2024年11月28日木曜日

フリーインプロについて思うこと 2024年

 

カメムシ達が家に入ってきて、独特なにおいが漂ったり、

デーハー達が動かなくなってきたり、

11月も終わろうという時期になって

冬らしさを増し、一気に冷え込んできました。


そんな中、一昨日の火曜日、中野ピグノウズというライブバーで
フリーインプロのセッションに参加してきました。


平日夜に街に出るのは久しぶり。

セッションを終え、0時ころ地元駅まで帰ってきたのですが、

少しお酒を飲んだので、車で自宅に帰ることが出来ず、

車中で仮眠して明け方に帰宅しました。

そんな大学生みたいなマネしたところ

見事に風邪をひきまして、現在咳が止まらない状態です。。。


 

以前、「新即興の日」というイベント参加した記事を書きましたが、

その後もなってるハウスの同イベントには継続参加しており、

そのほかにも今回のように近似のイベントを探して参加したりしています。


今年はフリーインプロの楽しさを知った年であり、

今はこの活動に大きな意義と興味を感じています。


 

今日はそんなフリーインプロについて最近思っている話など。


 


昔から不思議に思っていたことがあります。

虫、風、鳥、川・・などといった自然の音はうるさく感じないのに、

人が出す音(声、車、物音・・)はうるさいと
感じることが多いのはなぜなんだろう。

 

ずっと考えてきて、最近自分なりにたどり着いた答えは

「作為の存在」です。

人の出す音には、大なり小なり作為があるから
うるさく感じるのではないか。

 

以前にも紹介した本ですが、
中村明一さんの「倍音」という本に面白いことが書かれていました。

 

日本人と西洋人では、環境音の聞き方に違いがあり、

日本人は左脳、西洋人は右脳で捉えているのだそうだ。


一般に、右脳が空間や音楽の認識を司り、

左脳は言語を司ると言われています。

 

左脳で聞くというのは「言語的」に聞いているということであり、

日本人は環境の音を
「何かを言っている」として聞いているのだ。

 

例えば、小鳥の声を聞いたとき、西洋人は音楽として聞くが、

日本人は「何かをしゃべっている」として聞く。


こういった特性が、日本人ならではの

「八百万の神」「もののあわれ」「わびさび」
といった感覚にもつながるのだろう。

 

人が出す音に対しても同様です。

雑音の類に対して、言葉のように聞く。

声はもちろんのこと、工事現場の音、車の音といった騒音に対しても。


それゆえに、そこに「作為」をくみ取ってしまい、

音量以上にうるさく感じるのではなかろうか。

 

世界的にみると日本人はおとなしい性格と言われます。

また、静寂を好む傾向もあるように思います。

それはこうした「音の捉え方」からきているのかもしれません。

※ちなみに、日本人の他にはポリネシアの人たちが同様の音の捉え方をしているらしく、

世界的には珍しい部類のようです。 

 


さて、冒頭に書きました通り、

ここのところフリーインプロに熱意を注いでいるのですが、

演奏参加イベントでは自分の演奏中以外は

他者の演奏をたくさん聞くことになります。

 

色々な人の演奏を聞いていると、
演奏内容からその人の性格などが見えてきて面白い。

この人は控えめだけど芯のある人だなぁとか、
この人はどんな仕事もそつなくやりそうだなぁとか。

そして、たまに先述の「うるささ」を感じるときもある。

 

このうるささはやはり「作為」が見えたときに感じるのだと思う。

例えば「場を支配してやろう」とか
「難度の高いフレーズを見せよう」とか。

そういうものは音に現れ、異物としてうるささを発する。

 

いわゆるフリーインプロの達人たちの演奏には

この「うるささ」を感じることは少ない。

音量面ではとてつもなく大きかったり、
すごく高難度の演奏をしていたりするのに。

 


こうした経験や思考から、

フリーインプロの理想的な形は

自然のようにあることなのだろうと感じています。

意思、意図を持たない、作為のない演奏。

 

 

 

私がソロ演奏している楽曲群は

自然の美しさを模写するイメージで作曲しています。

ショーペンハウアーは芸術を「自然を模する行為」としていますが、

まるっきりそんな感じです。

 

ですが、フリーインプロでは模写ではなく、

自然そのものであろうとすることが理想的なんだろうと思っています。


普段から演奏力を磨き、いろいろな物を聴いて耳を鍛え、

でも演奏に際しては無心で臨み、

自分の手、心が導くままに演奏する。

カメムシが匂いを発したり

デーハーが死出の冬を見つめるのと同じように。

 


・・・こんな考えを巡らせていると

だんだんと内容は抽象的に、そしてスピ的になってきちゃうな。


こういう姿勢がフリーインプロをとっつきづらく、
いかがわしく感じさせるのかもしれませんね。


でもまぁ仕方ない。

よくわからないものだからこそ惹かれるし、挑戦したくなるものです。

論理や〇×で答えが出るものなんて大したものじゃない。


今後も挑戦、研究続けてまいります。





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