2023年7月19日水曜日

ナガメ

 

山の中に引っ越してきてから、

小さいながらも庭に畑を作っています。

 

以前、高尾に住んでいた時も

小さな畑をやってはいたのですが、

少しスケールアップし、家庭菜園以上畑以下という感じのサイズでやっています。

 

冬の間に雑草を抜いて、土を耕し、

鹿、猿が多いので、一応柵なんかもつけて、

春前くらいからいくつかの野菜を植えている。

 

夏が近づくにつれて、たくさんのお客さん(虫)がやってくる。

アオムシ、夜盗虫、毛虫、絵描き虫、バッタなどなど。

そしてここ最近、大量に増えてきたのが、

ナガメというカメムシ。

 

菜っ葉を食べることから、ナガメというらしく、

ぱっと見、毒虫かと思わせる、赤と黒のド派手な見た目。

中邑真輔みたいだ。

 

畑を荒らす虫としては結構ポピュラーらしく、

WEB上で「畑を荒らす虫のワースト1」に挙げている方を見かけたくらい厄介な虫。

木酢液やら自家製虫よけ液なども試してみましたが、全然効かない。

私は使いませんが、農薬の類でも効き目があるものは少ないそうです。

 

畑に行くと、大量に見つかる。

交尾中のものも結構いたりして、増える気まんまん。

よっぽどうちの畑は暮らしやすいのでしょう。

一応こちらの存在に気付くと、葉の後ろに隠れようとしたりするのですが、

そのバレバレっぷりもなんか腹立たしい。

 

一般的な対策は「捕まえて圧殺」という

なんともボルトスロワーなもののようなのですが、

殺してしまう、というのはなんか違う気がする。

なので、デコピンで葉っぱから落としたりするのですが、

まぁ、そんなことで減ってくれるはずもなく、増える一方。

大根、小松菜、のらぼう菜、ブロッコリーはどれも丸坊主だ。

 

忌々しさの中で、ふと思う。

 

そもそも、ナガメが大量に沸いた原因は彼らにあるわけではない。

私が畑を作り、昨年まではなかった彼らの好物の野菜を植えたことによる。

私が植えた野菜群がナガメを呼び、増やしたのだ。

いうなれば、私がナガメを増やしたということになる。

 

彼らが異常なのではない。

私が異常を作ったのだ。

そう思ったら、まぁ仕方ないという気持ちになった。

というか私の腹立ちはお門違いだ。

 

自然農的な考え方で行けば、

こうしてナガメと共存しているうちに、

ナガメが増えたように、今度はナガメの天敵がふえていくことで

少しずつ状況は改善されていくだろう。

 

この「少しずつ」は年単位の話なので、

なんとも悠長な話ではあるのですが、

こういう考え方を持つためにやってる畑だったりもする。

学びの機会をくれたナガメに感謝しつつ、気長にやっていきます。




2023年7月11日火曜日

挑戦

 

以前の記事で書きました、エレキベースでの弓弾きの導入、

前回記事で書いたフレットレスベースの導入と、

新しいことへの挑戦を進めており、

そんなわけで今まで以上に熱心に練習を重ねております。

 

なにかを習得するには、完全に下り坂な年齢ではありますが、

練習を重ねていくと少しずつは上達していけるものです。

楽器に限った話ではありませんが、

継続は自分発信でしか続かないので、

今後も楽しみながら継続していきます。

 

 

上記の弓弾き、フレットレスの他、

実はもう一つ、挑戦(勉強)をしているものがあります。

それは読譜です。

 

実は20代の頭くらいに一度読譜を勉強したことがあります。

当時、JAZZFUSIONに興味を持ち始め、

そっち系のベーシストはたいてい読譜ができることから、

読譜にも興味を持った。

読譜出来たらこんなすごい演奏できたり、曲が書けるのかと

変な幻想を持っていました。

 

また、当時は出先で思いついた曲のアイデアを残す手段がありませんでした。

今でこそスマホにレコーダーやDTMソフトが普通に入っていますので、

出先でも何らかの形でアイデアを残しておけますが、

当時は低機能な携帯電話しかない時代。

なので、携帯で自宅に電話をかけ、

留守番電話にアイデアを残したりとか回りくどいことをしていましたが、

そういう時、楽譜で残せれば便利だな、なんて思い、

読譜勉強に着手した次第。

 

ですが、難しくてすぐに挫折・・・


 

以降、「いつか読めるようになりたい」という思いが心の隅に残っており、

この度、ついに勉強を再開してみた。

 

具体的な勉強法としては、

仕事での電車移動中はスマホアプリでの勉強、

また、自宅ではコントラバスの教則本を弾いてみている。

フレットレスに慣れる練習にもなる。

 

とまぁ偉そうに書いたものの、

まだまだ全然読めない・・・

読めないながらも、先述の話ではないが、

少しずつは上達してくるものです。

このまま続けていって、いつか自分の曲を楽譜に落とし込めるくらいの

読譜能力を目標にしています。

 

 

誰だったか忘れてしまいましたが、海外のスタジオ系ベーシストが、

「楽譜が読めるべきだと思いますか?」との質問に対し

「人は文字を読めるべきだと思いますか?」と返していたのを読んだことがある。

 

楽譜は文字と同様に作者の思いを作者本人が残すことができる。

モーツァルトの描いた世界も、伊福部昭の描いた世界も、

作曲者たちの意志を、書き残されたそのままの形で読むことができるのだ。

演奏者の違い、録音環境、録音時代の違いなどが味をつけてしまう前の、

素の状態の曲がそこにある。

 

これって、本当にすごいことだと思う。

以前、木田元さんの本で、

アリストテレスの思想が翻訳を通じて世界に流通される過程で、

誤訳がそのままに浸透していってしまったという例を読んだことがある。

 

本当は本を読むにも、作者の書いた言語をそのままに読むのが理想的だ。

だが、そのためには各種言語を使えるようにならなければならず、

ちょっと現実的ではない。

どうしても翻訳本を読むしかないが、

それらは言葉の壁で微細なニュアンスが削られ、

翻訳者による意図せぬ色付けがなされている。

 

楽譜にはそれが無い。

世界共通なのだ。

 

楽譜の絶対視には危険もあると思う。

西洋音楽から生まれたフォーマットである楽譜に

落とし込むことのできない音楽もたくさん存在するし、

強引に落とし込むことで、言語ほどではないにしても誤訳もあり得るだろう。

でも、そんなことを考えるのは全然先の話し。

まずは読譜ができるようになってから考えていくことにしょう。

 

 

なんか、勢いでいろんなことに挑戦をしはじめてしまってます。

そういう時期なのかな。よくわからないけど。

 

ちなみにいい機会(?)なので、

読譜のように、やりたい、できるようになりたいと思っていながら、

踏み出せていないことをリストアップしてみた。

 

ちょっと恥ずかしいので、ここには書きませんが、

意外とズラっと出てくるものです。

たまにはリストを見直して、少しずつでも踏み出していこうと思います。