2023年2月26日日曜日

関西出張

 

先週、仕事で関西方面に出張に行ってきた。

大阪、京都での4件の打ち合わせということで

久しぶりに宿泊を伴う関西出張。

コロナ以降では初のことだ。

 

久々の関西宿泊にかこつけて、プライベートな予定を設けた。

「大先輩であり、先生でもある某氏と夕飯に行く。」

 

氏はこの拙ブログを見てくださっているとのお話しですので、

お名前は控えさせていただきますが、

私が「関西の大先輩」と呼ぶ時点で、

どなたか察する方もいらっしゃるかもしれません。

過去に何度か楽曲をカバーさせていただいているあの方です。

 

過去にカバーをさせていただく際のご挨拶などで

お電話させていただいたことはありましたが、

こうして直面でお話しするのは20年ほど前の旧20000Vでの

ライブ後の店打ち上げ以来。

サシでお話しするという意味では初のことだ。


23時くらいまで梅田の飲み屋でじっくりとお話しさせていただく。

なにか明確な議題があるわけでもなく、

お互いの近況、会わなかった間の活動、昔話、今後の活動などなど。

 

あっという間に過ぎていった時間でしたが、

後で思い返すと反芻に時間がかかる濃密な時間だったことに気づく。

素晴らしくて楽しい夜でした。

 

こういう場合、「昔の自分からしたら信じられない」なんて表現したりします。

私もよくそんなことを言ったりするのですが、

この表現って少しナンセンスかもしれないですね。

昔の自分はそんなことを思っていなかった。

 

あのころはずっとその時代が続くと思っていた。

だが、時代が変わるなかで音楽という

お互いをつないでいた関係項が失われていく。

熱意を失ってしまうこともあれば、

何らかの事情で已む無く辞めざるを得ない場合もある。


同じ意味で共有していた「音楽」という言葉が、

それぞれで別の意味を持っていくことで、関係が変わっていく。

もしくは関係が途切れていく。

 

今回こうしてお会いできたのは、お互いがいままで音楽を続けてきたことでの、

そしていつか再会したい、と思いつづけてきたからこその必然であり、

奇跡でもなんでもないのかもしれない。

お話しするなかで、氏の音楽愛を強く感じさせていただいた。

私も音楽愛は負けないつもりだ。

そんなわけで今後もお会いさせていただくことでしょう。

 

 

呑み屋を出て、宿泊地の京都についたのは

0時過ぎでした。

日中は渋滞しがちな大通りもガラガラでほとんど車がいない。

歩道に人影もなく、眠る京都といった感じだ。

 

以前に奈良に旅行に行った時にも同じ風景を見た。

駅前の宿に泊まり、夜中に駅前ロータリーを見ると

驚くほど人がいない。

 

東京は眠らない街が多い。

深夜でも車が走り、人影が多い。

私は眠る街の方が好きだ。

ちゃんと眠り、去勢ではない生気を感じさせる街が好きだ。

 

そんなことを思いながら、ビジネスホテルまで歩きました。


 

コロナも落ち着いてきて、

人に会うこともできるようになってきた。

会って話すというのはメール、SNSとは全然違う。

人はもともとそうやって意思疎通するようにできているのだろう。

性格的についつい億劫に感じてしまうのですが、

今年は積極的に人に会う年にしようかと思う。

 

 

2023年2月20日月曜日

FUZZリードの名演

 

突然ですが、FUZZっていいですよね。


 あの倍音感が大好きで、

ele-phantをやっていたころは結構な数のFUZZに投資したものでした。

 

リフで使うならBIGMUFFのような轟音系FUZZが好きですが、

リードとなるとFUZZFACEFUZZ FACTORY系の

チリチリした倍音たっぷりなFUZZが好き。

 

倍音大盛りFUZZで切り込んでくるギターソロには

何とも言えない迫力があり、

また、不思議と琴線に触れてくる。

 

