2020年9月21日月曜日

活動休止


 

SNSなどでご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、

ABNORMALSは活動休止することになりました。

 

往々にして、こういった際のコメントは説明不足ととられるものかと思います。

ですが、明確にコレという休止の理由というものが無いのが実情でして、

一定の達成感とともに休止を決意した次第です。

 

 

ABNORMALSでの私の活動は5年間でしたが、

いままでの音楽活動では味わえなかったような

たくさんの経験をさせていただきました。

 

仲間からは典型的なアンダーグラウンド人間とあつかわれていた私が、

偉大な先輩や著名な方々とご一緒させていただいたり、交友させていただいたり、

1000人規模の大舞台に立ったりなんて、

ABNORMALSに入るまでは想像もしませんでした。

 

加入する前、ABNORMALSに対して持っていた印象は

なんといっても「上手い」ということでした。

歴代のメンバーもすごい人ばかりだし。

いつどこでライブを見ても安定している。

そんなバンドのメンバーになるというのは

少しプレッシャーもあったりしましたが、

本当にいい勉強、修行をさせてもらいました。

 

2枚のアルバム、2枚のオムニバス参加という、

コンスタントなレコーディング経験も初めてであり、

活発、充実の活動を物語っているように感じます。

 

 

そうした活動を支えてくださったのは

音源をお買い上げいただいたり、

ライブを見に来てくださったたくさんの皆様です。

本当にありがとうございます。

皆さんがいてくださることで我々はABNORMALSでいられました。

 

 

コロナ禍を経て、これから音楽の世界がどうなっていくのか、

今後も先の見えない状況が続きます。

そんな中、いったん幕を下ろします。

 

先が見えないとか、所属する場所(バンド)が無いとか。

一聴すると、ネガティブに響くかもしれませんが、

そんなことはありません。

それは自由でもあります。

そんな自由な活動を楽しんでいこうかと思います。

 

ABNORMALSでの感謝と経験と誇りを胸に

今後、どんな活動をしてやろうか。

すごくたのしみで遠大な地平を見ています。

 

2020年8月23日日曜日

修行物

子供のころ、ジャッキーチェンが大ブームとなり、
頻繁にテレビでもジャッキー映画が放送されていた。

たいていジャッキー映画を見た後は
何だか修行したくなり、翌朝早起きして、
公園で砂を入れた袋を引っ張ってみたり、木にキックしたりしたものだ。
友達に見つかって苦笑い、
翌日以降はやめてしまうのが常でしたが。

中でも好きだったのが
なんとか拳の類。例えば酔拳、蛇拳、笑拳とか。
それらの作品は修行シーンが一つの見せ場になっていて、
子供心をわしづかみにされるのだ。


子供心と言いましたが、いまでも修行シーンは大好き。
映画を見ていて、良質な(?)修行シーンに出合うと、
それだけで評価がぐっと上がってしまう。

さて、そんな修行物ですが、
映画だけでなく、小説、文学の世界にもあったりする。
今回はそんな修行物をいくつかご紹介させていただきます。
(以降、敬称略)


まずはこちら。
「宮本武蔵」 吉川英治

修行物の代表格かと思います。
私ももう何度も読んでいます。

武蔵が村の乱暴者から剣豪へ成長し、
巌流島の決戦にいたるまでが描かれています。
剣に賭ける武蔵の純真さは感動的ですらある。

極真空手の大山倍達を題材にした漫画「空手バカ一代」の中で、
若き大山が同書に出合い、空手一筋に生きることを決心したとして描かれています。
この漫画は、今ではフィクションであることが定説になっていますが、
それでも暗闇の中で背筋を伸ばして同書を読む大山倍達を描くコマには、
何か崇高な雰囲気が宿っている。

また、後述する柔道家木村政彦も試合が近づくと士気を高めるために、
同書を読んだと言われています。

これらエピソードからも修行物の金字塔と言えるように思います。


次はこちら。上述の木村政彦にまつわる話。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 増田俊也
  
昭和の巌流島決戦での力道山によるブック破りを軸に、
柔道家 木村政彦の生涯を描くノンフィクション作品。

15年無敗、「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」と言われる
最強の柔道家にして格闘家 木村政彦

戦前の修業時代がすさまじい。
3倍努力という言葉で知られる通り、
他人の3倍は修行を重ね、睡眠は3時間程度、
夢の中ですら柔道をやっていたという。

修行、強さにかける木村の気迫を見ていると、
自分も何かをしなくてはいけない気持ちになってくる。

戦中、戦後からは食べるために生きる木村が描かれ、
「修行物」からは少し離れてくるが、
それはそれですごく面白い。
戦後の興行史や格闘技史が
緻密な情報収集を元にすごく丁寧に描かれている。

