2025年5月24日土曜日

マッキーさんのドラム

 

先月の「のうてんふぁいらⅣ」で

SISTER PAULTHE DEAD PANSPEAKERS
共演をしていただきました。

以降、デッドパンのドラム長谷川さんと2回お会いする機会があり、

SISTER PAULドラム、マッキーさんの演奏にうけた衝撃について
熱弁いただいています。


 

マッキーさんのドラムは確かに独特で衝撃的です。

ですが、長谷川さんが衝撃を受けたのは、

一般的に目が行く「椅子の高さ」「ファッション」などの外観でも、

「音の大きさ」「スタミナ」とかでもなく

「ビート感」だそうだ。

 

あんなビート感を持ったドラマーはそうそういないとして、

憧れ、羨望にちかい感情を熱弁なさる。

曰く「あんなドラムをたたきたい」。

 

長谷川さんはスーパードラマーです。

私としてはいつか一緒に音を出してみたいドラマーの筆頭格だったりする。

また、あんまりこういうことを声高に言う人じゃない。

そんな人からここまでの言葉が出るなんてすごいことだ。

 

私もマッキーさんのドラムは大好きです。

でも、たぶん長谷川さんは私とは違う次元の何かを見ている。

それを表現できるベストな言葉が「ビート感」ということなのだと思いますが、

正直なところ、何をさしているのかいまいちわからない・・・

そして、改めて考えてみると
私がマッキーさんのドラムが好きな理由もいまいち言語化できない。

 

 

一昨昨日、早稲田でSISTER PAULのライブを見てきた。

妻がライブペイント+展示でSISTER PAUL企画イベントに参加するということで、

平日ながら、最初から最後までイベントを拝見、拝聴してきました。

 

上述の長谷川さんの言葉があり、

いつもよりマッキーさんのプレイが気になる。

長谷川さんが感銘を受けているのは何なのか。

私が惹かれているのは何なのか。

 

 

閑話休題

 

私は大学時代にドラムを叩いていたことがある。

と言っても大それたものではなく、学生のコピーバンドレベル。

それでも一時は結構熱心に練習していた。

 

ドラムを叩いていて自分なりに実感していったのは「リズムの構成」。

例えば4ビート。

ハット、ライドを4回刻み、

1,3回めにバスドラムを踏み、

2,4回でスネアを打つ。

ドラム演奏はこのように分解され、
どんなに複雑なリズムやオカズフレーズも同様に分解可能であると理解した。


座標のように時間軸の適所に音を置いていく。

その「置く」場所が正確であること、ペースが一定であることが

「いいリズム」である。そんな風に考えていた。

 

その後、卓録をやり始め、

ドラムトラックの打ち込み方法を覚える中で、

その意識はさらに強まっていきました。

ドラムトラックは完璧な座標配置が望ましい。

そうしないと、その後のウワモノの録音がやりにくくなってくる。

 

また、ベースをレコーディングするにあたっても、

同様に確実に座標上に音を置いていくことが望ましい。

 

結局、どの楽器でも「座標通り」がベストであり、

そして、それをできるのが
「うまい」プレイヤーであることだと思い込んでいった。

 

 

 

マッキーさんのドラムは必ずしも座標通りではない。

かと言って座標が無視されているわけではない。

マッキーさんの「タイム感」「リズム感」の中で確実に演奏されている。

微妙にスネアが溜まったり、バスドラがわずかに喰ったり・・

その独特な塩梅によってマッキーさんならでは、
SISTER PAULならではのビートが生まれていく。


いや、たぶんそんな解析は無用で、

ただただ「マッキーさんが叩く」 

それによってマッキーさんのリズムが作られているのだ。


 

私は即興音楽が好きです。

その面白さは「人を見ている」ことにあるかも、
過去記事に書かせていただきました。


この「人」は即興などのフリーフォーム演奏には比較的顕れやすいが、

アンサンブルが(ある程度)固定するロックのような
音楽性になるにつれて顕現しにくくなる。

 

ロックドラムではいたずらに「人」を押し出してしまうと、
ウワモノが付いていけなくなってしまう。

だからこそ座標通りにたたくことが理想だと思っていたのですが、

マッキーさんのドラムは「人」がダダ洩れしつつ、
リズムとして成立している稀有な例なのだと思う。

こんなことできる人はそうそういない。

 

デッドパン長谷川さんが「ビート感」と表現したものが、

ひょっとしたら私のいうところの「人が出ている」なのかもしれない。

 

 

現在、私がやっているソロ演奏は

ルーパーによってのライブ多重録音ですが、

その際、座標通りが必須となる。

 

最初に録音するフレーズが座標を外してしまうと、

次に弾き重ねるフレーズも同様の座標外れをしていかなくてはいけなくなり、

その後にも何層も音を重ねることはすごく難しくなってくる。

 

実はそこにこの演奏方法の不自由を感じていたりもする。

もっと、自由に演奏できないものか・・・



必ずしも座標通りじゃなくても、 

「人」がダダ洩れていても、リズムが成立できる。

いや、それどころか普通以上の固有のリズムを作り上げることができる。

そんなマッキーさんのドラムを見ていると、
自分ももっと自由にやれる気がしてきます。

 


 動画で見てもすごいけど、

実際のライブほどは「人」が伝わらないな。

気になる方はぜひぜひSISTER PAULのライブに足を運んでみてくださいませ。

 

 


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