2025年11月26日水曜日

無題

 

いよいよ今年も残すところひと月ちょっととなり、

年末の色合いが強くなってきた。

 

そんな昨日、喪中はがきが届いた。

差出人は子供のころの友達の奥様。

混乱とともに内容を確認し、友達の死を知りました。

 

悲しいことに小学13年生の頃の親友がなくなってしまった。

 

 

私は父の仕事の都合で引っ越しの多い子供時代を過ごしました。

東京の練馬で生まれ、小学校に入るタイミングで愛知の田舎に移住し、

そのまま3年生の夏休みまで名古屋で過ごしました。

その時の親友が亡くなってしまいました。

私と同い年なので享年49歳。早すぎる。

 

小学生低学年のころの親友というのは

その後の友人と比べて密なものではないでしょうか。

私たちはほぼ毎日一緒に遊んでいました。

学校でも一緒、放課後は
山や森、田んぼで一緒にカエルや虫を追い回して遊んだ。

 

近所に通称“二つ池”という、
直径100mほどの池が隣接している場所があり、

そこによく遊びに行った。

水深が浅く、池というより沼といった感じのどんよりした場所だ。

 

子供というのはおかしなことを考え付くもので、

2人で池を横切って向こう岸まで歩こうとしたことがある。

池の真ん中くらいまで足がついていたが、
だんだんと深くなっていき、ゴム草履を履いた足が泥にとられる。

恐怖とともにあきらめて戻りましたが、
今思えば、命に係わる事故が起きても不思議じゃない。

無茶なことをしたものです。

 

 

3年生のときに東京に引っ越すこととなり、別れることになった。

引っ越しが決まったときは大泣きして親を困らせた記憶がある。

 

その後は年賀状を主とした文通でつながりつづけた。

5年生のころにお互いの家(愛知と東京)に泊まりにいったことがあったが、

会ったのはそれが最後。

でも、その後も年賀状のやり取りはずっと続いた。

年賀状がすたれて行ったり、年齢とともに筆不精になったりしても
彼との年賀状だけは続いた。

 

年賀状を通して、お互いの結婚、彼がお子さんに恵まれたこと、

家業を継いでいることなど、近況を交換し合い、

常々最後の文章は「またいつか会おう」だった。

 

残念ながら会えずに終わってしまった。

仕事でもバンドでも何度も愛知に行っていたのに。

 

一度開いた距離を詰めることが面倒でもあり、

「また今度」で済ませてきてしまった。

今は強烈な後悔と喪失感を感じています。

 

先月にはBucket-T時代から仲良くしていただいた
先輩ベーシストの急逝がありました。

尊敬するミュージシャンであり、面白い兄貴であり、

ご自身が音楽活動をなさっていない時期でも、

なんだかんだで私の活動を見続けてくださった理解者でもあった。

 


続く訃報に、久しぶりに死別のつらさを噛みしめています。

なんで人は死んでしまうのだろう。

何で人生にはこんな悲しいことが約束されているのだろう、と

青臭い思いに取りつかれながら。

 

年齢とともに、こうした機会は増えていく。

そのたびに自分の歴史の共有者も失われていく。

死別の苦しさにはそういった意味もあるのかもしれない。

もう、二つ池を踏破しようとしたことや、

高円寺の飲み屋でのバカ話の共有者はいない。

私だけの歴史になってしまった。

 

 

 

月並みな言葉かと思いますが、

残されたものは故人の冥福を祈りつつ、

思い出を、失われた歴史を何らかの形で昇華していくべきだ。
そんな風に思う。

 

せっかく音楽という表現行為に恵まれているのだから、

友達や先輩からいただいた経験を落とし込み、

そこに思いを残していきたい。

 

そんなわけでとん挫してきた

アルバム作成に改めて取り組むことにしました。

 

勝手なことを言ってゴメンだけど、

2人とも天国で見ててください。

いつか感想を聞かせてください。

 

 

 

 

 

2025年11月19日水曜日

さらばパオ

 

突然ですが、愛車を手放すことになりました。


私の愛車は日産のパオという車です。

私が中学生の頃に発売された車ですので、

もう35年選手。

走行距離も25万キロ近い。

 