戦争で人生の歯車が大きく崩れ、
上述の力道山戦で栄光を奪われる。
以降、苦しみぬいて生きる木村の姿は本当に切ない。
最後に奥さんと散歩中にかわす言葉に涙が止まらなくなる。

扇情的なタイトルで、少し下品な印象を持ってしまうが、
中身はすごく骨太です。

 次はこちら。
「日本の弓術」 オイゲンヘリゲル
戦前、ドイツの哲学者である著者が
日本に赴任した5年間に日本の「道」「術」に触れるべく、
弓術を修行する様子が描かれる。

「術」はスポーツとは異なり、論理的に説明できるようなものではない。
あくまでも稽古、鍛錬の末に体感、会得されていく。

例えば、弓を絞る際、
普通に考えると、背筋、腕力で絞り上げるものと考えてしまうが、
そうではなく、力は使わないとのこと。
実際に弓を引き絞った先生の腕を触れると筋肉は全然張っていないという。

また、暗闇で放った2射が1本目は的中央に、
          2本目は1本目を割く形で射抜かれる。                                   

自分が的と一つになったとき、自然と弦から指が離れ、
矢が的に刺さるのだという。
中島敦の「名人伝」にでも出てきそうな話だ。

そんな不可思議な術に対し、
西洋の哲学者ならでは、
なんとか論理的に解決、会得をしようと苦しむ著者。

だが、徐々に論理を離れ、神髄に近づいていく。
西洋的思考から東洋的思考へ。
いわゆるトレーニング的な修行というよりも、
思考の変更が修行であり、
そこに苦心するドイツ人著者と日本人師匠の心のふれあいも素晴らしい。

 次も「術」にまつわる本
「鉄山に訊け」 黒田鉄山 
「日本の弓術」での人間離れした術に、
これは過去の名人の話であり、
なんなら、すこしは脚色が入っているのかも、
なんていう思いも少しあったのですが、
ある時、YOUTUBEで黒田鉄山氏の演武を見て、
「術」は現代にも残っていることを知りました。
そこで、気になって買ってみたのがこの本。

柔術、剣術についての指南書のような雰囲気もあるため、
それらにまったく縁のない自分にはよくわからない部分も多いのですが、
人間業と思えないような術理が
型一筋に何年も打ち込んできた結果に得られてきたということ、
そこに何かがあるはずだと一途に進んできた信念に心を打たれます。

何かを会得するためには、
ある種の信仰のようなものが必要だと考えています。
そんな思いを改めて抱かされます。

完全に門外漢なのですが、
買ってみてよかったと思えた本です。

ただ、このカバーデザインは何とかならないものか・・・
もっと重厚な方が良いように思うのだが・・・

最後は小説です。
「抗夫」  夏目漱石 

抗夫とは鉱山作業員のことで、
暗い穴の中でひたすらに鉱石を掘り続ける仕事。
それは体力的にも、環境的にも苦しく、死と隣り合わせだ。

良家に育ちながら、
自棄の末、誘われるままに抗夫になることを決めた主人公の青年が、
鉱山への山越えの道、抗夫体験を経ながら、
半ば意地になって抗夫にならんとする話。

「獰猛」と表現される抗夫達の中で、
貧しい食事を食べ、南京虫に苦しめられて夜は布団で寝ることもままならない。
そんな世界の中でも、誇りと知性に輝く抗夫もいる。
それらを読んでいると、自分なりに今までに体験した苦労を思い、
その中で自分はどうあったかを反省させられる。

今まで上げてきた剣や柔術、弓術といった修行とは大きく違うが、
志はともかく、過去に味わったことの無い苦労の連続を重ねながら
少しづつ抗夫に近づいていく様には、
何か刺激されるものがあります。


以上、5冊を挙げさせていただきました。
他にも芸術での修行物、宗教での修行物などもあります。
その辺はまたの機会に紹介させていただきます。
また、冒頭にジャッキー映画を挙げましたが、
映画にもたくさんの修行物があったりします。
こちらもいずれ紹介させていただくかもしれません。

やっぱり修行物はいいです。
心が引き締まります。










2020年7月25日土曜日

コロナ禍で気づいたこと


すごく久しぶりの記事になります。
リハビリというのでもありませんが、
雑想的に最近思っていることなど。
取り留めありませんがご容赦を。


最近、WEB配信で映画を見る便利さを知り、いくつか見ている中で、
「ミッションインポッシブル フォールアウト」を見た。
なんだかんだでシリーズ全作を見ているが、
今作もハラハラドキドキの痛快作。
時間を短く感じる映画だった。

