞切りが完成する。

 

いつか自分なりの霞切りを会得したいものです。

 


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さて、告知です。

 

3月は1本ライブ予定がございます。

 

3月31日(日)

西横浜エルプエンテ

Charmer's Pot vol.54

出演
TSUKAMARO (大阪)
FLOATERS
砂上の楼閣
リビドーと悪魔
ニューグリフィンズ
The Leslie Southern Tone
斉藤
Madoka Kenmochi + Yuki Tanaka
嗚咽民
RT323 

開場/開演 : 12:00/12:30
チケット : ¥2,500+1d


いまや西横浜の名物男FLOATERSモッサ君による名物企画。

私は1645から出演予定です。

 


そして、来月は4年ぶりの自主企画です!!


 420日(土)

飯能イーストコート

 にじいろのめ 企画
「のうてんふぁいら・Ⅰ」

出演
山際英樹 (ギターソロ)
斉藤新 (ベースソロ)

 展示
斉藤マミ 

出店
MCRカンパニー (お米)
チチ (スコーン)
めぐるみどり (地場野菜)

開場 12:30 開演 13:00 閉演 14:30(予定)

 2000円 (完全予約制)
ドリンク持ち込み自由


※ドリンク販売ありません。好きなものをお持ち込みください。
飲み終わったゴミについてはできるだけお持ち帰りをお願いします。

 ご予約

sleepsleepgotosleep@gmail.com

斉藤 新まで

予約はお早めにどうぞ!






2024年2月20日火曜日

のうてんふぁいら・Ⅰ

 

コロナが5類になって半年以上が経ち、

世間はほとんど昔の状態に戻った感がある。

 

コロナがもたらしたものはたくさんありましたが、

自分にとっては音楽との向き合い方が変わったことが大きい。

 

コロナ以前、私の中で音楽は音楽で終わらなくなっていた。

付随する「集客」「人気」「金銭」などの要素が

音楽の一部であるかのように考えるようになっていた。


でも、コロナ禍となり、自宅で一人きりで作曲し、

誰にも聴いてもらわずに演奏を繰り返す日々の中で、

そんなものじゃないんだと気づいた。

もっと簡単なことで、音楽とは楽しむことだと気づいた。

 

ニーチェの言葉に「考えるな、踊れ」というのがある。

世の中は考えてもわからないことばかり。

というか答えなんてない。

であれば踊り続けよ。「踊り楽しめ」それが「生きる」ということだ。

 

音楽も同じでごちゃごちゃ言わずに楽しめばいいのだ。

まぁ、性格的にそれが難しかったりするので苦しむのですが・・・

 


閑話休題

突然ですが久々にイベント企画を開催いたします。

 

コロナ以前、バンドでもソロでも企画はコンスタントにやってきましたが、

今回は絵描きである妻と二人での初共同企画となります。

 

以前からちょいちょい書いてきた「にじいろのめ」というのが

ユニット名(?)になります。

今後、この名前で地元を軸に文化発信をしていく考えです。

 

会場は飯能イーストコート

実は前回記事でお金を貸してくださったライブハウスだったりします。

この会場でライブ演奏の他、妻の作品展示、

我々がお勧めするおいしいものの販売も行います。

 

ライブ演奏は私の他、

割礼や血と雫でもご活躍の山際さんにもご出演いただきます。


山際さんとの共演は過去に2回企画して、

2回ともコロナ影響で流れてしまった経緯があります。

文字通り、3度目の正直。

キャンセルせざるを得なかった当時は結構落ち込みましたが、

今思うと、今こそがベストなタイミングな気がしてきます。

 

 

飯能、音楽、絵、おいしいもの、

とにかく我々が考える「楽しい」を詰め込んでみました。

お越しの方々には、何も考えず「脳天ふぁいら」になって
楽しんでいただきたい。

もちろん我々も楽しみます。

 

よろしくお願いします!

 

 

 420日(土)

飯能イーストコート

 

にじいろのめ 企画
「のうてんふぁいら・Ⅰ」

 

出演
山際英樹 (ギターソロ)
斉藤新 (ベースソロ)

 展示
斉藤マミ

 

出店
MCRカンパニー (お米)
チチ (スコーン)
めぐるみどり (地場野菜)

 

開場 12:30
開演 13:00
閉演 14:30(予定)

 2000円 (完全予約制)
ドリンク持ち込み自由


※ドリンク販売ありません。好きなものをお持ち込みください。
飲み終わったゴミについてはできるだけお持ち帰りをお願いします。

 ご予約

sleepsleepgotosleep@gmail.com

斉藤 新まで






2024年2月5日月曜日

最初からなのか、どこかで踏み外したのか?

