2025年8月19日火曜日

自演に酔う

お盆休みも終わり、昨日から平常運転です。

 

今年も毎年と変わらず、

特に遠出するでもなく、

坐禅、練習、模型、読書の日々でした。

 

休み序盤は天気が悪く、涼しいのはありがたいが、

かなり湿気が高く、楽器もべたべたする。

(うちはスパルタなので楽器のためにエアコンをつけたりはしてません。

 というか私の部屋にはエアコンがありません。)

 

べたべたする上に、やっぱり音もこもりがちです。

木が湿気を吸うからなのかな。

高音の抜けが悪い。

 

休み終盤からは天気が回復して、楽器の鳴りも復活。

なので河原で練習。

日中はさすがに無理ですが、早朝や夕方は全然問題なし。

まぁ、熊、蛇を警戒しながらの練習とはなりますが。

 

ここのところ、「演奏に酔う」ということについて再考しています。

 

日本人は感情をあらわにすることが苦手と言われており、

さらに私の世代はどちらかというとポーカーフェイスでいることが

かっこいいと感じてしまう傾向があります。


お笑いで言うと、ダウンタウンの漫才にはまった世代ですし、

音楽でも80年代の派手な演出よりも、

90年代的に「素でいること」のカッコよさに惹かれてきました。

(今思うと、あれも「素」ではなくて、ちゃんとカッコつけていると思いますが。)

 

そんなわけで、私は自分の演奏に心が奪われる、

言い換えると「酔う」ことをあまりかっこいいことと考えてきませんでした。

でも、今更ながら、より素直に感情を開放したほうが、

良い演奏につながるのではないか、と考えた次第です。

 

音を出すことは気持ちよく、楽しい。

それを素直に楽しみ、

心を揺らす旋律にはそのままに心を揺らす。

それらの集積が曲になり、

それを分析せず、描かれる世界に酔う。

 

まぁ当たり前と言えば当たり前なのですが、

これが意外と難しい。

 

ありがちなのが、ライブハウスでも結構見かける、

それっぽい表情や動きで演奏するという行為。

「私、イっちゃっております。」

「俺、自分を解放しているぜ」みたいなコント。

 

そうではなく、中からの発動。

なんなら表には何も現れないこともある。

そんな「酔い」です。

 

先日、武術系のYOUTUBEを見ていて

「地球押し」というワードに出会いました。

要は腕立て伏せなのですが、

体を支えるという意図で行う腕立てよりも、

地球を押す意図で行う腕立ては格段にきついとの話でした。

おなじ一つの行為でもイメージの持ち方によって
大きく効果が変わる証左かと思います。

以前に短期間ですが合気道を学んだ際にも、

「気」の出し方で演奏内容が変わるのでは、
といった内容を書かせていただきました。

その中でele-phant時代にコミさんから歌のアドバイスとして、

「遠くに届かせるように歌うとよい」といった話を
もらったとのことを書きましたが、

これなんかもやはりイメージの持ち方で表現が変わる例なのだろう。

 

自分の演奏の世界に入り込み、

その中で演奏する。

いまさらですが、そんな稽古に励んでみたお盆休みでした。

 

 

 

さて、そんなお盆を経て、

いよいよ「のうてんふぁいらⅤ」近づいてまいりました。

 

 




現時点、この企画以降は

いわゆるライブハウス出演の予定が入っておりません。

10月にオーストラリア、12月に地元の音楽祭イベントはありますが。)

 

そんなわけでひょっとすると
年内最後のライブハウスになるかもしれませんので、

ぜひぜひ遊びにいらしてくださいませ!




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