作中、逃げる敵を追う主人公イーサンを
仲間が無線で誘導するシーンがある。

敵、イーサンともに発信機を持っており、
仲間は二人の位置座標を見つつ、
遠隔地から指示を与える。

イーサンは無茶な指示に従い、屋根、建物を駆け抜け、
高所のビル間を飛び越えさせられたり、
大変な思いをしながら追跡を続ける。

仲間はうまく行かない追跡を不審に思い、
ふと、2Dで位置情報を見ていたことに気づく。
2Dゆえにイーサンのいる高さに気づけず、
無茶苦茶な指示をしてしまっていたのだ。


よく言われることだが、
女性は道を覚えることが苦手だという。

これは上記の例のように三次元的にとらえるべきものを
二次元的にとらえていることによるという。
それゆえに目印となるべきものの設定が苦手なのだそうだ。

対して、男性は情報整理や論理的思考が得意な(人が多い)ので
道を覚えるのに有利なのだろう。
男女で物事の捉え方、傾向に違いがある例かと思う。


また、過去に書いていたブログでも引かせていただいた話だが、
中沢新一さんの「対称性人類学」に興味深い話が挙げられている。

困難な冒険を経て幻覚サボテンを味わうことで、新たな世界に触れるという
ウイチョル族のイニシエーション儀式「ペヨーテ狩り」。
これは男性だけが対象となる、
一人前の大人である証明ともなる儀式だ。

なぜ女性は儀式を受けないないのかという質問に、
ウイチョル族の女性は
「男性はあんなことをしないと知恵に近づくことができない。
女は自然のままにそれを知っている」と言う。

それはきっと言葉に表せないものかもしれない。
道を覚えることは苦手でも、
女性は男性に気づけない、たくさんのことを知っている。

人間世界の半分は自分と違う生き物(異性)であり、
それが生きることを難しくしている、なんてことを読んだことがある。
女性が苦手な自分としては簡単にうなずきたくもなるが、
この考えは変えたほうがいい。
それは難しさではなく、奥深さであり、多様性だ。
性別が異なるだけで、世界は別の一面を見せてくれる。
世界はそんな「可能性」にあふれている。


男女の別だけでなく、
感覚の違いも世界の捉え方に変化を与える。

佐々木俊尚さんの「時間とテクノロジー」という本の中で
面白い例が挙げられていた。

盲人と○○山という地名の町を歩いたとき。
盲人は微妙な地形の高低差を察知し、
その高低差が地名の由来であろうことを指摘する。

○○山なんて言う地名はそこら中にあり、
それが「山」に由来していることがわからないような場面も多々ある。
だが、盲人は体の感覚をもとに、
もともと「山」であるという事実に気づけるのだ。

我々は情報のノイズに囲まれて生きている。
それにより、本質がどこなのかが分からなくなる場面がある。

ノイズを振り払うのは難しいが、
自分の感覚が変われば、この例のように
靄が晴れ、世界は別の表情も見せるのではないだろうか。



コロナ以降、ライブは無くなり、
バンドで集まることもなくなった。
一人きりで音楽をやっている。

その中でふと気づいた。
意外なほど、一人きりの音楽に満足感があるのだ。

もちろん誰かに聴いてもらいたいし、見ていただきたい思いもある。
ライブの高揚感、バンドの一体感が恋しくなることもある。
でも、それよりも先に
演奏、作曲が楽しくて仕方ない。

自分は音楽をやること、音楽を作ることが好きだったのだと
改めて知った。
逆に言うと、コロナ前の自分は音楽活動に付随するノイズに
踊らされていた部分が多々あったように思う。
コロナ環境によって視点、感覚が変わり、
重要なことを再発見した。



世界は広くて深い。
男女でも、感覚の差異でも見え方が変わる。
月並みな言葉だが、
自分が変われば、いくらでも新しい側面に出合えるのだ。

コロナ禍でそんなことを再発見した。




2020年4月20日月曜日

沈潜日記


緊急事態宣言が発令された中、
私はというと、自宅勤務となり、
ほとんど家を出ない生活が続いています。

あまり意識していないのですが、
夜中に目が覚めると胸騒ぎで寝付きにくくなることもあり、
やはり深層では病魔、先行きに不安を感じているのかもしれません。

おそらく、医療、物流、生活必需品関連など、
自宅勤務に移行することが難しい職種の皆様は
私どころではない不安や疲労をお持ちでしょう。
皆様のおかげでこうして大きな変化もなく生活させていただいています。
本当にありがとうございます。