倍音の多い声質の歌は、なぜか魅力があるものです。

民謡に達人の歌はたいてい倍音たっぷりだ。

倍音にはそういった効果があるのだろう。

 

阿部薫さんは「音の速さ」にこだわり続けたと言いますが、

この速さとは音量立ち上がりの瞬発力とか、そんな簡単な話ではなく、

おそらく、含めうる倍音を

瞬時に確実に響かせるといったことだったんじゃなかろうか。

一聴しただけでなぜか悲しくなる

阿部薫さんのサックスの秘密はこれなんじゃないかなと思う。

 

さて、前置きが長くなりましたが、

今回はそんなFUZZギターリードの名演を紹介させていただきます。

(あくまでも主観に基づくものですので、そのおつもりで。)

 

まずは御大ロバートフリップのこちら。


ギターソロは1:50あたりから

BRIAN ENOのアルバムに参加した際の名演です。

 

キングクリムゾンではそこまでFUZZリードの印象があるわけでもないのですが、

こうしてゲスト参加の時にはすごい存在感のあるFUZZが聴けます。

ふわーっと演奏に入ってきてその場を持っていく様が素晴らしい。

 

 

 

続いてCOMETS ON FIRE

ギターソロは5:10あたりから


ダブルになっているので少しずるいのですが、

アームダウン(かな?)との合わせ技での導入部がすごくきれい。

その後も浮遊感のあるソロが場を色づけます。

涙目になります。

 

 

お次はボブバルチ(FU MANCHU)のリード。

メタリカトリビュートアルバムでの演奏です。

 

ギターソロは4:50あたりから


FU MANCHUFUZZキチながら、

あくまでもリフでの多用といった感じで、

リードに印象は無かったのですが、

この演奏は素晴らしいです。

 

このトリビュートアルバム、有名人が多く参加しているのに、

名演は本当に少なく、がっかりアルバムなのですが、

このリードは聴きごたえ十分で救われます。

ワウとの併用で切り込んでくる瞬間にぞくぞくします。

 

ちなみにこの曲でベースを弾いてるのはレミーだったりします。

レミーの普通のベースが聴けるという意味でも面白い音源です。

 

 

 

最後は割礼です。


 

出だしの宍戸さんのBEEBAA FUZZイントロに

きれいに乗ってくる山際さんのFUZZ FACTORYの図太い音。

うーん、出だしでもう泣きそう。

 

リバースディレイを多用した山際さんのソロも、

中盤以降のフリー度の高い宍戸さんのソロも素晴らしい。

こんなこと書いていたら、割礼のライブを見たくなってきた。

 

 

以上です。

 

FUZZって本当にいいものですね。

最近はいろいろと思うところがあって、

生音にこだわってソロ音楽を作っていますが、

いずれまたFUZZ沼にどっぷりとつかった音楽もやってみたいところです。

 

 

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さて、前回記事でも告知させていただきましたが、

今年初のライブが決まりました。

 


 

ちょっと駅から距離があるので、

なかなか行きにくいところではありますが、

出店やキッチンカーも出たりと、

ライブ抜きにしても楽しいイベントです。

 

お誘いあわせの上、よろしくお願いします!

 

2023年2月13日月曜日

今年の初ライブはお寺です。

 

今年の頭にジェフベックが亡くなった。

 

すでに2年前にティムボガードが亡くなっているので、

BBAは2人が天国に行ってしまったことになる。

 

また、昨年末にはマニュエルゲッチングもファラオサンダースも亡くなった。

 

音楽以外でもアントニオ猪木も亡くなり、

結構前ですが、志村けんの喪失もいまだに実感がわかない。

年齢を考えると全然不思議なことではないのですが、やっぱり悲しい。

 

