以前にも書いたかと思いますが、
私が音楽にはまるきっかけになったのは、
高校1年生の時に聴いたブルーハーツでした。
高校生の頃、私は器械体操部に所属しており、
夏休みには学校に泊まり込みで練習を続ける
校内合宿というイベントがありました。
合宿中、1年生は朝から練習を続ける。
夜になると、もう引退している3年生やOBたちが陣中見舞いに来る。
一応体育会系ですので、先輩には絶対服従。
先輩たちが部屋に入ってくると、1年生の私たちはシーンと静まり、
神妙な面持ちになる。
そんな先輩の中にフォークソング部にも顔を出している方々がおり、
アコギを持ってきて、後輩たちに聴かせるでもなく
弾き語りをやったりしていました。
曲はブルーハーツの「ラインを越えて」。
姉の影響でブルーハーツのことは知っていたので、
聴いたことがない曲ながらもブルーハーツの曲であろうことは
何となくわかった。
先輩にビビりながらも、その曲に心が震えた。
合宿が終わると、すぐにレンタルCD屋でブルーハーツを借りてきて
カセットテープに収めた。
そしてそれ以降、暇さえあればポータブルカセットプレイヤーで聴き続けました。
家にいるときも、通学の時も。
あまり友達が多いタイプでもなかったので、学校でも休み時間は
一人で聴き続けていました。
毎日毎日。
現在、私が住んでいるところの最寄り駅は
高校の最寄り駅と同じ路線となります。
(かなり離れてはいますが・・)
なので、町に出るときには電車から高校を眺めることができる。
校舎も建て替わり、
私が在学していたころからは大きく外観が変わりましたが、
それでも高校の近くを通ると何となくなつかしい。
先日、高校の近くを電車で通る際、
たまたまスマホでメタリカを聴いていました。
先述のとおりブルーハーツで音楽に目覚め、
色々と聴く音楽の幅をひろげ、
高校卒業の頃はメタルヘッドになってました。
高3のころは通学電車の中でよくメタリカを聴いたものでした。
メタリカを聴きながら、車窓から母校を眺める。
昔と同じシチュエーションに、
不思議と普段聴くよりも良く感じました。
でも、ちょっと惜しい。
というのも、私にとってリアルなメタリカはカセットテープの音。
スマホで聴くMP3ではない。
カセットで聴いたらもっと良く聴けそうな気がする。
うーん、カセットで聴きたい。
いや、待てよ。
もしも同じように高校の脇を抜けながら、
あんなに聴き続けたブルーハーツをカセットで聴いたら、
どんな気持ちになるんだろう。
そこで、カセットプレーヤーを買ってきて試してみた。
幸い、ブルーハーツのカセットは当時にダビングしたものを
まだ持っている。
仕事の帰り道、電車の中でおもむろにカセットを取り出す。
カセットをプレイヤーに入れるカチャカチャ音も何となく愛らしい。
そして再生ボタンを押す。
おお。あの時の音だ。
音楽を聴くときのいつもの癖で運指をイメージしてしまったり、
レコーディング環境を想像したりしてしまう。
でもそんな邪念(?)も最初だけ。
どんどん引き込まれる。
懐かしいとかばかりではなく、
本当にいい曲だなと実感しながら、
記憶に染みついた歌詞をついつい口ずさむ。
カセットの音は低音域が削られ、
高音域には特有のヒスノイズが乗る。
レコーディングされた元音、元データに比べると「悪い音」だ。
でもこの音が好きだ。
「いい音」って何だろう。
クリアで異物がなく、音域に偏りがない音。
演奏者が出したそのままの音。
一般にはそんな100点満点みたいなものが「いい音」なのかもしれないが、
それは純度が高いだけであり、別に「いい音」ではない。
結局は聴き手にとって好ましいかどうかなのだ。
好ましければその人にとっていい音だ。
世間が悪いと言おうが、違和感が存在しようが。
人は本能的に他人の評価、意見、噂話を求めてしまうらしい。
原始の人間にとって、それらは生き抜くための必須情報だったからだ。
もちろんそれらは大事なことだと思います。
でも最後は自分の評価。
表現の分野に関していえばなおさらだ。
世間が「いい」と言おうが、「悪い」と言おうが関係ない。
自分次第。
カセットテープで聴くブルーハーツ。
私には最高にいい音でした。
さて、告知です。
いよいよ「のうてんふぁいら」まで2週間強です。
「のうてんふぁいら・Ⅰ」
4月20日(土)
飯能イーストコート
出演
山際英樹
斉藤新
展示、物販
斉藤マミ
にじいろ市
MCRカンパニー
めぐるみどり
チチ
開場
12:30
開演 13:00
終演 14:30(予定)
料金 2000円
※完全予約制です。
予約は下記メールまで。
sleepsleepgotosleep@gmail.com
よろしくお願いします!!
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