ライブはおろかバンドで集まること、
街に出ることも憚られる状況ですので、
スタジオに入ることも当然なく、
自宅近辺が現在の練習場所となっています。

前回の記事で書かせていただいた通り、
この沈潜期間を前向きにとらえるべく、
いろいろと模索する中で
こんなものを録ってみたり、

裏庭の倉庫内にアンプを置き、
マイキングの上、毛布でくるんで
レコーディングなんかもやったりしています。

まだ寒い日も多く、外作業はこたえますが、
こういった場所があるだけでもありがたい限りです。


自宅勤務の経験は初めてなのですが、
よく言われるようにすごく効率がいい。
周囲の声や、意味の薄い会議、
そして何より満員電車での移動から解放されていることで、
朝一からフルで仕事に入れます。

そんな高効率化と、そもそもお客さんや取引先さんも停滞していることで
少々時間を持て余す傾向もあり、
その分を読書時間に割いています。
ここ最近読んだものを並べてみるとなかなかの量になっています。
たいていは再読ですが、過去に読んだものを
こうして読み返すのもいい機会です。


思えば、震災から原発事故の起こったとき、
これが嘘であってほしい、なかったことになってほしいと考えたものでした。
もちろん今でも傷跡はそれぞれにあり、
私の中にも傷はある。
でも、あの一連をきっかけに得たものもたくさんあり、
考え方も変わったように思う。

個人的な部分だけではなく、
日本人すべてが何らかの形で、考え方に影響をうけたのではないだろうか。
9年たった今ではそんな風に感じることができます。

今回のウィルス禍もいつかそうやって思えるときが来るでしょう。
しかも日本だけではなく、世界中のだれにでも共通するきっかけです。
仕事、生活、情報、政治、資本主義‥
いろんな分野に対して考え方が新たになっていく機会なのかもしれません。
いや、「かもしれない」じゃなく、
そうやってとらえていくべきなんだと思っています。


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さて、告知と行きたいところですが、
残念ながらキャンセルの情報しかありません。

5月のこちらもキャンセルになりました。

久々に重量級なバンドさんたちとの共演の予定だったのですが、
残念。またいずれです。




2020年4月3日金曜日

沈潜


不安な状況が続く中、
残念ながら以下のライブが延期となりました。

ABNORMALS 
4月12日
渋谷CLUB ASIA

 NILOMETER
4月18日
阿佐ヶ谷天


後者については私の企画ですので、
自分で延期を決めました。
イベントの性質としてリスクはさほど高くはなく、
よっぽど電車の方が危険といった感じですが、
リスクが無いわけではなく、
状況が安定するまで延期と判断させてただいた次第です。


音楽に限らず、全国的に自粛の動きとなり、
閉塞的な気分になりがちです。

国民の不安や実情を感じ取れない、政府、自治体。
場当たり対策の一個一個に紛糾するばかりで進展の少ない国会。
汚い言葉や悪意、大喜利気取りのSNS
世界はどんどん醜くなっていくようだ。

私も同様に閉塞感を感じがち。
ですが、ちょっと意識を変えるようにした。

今は沈潜の時期。
自分を見直す時間に充てようと思います。
曲を作り、演奏技術を鍛え、音楽を見直し、
本を読んだり、坐禅をして、思想や性格を見直し、
規則正しく生活し、乱暴な食、酒は控えて体を見直す。
SNSから距離を取り、ニュースは他人のコメントを非表示とし、
自分なりの物の見方を見直す。

本来、隠遁生活、沈潜は楽しいものかもしれない。
だからこそ方丈記や徒然草は面白く、あこがれる。
沈潜を楽しむ、今はいい機会ととらたえたい。

幸田露伴は春を「気持ちの張る季節」と言っている。
気持ちを入れ替えて、前向きに生きていくにはいい時期だ。





2020年3月29日日曜日


4月も近いのに今朝は突然の雪。
昨日は裏山に見えていた桜も、
白で埋もれて見えなくなってしまった。

昨夜は結構な雨で、夜中に起きると
川の音が激しくて少し怖かった。

でも両方とも事前に知ってた。
雨も雪も天気予報通りだ。

天気予報の無かった時代だったら
昨夜から今朝の天気に、人々は何を思うだろう。
天変地異と考えたのか。
お天道さんのことなので考えてもしょうがない、と考えたのか。

先日の記事で昨今の状況を踏まえて、無常について書いたが、
きっと昔は今よりも「無常」にあふれていて、身近だったのだろう。
今は天気予報で事前にわかる情報も
昔は無常であり、都度対応を迫られる事件だ。