苦しいがこればっかりは仕方ない。

自分の中では今でもBBAは信じられないアンサンブルを轟かせているし、

マニュエルはSUNRAINを降らせ、ファラオの咆哮が響く。

喪失は悲しいものですが、

こうして素晴らしい作品を残してくれた英雄たち、先生たちに感謝するしかありません。


 テレビ、レコード、CDの全盛期を飾ってきた英雄たちは、

もうみんなそういう年齢になってきている。

そんな時代に青春時代を送ってきた我々の世代は

これからも当分の間、

喪失の悲しみを味わい続けることになるのでしょう。


次は誰だろう・・・

こんな考えたくないことも脳裏に浮かんでしまいます。


ファラオサンダースはコロナ禍でも配信ライブなどをやったりと、

お歳を感じさせない活発さでしたし、頻繁に日本にも来てくれていたので、

コロナが開けて、次に来日してくれるときには

絶対見に行こうと心に決めていたのですが、かないませんでした。


見に行けるうちに、会いに行けるうちに動かなくてはいけませんね。

改めて肝に銘じました。

 


 

さて、名栗に引っ越して初のライブが決定しました。

 

こちらのイベントで演奏させていただきます。

 


このイベント、昨年秋にも開催されており、

その時はお客さんとしてうかがわせていただきました。


お寺の境内に出店、キッチンカーが並び、

山の中で静謐な空気を受けながら、

おいしい料理、おやつをいただき、交流ができるという素晴らしい空間です。

 

私の出演時間は未定ですが、

おそらく、25日土曜のAMPMに2ステージ演奏させていただくことになるかと思います。

詳細が決まり次第、ブログにて書かせていただきます。

 

なお、妻も「にじいろのめ」という名前で出店参加します。

妻の描く世界観のグッズの販売の他、

私の音源も販売の予定です。

 

車じゃないと行きにくい場所ではありますが、

お寺による送迎もございます。

非日常の空間でのライブ。

非常に楽しみです。



2023年2月2日木曜日

プラスチックの問題

 

山間部に引っ越したり、

ABNORMALS時代は結構活発に音楽活動させてもらったりとか、

自由に生活させていただいている風ではありますが、

私は普通にしがないサラリーマンでして

ものつくりの業界にて20年ほど

プラスチック製品の設計、量産工程の立ち上げなどを仕事にしています。

 

また、音楽以外の趣味として造形、模型も続けており、

こちらも主にプラスチックを材料とした趣味となります。

 

私の生業にみっちりと関わっている「プラスチック」

多機能で加工性もよい素晴らしい素材です。

ですが、プラスチックが世界に普及し始めてから約100年経ち、

いろいろな問題が顕在化しています。

 

海に捨てられたり、河川から海にたどり着いたプラスチックごみが

海洋生物に影響を与えている海洋プラスチック問題、

捨てられたり放置されたプラスチックが砕けたり削れたりして

回収不能な微粒子状態で自然環境に残り続けるマイクロプラスチック問題、

さらにはプラスチックを作る際のエネルギー問題、二酸化炭素排出問題などなど、

多々の問題があります。

今のままのプラスチック消費生活を続けるということは

これらの問題をさらに拡大させていくことに直結します。

 

そんな中、環境配慮プラスチックというものが徐々に脚光を浴びています。

プラスチックに天然素材を混ぜ込んだ材料や、

天然素材のみで作成したバイオプラスチック、

放置してもいずれ土に帰ってくれる生分解性プラスチックなどがあり、

プラスチックによる環境汚染に対して国際的に法整備も進む中で、

各プラスチック材料メーカーがそういった環境配慮材料の開発に力を入れ始めています。

 

実は、私も仕事でそういった材料の評価、検証を行っており、

いろんなメーカーと話したり、プラスチック汚染について勉強する機会も多く、

何とかこの問題群解決に協力できないものかと努力しているつもりなのですが、

その中でいろいろと葛藤がわき、苦しんでいます。



問題解決の唯一にして、一番わかりやすい手段は、プラスチックを使わない世の中をつくることです。

ですが、それは不可能でしょう。

産業革命時代に戻れ、江戸時代に戻れ、と言っているわけですから

経済活動、政治活動、文化活動など含め、すべてにおいて根底を変えていく必要があり、

現実的ではありません。

 

