知る人ぞ知るパンク界の名カメラマン、
「松下のおばちゃん」が亡くなったそうです。
高円寺20000ボルトに出演していたころ、
一時期は毎回撮影にきてくださってました。
小柄でガラガラ声、ちょこちょことステージ周りで
カメラをふるう松下さんを最初に見たときは
凄く不思議に思った。
今よりもライブハウスがキナ臭かった時代。
まさか誰かのお母さんというわけもないだろうし、
関係者というにはあまりにカジュアルなおばちゃんルック。
この人はどういう人なんだろう??
何度か遭遇しているうちに
私のバンドBucket-Tのライブを拝見していただく機会があり、
ありがたいことに気に入っていただけて、
以降、写真を撮っていただけるようになった。
松下さんは当時50歳ちょっと、私は20歳前後。
撮影いただいた後はしっかりと現像された写真を自宅に郵送してくださる。
そのころ、実家暮らしだったので、
母は自分と同じ歳くらいのおばちゃんから息子の写真が届くことを
少し不審に思っていたそうです(笑)。
当時、松下さんと色々お話しました。
曰く、趣味で写真を撮り始め、
被写体として、高円寺の町にうじゃうじゃいたパンクスを選び、
ライブハウスに足を運ぶようになったとのこと。
あれから30年。
私は当時の松下さんと同じくらいの年齢になった。
そして思う。
今、私が新しい趣味を始め、
若者たちの中に一人で飛び込んでいけるものだろうか。
その後、活動の場が少しずつ変わっていく中で、
松下さんとも疎遠になってしまったが、
松下さんは撮影を続け、
写真集も発売するくらいの名カメラマンになった。
何をやるにも遅いなんてないってことを体現した松下さん。
本当にすごいな。
松下さんにいただいた写真を探したんですが、
どこかに埋もれて出てこない。
と思ったら、当時アンチノック系ライブハウスが発行していたフリーペーパーで
Bucket-Tをインタビューいただいた号が見つかった。
これも松下さんに撮っていただいた写真だ。
「私みたいなおばちゃんが写真撮ってると、
勝手に撮ってんじゃねえみたいに凄んでくるハードコアの人なんかもいるんだけど、
気にせず撮ってるうちに、仲良くなっちゃって、
また撮って、なんて言われることもあるの。」
松下さんの笑顔を思い出す。
楽しい思い出をありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
新しいことにチャレンジしていきたく思っております。