2020年10月21日水曜日

我流弁証法

 

弁証法という思考法がある。

 

矛盾する二つの命題を一段高い次元から、

矛盾のない形にとらえなおすことを言う。

この捉えなおしを昇華、アウフヘーベン、アセンションなどと呼びます。

 

WEBでわかりやすい例えを見つけたので、

引用させていただく。

 

Aさんはあるものを四角だといい、

Bさんはそれを丸だという。

これを弁証法で昇華すると、

二人の見ているものは円柱ということになる。

 

円柱は見る方向によって丸にも四角にもなる。

Aさん、Bさんが2次元的にとらえてるものを、

3次元的にとらえることで円柱という解を得るのだ。

 

最初に弁証法を知ったとき、

なんて素敵な思考法だろうと思った。

人生で矛盾を抱えることはよくあるが、それに解を見出せるなら、

世の中をもっとシンプルに捉えることができるんじゃないか。

そんな風に思ったのだ。

 

だが、「一つ上の次元から」なんて簡単なことじゃない。

円柱は円柱を知っている人にこそ見えることであり、

矛盾を抱えているAさん、Bさんには見えないことなのだ。

つまり、矛盾を抱えている当人には答えが得られない。

うーむ。それじゃ救いがない。

 

 

だが、最近少し考えが変わってきた。

矛盾を抱える当人も時間、経験を経ることで、

「一つ上の次元」なんていうSFみたいな行為がなくとも

気づかぬうちに昇華が得られるのではなかろうか。

 

 

自分に当てはめて例示します。

「音楽はエンターテイメントであり、芸術でもある。」

こんな命題に数年来悩んでいた。

自分の音楽はどちらでもありながらどちらにもなれず・・・

どちらでありたいのか、両立できるものなのか・・・

そんな行ったり来たりの気持ちの中で苦悩したのだ。

 

だが、最近ふと解決した。

私の到達した答えは

「そんなこと、どうでもいい」 だ。

 

この答えを昇華と呼ぶのはさすがに乱暴で抵抗があるが、

今の心境はまるっきりそんな感じなのだ。

「どうでもいい」以外に答えは無く、

それで十分だと今の自分は納得している。

 

これは時間、経験によって変わっていった心境なのだと思う。

といっても、常に考えて、努力して、修行して・・・とかいうのではなく、

自分なりに音楽を続けて、生活を続けてきた中でふと気づいたことなのだ。

弁証法っぽく言うなら、心境が別の次元に至ったとか言えるのかもしれない。

(すごく大仰な表現になっちゃって恐縮ですが・・・)

 

ちゃんと生きていれば、いずれ昇華が訪れる。

 


ちなみに上記の悩みを音楽関係の先輩に聞いたらおそらくこんなことを言われるだろう

「おめえ、下らねえことをうじうじ考えてんじゃねえよ。」

(口調はベ〇ボーンズのG氏をイメージ)

 

いや、まったくその通りなのだ。

そんなことは脇に置いて、ちゃんと生きて、続けていればいいのだ。

 

 

先日、夜中にふと気づいた話でした。

あーすっきりした。

 

 

 

 

 

2020年10月14日水曜日

カメラの存在

最近、YOUTUBEでディスカバリーチャンネルのサバイバル動画をよく見てる。

 

サバイバル術にたけた冒険家が、

自身を撮影するためのカメラだけを持ち、

文字通り丸裸でジャングル、砂漠、サバンナなどに降り立ち、

10日間を一人で過ごす。

 

水から始まり、火、食料、家を確保していき、

最終的にはそこそこ快適に生活できそうな状況に至る。

その様子を自分で撮影していくのだ。

 

サバイバル術もさることながら、

心の強さがすごい。

どんな不良でも、裸でジャングルに置かれれば泣きだすといった話を聞いたことがあるが、

まさにその状態に身を置くわけであり、

不安や孤独は計り知れない。

 

どうやってそれを克服しているのか。

 

おそらく、自分を撮影するカメラに対して、

状況、心情の説明を行うという行為によって

カメラ、ひいてはカメラの向こうの視聴者が仮想話し相手となり、

それが心の支えになっているのではないだろうか。

 

 

西田幾多郎に「我と汝」という考え方がある。

氏の文章は非常に読みにくいのだが、以下のように理解している。

 

我(主観)は感覚によって汝(客観)をとらえるが、

それは一方的なものではなく

汝があるからこそ我の存在も確立される。

我によって汝であり、同時に汝によって我である。

 

主観と客観は別個の存在とされながら、

同時に同一の場を構成する要素である。

この考えに立つとき、主観と客観の明確な区別は不可能となり、

主観=客観という矛盾が存在する。

だが、この矛盾こそが我々が生きている世界なのだ。

 

他人がいるか否かで世界の性格が変わるのだ。

他人がいることで生き方が変わる。

この時、他人の存在は自身の存在理由と言えるかもしれない。

 

カメラ(他人)の存在があることで、

冒険家は困難を乗り切る力を得ているように思う。

実際の他人ではなくカメラである以上、

それは大きな効力ではないとは思うが、

それでも「他人の存在」たりえ、

自身の存在理由たりえるのだろう。

 

 

コロナ以降、ライブが簡単にできない状況が続いている。

以前のように当たり前にライブがあり、人が集まる状況ではなくなってしまった。

 

そんな中でのライブ活動として、配信を選ぶ人も多い。

先のことはわからないが、

密な環境を避けることが必須とされる以上、

今後、配信はライブ活動の主軸の一つとなっていくのかもしれない。

 

配信演奏時の観客はカメラだ。

「他者」ではあるのだが、ちょっと遠い「他者」。

いままでのライブのように目の前に人がいて、

その人と共にライブ環境を作るというわけにはいかない。

 

カメラ前の音楽表現は少しずつ変化していくだろうと想像しています。

より配信に適した形に。

これは否定的な見解ではなく、期待しての言葉です。

環境が変わることで、今まで聞いたことの無い音楽が出てくるかもしれない。

音楽は過去の歴史でも変わってきた。

これからどうなっていくのか。楽しみだ。

 

オールドタイプの私は対応できるか自信がありませんが・・・

 

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さて、そんな中、久々のライブ告知です。


-Burst Your Picnic- @宮ヶ瀬湖畔園地 野外音楽堂 ◉2020年11月7日(土) 出演 ■DAYBREAK ■NAMASTE ■NILOMETER ■NOT IT ? YEAH! ■RENA ■WEIGHT 挨拶 11:10〜 開演 11:20〜 終演 16:00 入場観覧 無料 雨天中止 (開演途中の小雨続行)



密になりえない、自然の中でのライブ。

すごく楽しみです。

 

思えば企画者のDAYBREAK 石浦さんとも古い付き合い。

20年まえくらいに彼の企画に参加させていただいて以来。

 

その時も会場は今回のように公共施設で、

八王子市の文化会館音楽室だった。

DIY、ローチャージの企画で興味深く参加させていただいた記憶だが、

あれから成人式を迎えられるくらいの年月が経過した。

 

おたがいおじさんになるわけだ。