子供のころ、パオを街で見かけてほれ込みました。

大人になったらアレに乗りたい、と強く思いました。

その思いが実り、愛車としてともに過ごしてきたのですが、

いよいよ限界になってきた。


今乗っているパオは我が家では2代目にあたり、

初代で7年、今のパオで8年、

通算15年くらいパオに乗っているかと思う。

 

古い車である上、走行距離もかさんでいることもあり、

車検の度に恐ろしい金額が飛んでいく・・・

初回が30万、2回目が20万、3回目も20万・・・

その他にも修理で総額20万近くかかっている。

仕方ないのですが、本当にお金がかかる。


本来はお金持ちが道楽半分で乗る車なのだろう。

それを山暮らしの足としてきたわけで、
そりゃいろいろと無理が出てくる。


例えば、エアコンの効きが悪く、エアコンをフルパワーにしても

夏は汗だくで熱中症の危険を感じながら乗ることになる。

いや、エアコンの効きが悪いのではなく、

今の夏が異常なのだ。
この車が生まれた80年代はこのエアコン機能で十分だったのだろう。


冬は暖気に時間がかかる。

そろそろいいかな、と思って発進したらすぐにエンスト‥なんてこともある。

他にもトルクが無さ過ぎて坂道で原付に抜かれたり、

エンジンからオイルがしみ出してたり、

ドアを閉めても隙間があったり、雨漏りしたり・・・


我ながらよく乗り続けているな、という状況だ。


 

11月から仕事の形態を変えた。

仕事内容は変わらないが、勤務スタイルを変更し、

勤務日数を減らすこととなった。

結果、心身ともに楽にはなるが、実入りは減ることになった。

 

残念だが、「好き」という理由だけでこの車を維持し続けるのは難しくなってきた。

また、10月にオーストラリアに行ってから、

今後の活動の中に定期的な渡豪を考えたく思っており、

そのためにもできるだけ節約したい。

 

そんなわけでいよいよ買い替えすることに決めたのだ。

 

下取りに出したところ、笑っちゃうくらいの安価でした。

古さ、走行距離、状態を踏まえると仕方ないか。

下取りしてくれる以上、手を入れてまた転売されるのだろう。


かわいくて、楽しい。

道具というよりも相棒。大好きな車でした。

誰かいいひとに買ってもらえるといいな。

さらばパオ。達者でな。

 

 


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さて、告知です。


次回ライブは今週末。

久しぶりの山の手です。



2025/11/22

EXECUTION GROUND&NOVEMBRE RECORDS presents "FULL-CONTACT vol.2"

・ambivalence(名古屋) ・NIRVANA 420 ・斉藤新 ・Vintage Humanoid

open 18:30 start 19:00

Door ¥2500 1D付 


宜しくお願いします!





 

 

 

2025年11月4日火曜日

オーストラリア バスキング遠征 その4(最終)

 

1019

 

帰国前日

530 起床 坐禅

 

630 起きてきた妻とともに、

昨日同様、フラットホワイト+パンケーキで朝食。

 

早めにホテルを出て、タウンホール駅に向かう。

この日が最後のバスキングデイとなる。

何となくさみしい。

 

10時ころ、タウンホール駅に到着。

日曜の朝ということで、人通りは少なめ。

澄んだ空気が気持ちいい。

 

朝一のバスキングは市役所横のQVB(クイーンビクトリアビル)の銅像前。

このビルも19世紀末に完成した由緒正しい建物でして、

市役所同様、シドニーのランドマーク的な存在。

市役所に面して銅像が立っており、よくバスカーがいる場所でもある。
(写真はWEBからの拾いものです。)



 

信号、路面電車、鳥、人の声・・そんな雑踏の中で演奏。



この時が今遠征中で一番いい演奏ができた気がする。

先述の通り、人通りはすくなく、チップもあまりいただけなかったが、

凄く充実した時間でした。

 