 

今日は腹の立った話のおすそ分けです。

 

まず、この話は私の過失に端を発したものであり、

誰かを責めるべき話ではなく、

私の責任であることは十分に理解しております。

この前提の上にお読みください。

 

 

先週、仕事で関西に出張がありました。

 

以前からこのブログで書いております通り、

私は最寄り駅から車で50分ほどの山の中に住んでおります。

午後一からの打ち合わせに向け、

7時に自宅を車で出発し、8時前に駅到着。

車をコインパーキングに入れて、駅まで歩き、電車に乗ろうとして、

家に財布を忘れてきたことに気づきました。

 

その時点では、

「財布取りに戻ったら打ち合わせに間に合わなくなっちゃうなぁ…」

「先方に連絡して、予定の後ろ倒しをお願いしなきゃなぁ…」

くらいだったのですが、

パーキングに戻って気づきます。

財布(小銭)がないと車をパーキングから出せないのです。

 

車内、手荷物のなかに小銭は一切なく、途方にくれます。

誰かに借りるしかない。

 


まず、ダメ元で駅に行き、駅員さんに相談したのですが、

お金は一切貸せないというルールとのことでお断り。

まぁ、そりゃそうかと思います。

一度貸したら、何かと借りに来る人もいそうですし、

なかには詐欺やいたずらも出てきそうです。

 

駅員さんが申し訳なさそうに言うには、

「交番や警察署に行けば貸してくれるはずです。」とのこと。

確かにそんな話を聞いたことがある。

 

ですが、その駅には交番がない…

歩いて1015分ほどの隣駅まで行く必要がある。

それでも警察署(歩いて3040分くらい)に行くよりは近いので、

隣駅まで走ります。

 

交番についたのですが、鍵が閉まっていて誰もいない。

田舎の駅とはいえ、朝8時ですので一番にぎわう時間帯。

そんな時間に人がいないことに驚きながらも、

ドア脇にある「不在の場合はこちらへ」と書かれた受話器を取ると、

本署のほうにつながる。


電話先に事情を説明、

先方が言うには、勤務交代にて830まで交番には人がいない、

急ぐようでしたら、本署まで来てくださいとのこと。

「本署まで歩いていったら30分以上かかります」というと、

「そうですよね・・じゃあそちらでお待ちください」とのご回答。

「・・わかりました。ここで待ちます。」


 

そして交番前で30分待機。

その間、仕事の相手に遅れる旨をメールしたり、

ダメ元でその駅の駅員さんにも相談するも、やはりNG

寒空の下、勤務交代のお巡りさんを待ちます。

 

845ころ、年配のお巡りさん登場。

お巡りさんに会えれば問題解決と思っていたので、

安堵とともに事情を説明すると、

「無理です。お金は一切貸せません。」と即答。・・・え?!

「そもそもここにお金なんてないから貸せません。」・・・ええ??

 

「こういう時は貸してくださると聞いたんですが・・・」

「いや、それは勘違いですね。(ニヤニヤ)」

「駅員さんにも言われたんですよ。」

「その人も勘違いしてる。(ニヤニヤ)」

こんな問答。

しかも、このお巡りさん、

なぜか鬼の首でも取ったかのような態度。

 

「本署に人にもここで待てって言われたんですよ。」

「そうですか・・・じゃあ、本署に確認してみますね。」

“本署”という言葉で少し態度が変わり、確認してくれることに。

 

交番の中に入り、電話するお巡りさん。

「中に入ってお待ちください」は無し。

一人だけ中に入り、私は外で待ちます。冬ですが。

 

23分後、出てくるとさらに態度が変わり、

「いや~すみません。今から〇〇員のものが来ますので、
その人と話してください。」

正式な名称は忘れましたが、

要するに本署から担当の人間が来て、
その人と手続きすればお金を貸してもらえるらしい。

少し前まで力説していた「貸せない」は間違いだったようですが、

そこへの謝罪は無し。

 

「え、今からまだ待つんですか?」

「すみませんね。お待ちください。」と会話を断ち切って、

またそそくさと交番の中へ。今回も中で待たせようという意思は無いようです。

 

気まずかったのでしょうか。

交番というと普通お巡りさんは見えるところに座っているものですが、

奥の部屋に入っていき、そのまま出てこない。

 

もう腹が立つを超え、情けなくなり、

そのまま交番を離れました。

こちらに向かうという〇〇員には悪いですが。

 

パーキングから出れない件は全く解決しませんが、

こんな人間に頼ってはいけない。

こんな人間に頼ったら人としておしまいだ。

物乞いしてでも自力で何とかすることに決めました。

 

元いた駅に戻る道すがら、

いろいろと方法を再考。

携帯は持っているので、

ペイペイをネット経由でチャージし、
それを現金化する方法がないものかと調べたり、

ペイペイでパーキング決済できないものかと調べたり、

結局どれもいい方法がなく、

近隣でお金を借りれそうな人を改めて考えました。

 

