またコロナが増えてきています。
相変わらずいろんな声が聞こえてくるわけですが、
その中でやれることと言えば、
手洗いとかマスクとか基本的なことに注意していくしかありませんね。
現時点では行動制限の話なども出ておらず、
だからというわけでもないのですが、
先月末から3本ほどライブを見に行っている。
こうしてライブが増えてきて、うれしい限りだ。
先月末の6月26日は近所(と言っても車で30分くらいだが。)の
古道具屋で行われた、JAZZ、現代音楽系のイベントに行ってきた。
演者さんのことは全く知らなかったのだが、
雰囲気の良い古道具屋さんでしたので、
そこで開かれる音楽会というものに興味がわいた次第。
ギターソロ、ピアノ+アコーディオンのユニット演奏に続いて、
最後はベース奏者も交えて4人での演奏となる進行。
曲が少し冗長に感じてしまう部分もありましたが、
ピアノさんがすごく好みで、氏が作曲したと思われる曲がすごくよかった。
また、JAZZ的に順番にソロを弾く場面でも氏のソロはすごく好みでした。
こうして新たな出会いに恵まれると本当にうれしい。
アコーディオン奏者は奥様で、
お二人でTHE SLEEPING BEAUTYというユニットをやっておられるとのことで、
そのCDを買わせていただく。
この日のライブで考えさせられることがあった。
ライブと同時開催で写真展も併設されていた。
私は写真について云々する知識、経験はありませんので、
作品については言及しませんが、
ライブの中盤で写真家さんがステージに上がり、ご自身の写真展の説明、
込めた思いなどをご高説。
・・・うーん。
こういう説明をしたい気持ちもわかりますが
くどいし無粋だ。
そもそも、こっちはライブを見に来てるわけだし。
音楽演奏のステージなんだし。
伊福部昭さんは音楽の曲名に具体的な名前が付くことに対して疑問を掲げている。
本来、音だけで表現されるべきであり、
受け手(聴き手)のイメージを限定するような
「言葉」を付与するべきではないとのお考えだ。
作品タイトルであってもこういった徹底的な考え方もある中、
作品の説明をわざわざするというのは蛇足がひどい。
厳しい書き方かもしれませんが、
写真だけで伝えられてこそ写真家なんじゃないだろうか。
それが無理で、言葉での補足が必須なのであれば、
いっそ映像、本など別の表現手段に切り替えた方がいいんじゃないだろうか。
受け手の感受を無視するな。
意思を押し付けるな。
そんな思いにさせられた。
さて、先々週末(7月9日)は前回記事で書いた通り、
東高円寺で九狼吽。
その後、新曲群の入ったスプリットCDは、
誇張じゃなく、20回以上聴いている。
本当に素晴らしい。
そして、先週末(7月16日)は入谷でライブを見てきました。
TRY
ANGLEと銘打って、
ベースの井野信義さん、ドラムの山崎比呂氏さん、
サックスの松丸契さんの3人によるフリーインプロヴィゼーション。
井野さん、山崎さんは高柳昌行ニューディレクションユニットの
メンバーでもあった重鎮であり、
御年は72歳と82歳。
ライブ、素晴らしかったです。
というか、打ちのめされました。
ステージに上がり、誰からともなく音が鳴りだすと、
各人が反応を繰り返しながら、音を相乗していく。
ついベーシストの井野さんに注目してしまう。
目をつぶりながら、ベースと体を一体化させて演奏を続けていく姿に、
自分のレベルとの大きな差を感じ、
感動とは別の方向でも涙が出そうにもなってくる。
自分はあまりにも未熟だ。
以前、ツイッターをやっていたころ、
自然の中で聴こえる音(川、風の音、鳥、カエル、虫の声など)は
どんなに鳴り響いても不思議とうるさく感じない。
少なくとも苛立ちを感じるような
やかましさを感じないとの旨を書いた。
それらの音にはどこにも作為、作意を感じさせないからだと思う。
音に意図があるとき、人はうるささを感じるのではないだろうか。
しょうもないインプロを見ると、この「うるささ」にうんざりする。
「面白いことしてやろう」「驚かせてやろう」
「アンサンブルを引っ張ってやろう」「受けてるかな」などなど、
いろんな思惑があふれているからだ。
(ちなみに、顔芸、コントのような「何とかノイズ」みたいな連中は
この範囲にも入らない。論外だ。)
御三方の演奏にはほとんどそれを感じなかった。
「うるさく」ないのだ。
誰も何も説明しない。
ただただ演奏を続ける。
本当に素晴らしいライブでした。
会場は20人も入ればフルハウスになりそうなサイズで、
この日のお客さんは3人程度。
少し寂しいがゆっくり見れてよかった。
作意の説明に力を籠め、
それによって作品、本人に親近感を持ってもらえれば、
もっと人は集まってくるかもしれない。
「人気商売」「お金」「話題性」「集客」…
そんな視点に徹するなら、
そのやり方もアリなんだろう。
でもそれは本当に必要なのか。
それがあなたのやりたいことだったのか。
すくなくとも私には、
この日のライブは深く心に刻み込まれた。
ずっと忘れないであろう何かをいただいた。