となると、プラスチック汚染をいかに食い止め、

いかに共存するか、という話になります。

そんなわけで上述のとおり、各材料メーカーが環境配慮材料を研究開発しているわけですが、

これも解決に直結する話ではありません。

 

天然素材を混ぜようが、天然素材から作ろうがプラスチックはプラスチックです。

海、山に捨てればそこに残り続けます。

生分解してくれるならばOKかと言えば、そうでもありません。

 

先日、ある材料メーカーさんと話していて、生分解樹脂について興味深い例え話をききました。

生分解材料というと、その最右翼は木材です。

木材は間違いなく土に帰ります。

だが、その木材で出来た古墳、古寺は1000年以上健在だったりする。

生分解プラスチックも分解環境がそろわなければ、同じように残り続けることがありうるのです。

 

また、別のメーカーさんとの話では

海洋分解するプラスチック製品が一か所で大量に分解されれば、

それにより海水の糖度などに変化が出て

赤潮などの別の問題が起こる可能性があるらしい。

 

こうしたジレンマを抱えながらも各種メーカーは研究開発しているわけですが、

ここにも矛盾がある。

 

結局、メーカーはここにビジネスチャンスを見ているのです。

新たなスタンダードになりうる材料をいち早く提示して、

それを拡販したいのです。

だが、そうして作られるプラスチックは上述の通り、

問題解決に直結するわけではない。

(もちろん石油由来の「今のプラスチック」よりはマシですが。)


それらの環境配慮プラスチックも大量につくられ、廃棄されれば

程度はともかく同じ問題に行きつくのです。

 

このジレンマは材料を作る側(材料メーカー)だけでなく、

その使い方を考える私のような職種にも同様に起きます。

新材料群をなんとか環境負荷を減らすことに使うべく研究する一方、

それを商売につなげる方法も考えなければならない。

あーいやだいやだ。

 

 

 

言うなれば我々は詰んでしまっている。

 

こんなことを考えながら、近所の山の中を歩くと、

信じられないようなところにプラゴミが落ちていたりして、また暗澹たる気持ちになる。

 

我々が普段着ている服、履いてる靴、乗ってる車にも

たくさんのプラスチックが使われています。

それらをまとって自然の中に入れば、その時点で、

マイクロプラスチックのいくらかをそこに置いてくることになるのです。

服から落ちるプラ繊維、靴から削れる合成ゴム、車からはがれ落ちる合成塗料・・・

 

もちろんそれらは微々たるものだ。

でも、捨てられたプラゴミと、落としてしまったマイクロプラの違いは

大小の差しかないのかもしれない。

どうやっても今の生活を続けている限り、環境に負荷をあたえてしまうのだ。

 

 

 

結局のところ、我々にできることと言えば、

できるだけ無駄なプラスチック製品を作らず、買わず、

捨てるときは確実な処理方法で捨てる。

これを徹底するに尽きると思う。

 

意識を持ってできるだけ気を付けるしかない。

個々が意識するしかないのです。

 

レジ袋が有料化された際、

そんなことで削減できるプラスチック使用量は大したことが無いから

無駄な行為だという非難が沸き起こりました。

私は無駄ではないと思います。

使用量削減には低意義だとしても、

プラスチック問題の存在を多数の人に意識させたことに意義があったと思います。

こうして少しずつでも人々に周知のきっかけを作っていくしかない。

 

こういう問題に触れると、

「意識高い系」なんて言葉で揶揄するのが流行かもしれません。

高低なんてどうでもいい。大事なのは意識の有無です。

 

先述の通り、私の仕事はプラスチックものつくりです。

趣味はプラスチックでの造形です。

そして生活する限り、何らかのマイクロプラスチックをまき散らしています。

だがせめてそれを最低限に抑えていきたい。

 

それを積み重ねれば、廃棄を回収が上回り、

回収不能なレベルのもの以外は回収しつくせる日がいつか来るかもしれない。

 

そんなことを夢みつつ、

これからも意識を持ちつつ、生活していこうと思っています。