1時間ほど演奏し、休憩がてら早めの昼食。

前日と同じフードコートへ。

この日は一番星ラーメンという
オーストラリアの日本食チェーンで醤油ラーメン。

鳥と魚のダシが沁みます。

失礼ながら、期待以上にちゃんとしていてびっくりしました。



 

昼食後は第2ラウンド。

また大きくは場所を変えず、市役所横の教会前。

ここでも1時間ほど演奏。



 

前日は第2ラウンドまでで終了としましたが、

この日は最終日なのでもう1ラウンドやります。

とはいえ、1度ホテルに帰り、本格的に休憩し、

夕方出直すことにします。

 

バスキングは夕方が多いといった情報もありましたので、

改めて夕方も試してみようという考えです。

 

ホテルに戻る前に、ちょっと寄り道。

シドニーの老舗レコード店REDEYEを覗く。

実は初日にも同店を少し覗いており、いいお店と感じておりました。

そこで、お店への応援と自分へのお土産的な意味で、

お店のオリジナルシャツを購入。

 

レジに立ち、購入手続きをしつつ、

ふとレジのガラスケースに並ぶカセットテープを見ていて、

KYUSSの非売品プロモテープを発見!

興奮しつつ店員さんに値段を聞くと18ドルとのこと。

店内の他商品と比べても破格。飛びついて購入。

興奮気味の私を見て、横に並んでいた女性客がカセットを指さしつつ

GOOD BAND」と一言。お~わかってますね~。

にやにやしながら会計を済ませ、レシートをみたら80ドルでした。


エイティとエイティーンを聞き間違えたようです・・・

いや、全然後悔はないです。KYUSS大好きだし。

 


そんなこんなでいったんホテルへ戻り、休憩。

そして15時過ぎ、もう一度タウンホールへ向かいます。

 

これが今回最後のバスキングになる。


もう一度銅像前でやりたいと思いましたが、

残念ながら先客あり。

そこで最初と同じ市役所前でやることに。

 

夕方になり、人通りも増えており、

市役所前にも人がいる。

バスキングしようとしている場所のすぐ脇で2人の男性が立ち話をしている。

そんなところで音出したら悪いかなぁ‥と思いつつ、念のため、

“Can I play here?”と恐る恐る聞いてみると、

2人とも何でそんなこと聞くの?といった感じに口々に“Sure!Sure!”との返事。

改めてバスキングへの理解、浸透を感じる。

 

そして最後のバスキング開始。


 

うっすら日が傾きつつある中、

雑踏と自分の音が混ざっていく。

 

45分くらい演奏したころ、

ふと横で絵を描いている妻の方を見ると、

3人の子供が集まってきて、妻と一緒に絵を描いている。

どうやら、通りかかった子供たちが自分たちも描きたい、
として寄ってきた様子。


 

妻はつたない英語で子供たちとコミュニケーションをとりながら、

一緒に絵を描く。


演奏をやめ、その様子を見ていました。

子供たちも妻も本当に楽しそうだ。

 

こうして最後のバスキング終了。

もう1ラウンドやりたい思いも少しあったのですが、

いや、ここまででいい。

なんだかこれが今回最後の
”にじいろのめ”
バスキングにふさわしい感じがする。

 

 

1020

 

帰国の日です。

 

朝起きて、昨日までと同様に

ホテル前のカフェ ジプシーエスプレッソへ。

パンケーキとフラットホワイトで朝食。

 

こんなに名残り惜しくなるとは思わなかった。


4日間お世話になったホテルをチェックアウトして空港へ。

8時間のフライトを経て、無事帰国しました。


 

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今回のオーストラリア遠征、本当に得るものが大きかった。

勧めてくださったシスターポールに本当に感謝いたします。

でも、何を学び、何を得たのか、うまく説明できない。


2週間経った今でも反芻の日々が続いています。 

唯一つ言えるのは間違いなく再訪するだろうということです。


お金貯めなきゃな。

 

あ、一つ明確に変わったことがあります。

あれから我が家ではフラットホワイトを自分たちで淹れるようになりました。

妻がフォームミルクを、私がエスプレッソを研究中です。

次にジプシーエスプレッソに行くときには味比べしてやるのだ。