先週末は「のうてんふぁいらⅤ」でした。
お越しいただいた皆様、ありがとうございました。
妻と二人での地元発信活動体「にじいろのめ」による5回目の企画。
いままでは昼の開催でしたが、初の夜開催となりました。
今回はそんな「のうてんふぁいらⅤ」日記です。
昼開催の時は朝から準備+移動でしたが、
夜開催ということで日中に時間余裕があり、
気負うことなく準備して15時過ぎに出発。
・・・ですが、これが「抜け」につながったか、
会場についてみると
妻の展示物類を持ってきていないという痛恨のミス発覚。
会場準備は妻に任せ、私はトンボ帰りで自宅へ忘れ物を取りに帰る。
何とか開場前に間に合い、急いで食事を済ませて開場。
余裕をもって進むはずが、なんともドタバタな幕開けとなりました。
反省です。
そんなこんなで開場し、
来場のお客様や出演の山際さんと談笑などしているうちに
いよいよ開演の時間。
山際さんの演奏からスタートです。
談笑ムードから、山際さんがステージに出ると空気がピシッとする。
先日、SNSで古武術研究家の甲野善紀さんの言葉を読みました。
氏は古武術の中に見られる、現代人が忘れた体術、身体操作を現代に伝え、
格闘技、スポーツのみならず、音楽家に対しても
セミナー、講演をおこなっていらっしゃいます。
そんな氏のことばで、
音楽家にとって楽器演奏は
「型」みたいなものだと思う、との言葉がありました。
「型」とは身体操作を学ぶためのヒントが詰め込まれた先人の知恵であり、
空手では型演武の美しさを競う部門もあったりします。
「型」に隠されたヒントを読み解くことで、
見た目からは想像できないような重い突きを放ったりなさいます。
楽器演奏はそんな「型」だという甲野先生。
この言葉の根底には、
「楽器奏者である前に音楽家であるべき」という前提がある。
楽器演奏を通して音楽家として成長していく。
私などはついついこれを忘れ、
音楽家よりも「ベーシスト」として自認してしまいがち。
本当の自分完成はベーシストという楽器奏者ではなく、
音楽家であるはずなのに。
甲野先生の何気ないこの表現に、
上記のような気付きを得た次第です。
さて、話がずれましたが、
この「音楽家」という言葉に山際さんを思い出します。
山際さんはギタリストですがその前に音楽家。
どんな楽器を持とうが、
なんなら楽器を持っていなくても音楽家山際さん。
氏のたたずまいにはそういった雰囲気がある。
この日の演奏もそんなことを思い出させる、
自然体からあふれ出る山際ワールドを堪能させていただきました。
今回の企画では、
ステージ上で妻のライブペイントもあり、
音楽演者と二分して妻もステージに立つ。
私の知る限り、妻がステージでペイントするのは初めて。
初の共演が山際さん・・・なんともすごい話です。
会場へ向かう車中での妻との会話で
思えば山際さんを知ってから10年になるといった話しをする。
夫婦でシスターポールのライブを見に行き、
共演の血と雫に衝撃を受ける。
帰り道、二人で「あのギタリスト、すごかったね」などと話しあった。
あれから10年。
こうして共演させていただく間柄になれるとは思いもよらなかったなぁ。
これからもよろしくお願いいたします。
山際さんの演奏を終え、転換中、
妻のアイデアで、お客様に事前に配った自作のシールを
描き途中のライブペイント作品の上に、思いのままに貼り付けていただく。
ライブペイントにハプニング要素を加えるとともに、
お客様にも参加してもらうという面白いアイデアです。
転換を終え、私の演奏。
自主企画ということもあり、
普段より長めのセットを演奏させていただきました。
妻も隣でライブペイント。
ソロ演奏でステージを誰かと共有するというのは初めてのことであり、
しかもそれが妻というのがまた不思議な感じです。
特に意識するでもないのですが、違和感のようなものは感じてました。
演奏にそれらが顕れていたかどうかはわかりませんが。
そして終演。
久々に会ったお客様からお初にあった方々と談笑。
飯能という土地柄、電車の都合もあってお客様皆様お早めにお帰りになり、
遠くから来てくれて、飯能に一泊するというお客様(学生時代の後輩)を
ホテルまで送って帰路へ。
なんかドタバタの中で駆け抜けた感じでしたが、
達成感とともに帰宅しました。
帰宅後、久々にビールなど飲みました。
あー楽しかった。
今回、夜開催というのも初めてであり、
ライブペイントとの共演というのも初めて。
5回目の企画にして、新たな試みができました。
次回はどんな形の「のうてんふぁいら」にしようかな。
その前に来月はオーストラリアです。
そちらでも妻との共演形式となる場面も多くなると思いますので、
徐々に新しい表現形態が模索出来てきたら面白い。
今後も焦らず、狙わず、変化していきたいと思います。