昨今の状況は相変わらず、まさしく無常で、
一寸先は闇といったかんじだ。
世界が今まで味わったことのない状況に陥っている。

その中で何をすべきかを考えてしまい、
その考えにつかれたりもする。

道元禅師は「無常を知ることで、吾我を離れる」とおっしゃっている。
世の中、昨日までの状況、基準は今日にでも変わるかもしれない。
その中でエゴは意味を持たない。
そんな意味合いととらえている。

無常な世の中だからこそ、
大切なのは助け合いであったり、愛かと思う。

きれいごとではありますが、
ここ最近のニュースや政治、SNSを見ていると特にそう思わされる。

無常を痛感させられる今だからこそ、
見えてくるものもあるんじゃなかろうか。

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こんな状況ですが、ライブ告知です。

こんなこと言うとメンバーや共演者様に怒られそうですが、
告知であっても「ぜひ来てください」ではありません。
音楽を準備しますので、
それぞれお考えの上、行動なさっていただければと思います。

あくまでもそのための情報提示です。

なんか、言葉が硬くなっちゃって嫌ですが。

ABNORMALSはまずは4月12日(日)
渋谷CLUB ASIA




 その後は5月16日(土)
新宿FATE



NILOMETERもライブです。


4月18日(土)
阿佐ヶ谷天



ご検討どうぞ。


2020年3月22日日曜日

ライブやります。



NILOMETER presents
"SUNRAIN BLACKOUT"

4月18日(土)
阿佐ヶ谷天

NILOMETER
山際英樹

19:00  open
19:30 start
2000円+1d


企画まで1か月を切りました。
時世を鑑みますと、あと1か月で状況が変わるとも考えにくく、
いろいろと思うところもありますが、
予定通り実施させていただきます。

音楽性、お集りいただくであろうお客様のタイプを考えましても、
世間的に懸念されているような
いわゆる密集した環境で大声を上げる、
といった状態になるとは思えませんが、
転換時の換気実施などは行うつもりです。

さて、2回目となる今回の企画ですが、
共演は山際英樹さんです。

氏は割礼、血と雫でも活動なさるギタリストでして、
ソロでも2枚のアルバムをご発表なさっています。

初めてその演奏を拝見したのは
池袋での血と雫のライブでした。
バンドとしてのすごさはもちろんですが、
山際さんの演奏に驚き、帰路、妻と一緒に
「あのギターさんすごかったね。」などと話し合ったのを覚えています。

その後、割礼のライブも拝見させていただき、
今ではすっかりファンとなり、定期的にライブを見させていただいています。

氏の演奏を見ていていつも感心してしまうのが
その落ち着きと安定です。
決して簡単ではないフレーズやアルペジオ、
さらには急遽突っ込んだと思われるような即興演奏にも、
見ている側に不安を感じさせない。「力み」がないのだ。

さらには、変なことを言いますが、ミスがあっても安定しているのです。
なんというか、泰然としていると言いますか、
ミスも含めて山際さんとしてハラハラせずに見ていられるのです。
こういう方にはあまりお会いしたことはありません。

実は過去に11でプライベートセッションをしていただいたことがある。
勉強させていただきたくて無理言ってお願いした。
あっという間の2時間、終わったときは汗びっしょりでした。
主に緊張の汗。

セッションの際、山際さんに言われて印象的だったのが
「斉藤君は音が多いね」との言葉。
マイナス思考の私は、空間を生かせない自分に悔しいものを感じたのですが、
その後、いろいろと経験や試行錯誤を重ね、
今ではそれを自分の個性と考え、NILOMETERでは、
いかに美しく音を敷きつめるかを考えている。

そんな山際さんと、いよいよソロでの共演となります。
楽しみやら緊張やら。

コロナウィルスの状況は不透明なままで、
残念ながら、完全な対策というものはありえません。
ライブであろうとなんだろうと、感染のリスクはございます。
あとはお客様のご判断に任せるしかなく、
演者側はご満足いただけるものを提示できるように準備を行うに尽きます。
ご覧になればきっと何かを感じていただけるような一夜を目指します。

そんなわけで、今日も練習です。

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諸々事情があり、すこし変化があるかもしれませんが、
ABNORMALSもライブやります。

4月、5月に各一本。


私は音楽を作り、演奏します。
ABNORMALSでもNILOMETERでも。
これは当たり前のことで、誰かに止められてもやるのです。
勝手と言われても、場所がなくてもやるのです。