今の土地に引っ越してきて2年弱になりますが、

地元では人付き合いはあるものの、駅の近くではほとんどない。

少なくとも朝一でお金を貸してくれ、とお願いできる関係の人はいない。

 

考えた末、先日内部を見学させていただいたことのある、

駅近くのライブハウスの店長さんに電話しました。

まだそこまでの深い交友関係ではありませんし、

ライブハウスの店長さんに電話する時間としては早すぎて気が引けましたが、

非常識を詫びながら、電話で事情を説明すると、

「それは大変ですね。すぐ行きますよ。」との即答。

ありがたい。

ここまでの経緯もあり、余計に暖かさがしみます。

 

そして、お金をお借りし、車を出すことができました。

自宅に戻り、財布を持ち、出張先には1.5時間遅れとはなりましたが、

無事仕事を済ますことができました。

 

 

 

冒頭で書きました通り、もとはと言えば私の過失です。

誰も責めることなどできません。

ですが、ちょっとこのお巡りさんはひどすぎる。

 

前回の記事で「気遣い」について書きましたが、その対極ですね。

困っている人を助けるべき立場にいながら、

この人に助けられたら人間としておしまいだと思われるって逆にすごいです。

 

どんな想いをもって警官になったんだろ。

最初からこんなかんじだったのか、

どこかで踏み外したのか。


まぁ、どっちでもいいですけどね。

こちらとしては2度と会わないで済むよう、

2度と頼らなくて済むように気を付けるだけです。

 

 

 

 

 

 

2024年1月26日金曜日

かぶり

 

先週、車のエンジンがかからなくなってしまいました。

 

バッテリー上がりかと思って、

ブースターを使ったりしたのですが、

セルは回るけど、エンジンはかからない。

 

先ほど修理屋さんに診てもらい、何とか復帰。

おそらくプラグかぶりだろうとのこと。

初めてのことでしたが、旧車なので、

真冬にはままあり得るトラブルらしい。

 

 

そんなわけで1週間ほど車無しの生活となったのですが、

山暮らしで車が無いというのは結構不便。

 

妻の電動バイクを借りて片道30分かけて灯油を買いに行ったり、

仕事で町に出るにも片道1時間、870円のバスに乗る。

しかもこのバス、1時間に1本あるか無いかといったところでして、

家から町に行くには時刻表に合わせて出発すればいいのですが、

帰りは時間が読めないので、最悪の場合は2時間近く待つ必要がある。

 

我が家のあたりまでは来てくれないが、

途中までのバスはもう少し本数があるので、

それに乗って、途中のバス停まで来て、

そこから日が暮れかけの寒空を1時間ほど歩いて帰ったりしました。

 

そんなわけで不便な1週間でしたが、

まぁ、これはこれで学びもある。

灯油をいかにして節約しようか考えてみたり、

プラグかぶりというトラブルも知ったし、バスに乗ったのも初めて。

1時間歩いて帰るというのも普段は車で通る道を別の視線で見れて面白い。

 

特に改めて学んだのは人の気遣いのありがたさ。

市内の自動車修理屋さんや灯油配達屋さんをWEBで調べ、

いろいろと相談する中、無下に断られることもあり、

世知辛さを感じることもありましたが、

中には親身になって話を聞いてくれる方もいる。

一見さんからの電話なのに。

 

ある自動車修理屋さんは親身になって状況を細かく聞いてくれて、

いろいろとアドバイスをくれたのですが、すぐには車を見ることができず、

その間、代車が出払ってて貸すことができない状況でした。

急いでいたこともあり、「ちょっと他にも当たってみます」とのこちらの言葉に対し、

「困っているところ、力になれずにごめんなさい。」との回答。

なかなか言える言葉じゃないと思います。

 

この言葉で、こちらの自動車修理屋さんにお願いすることに決め、

腹をくくって1週間の車無し生活を決めた次第。

そして、さきほど車を見てもらって、無事復帰できました。

 

気遣いって本当に大事ですね。

困っていない側にとっては何気ない言葉でも、

困っている側には大きく響いたりする。

その言葉に「気遣い」があるか。

それ次第で意味は大きく変わったりするのだと思う。

 

 

被災地に対し、自分ができることは何だろう。

ボランティアや炊き出しに向かうことはできず、

募金をさせていただくにとどまっておりますが、

せめて「気遣い」は持ち続けよう。

 

写真は途中のバス停から家まで1時間歩いているときの風景。

寒くて、心細い風景ですが、

陽が沈みゆく山際がきれいでした。

 

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さて、告知です。


 

久々に都内でのライブです。

2月22日(木)

西荻窪PITBAR

「PEACEMEAL REMAIN DEPARTMENT」

1500円+投げ銭

 


昨年11月、宮ケ瀬でのDAYBREAK企画でご一緒した、

A SOXのボーカル 千葉さんに誘っていただきました。

 

よろしければどうぞお越しくださいませ。