2020年1月11日土曜日

ボレロ

中学生のころ、友達からお勧めとしてラベルの「ボレロ」のCDを借りた。
当時、歌謡曲やアニソンくらいしか聴かなかった私にはすごく衝撃的で、
感動を何度も味わいたくて
15分ほどある曲にもかかわらず、繰り返し聴いたのを覚えている。

その後、高校生になり、音楽に目覚め、
ロックを中心にたくさんの音楽を聴いてきた。
ボレロよりも刺激の強い音、極端な音も多々聴いてきた。


先日、久々に小林秀雄の「モオツァルト」を読み、
気になってモーツァルトの音楽を聴いた。
独特の転調、急転の音楽、
それでいて違和感を感じさせない。
すごく引き付けられた。

その流れで、今度は変化の少ないクラシックを聴きたくなり、
ひさびさにボレロを聴いた。
しっかり聞くのはいつ以来だろう。
ひょっとすると中学の時以来かも。

便利な世の中だ。
手元に音源が無くてもyoutubeで聴ける。
仕事の帰り道すがらイヤホンで聴いた。

先日の記事で書きました通り、
昨年末から山に近いところに住んでいる。
自宅へ向かいながら、山を見て、月を見て、
ボレロが盛り上がっていく。

特になにかを考えるとか、思うとかでもなく、
不覚に泣いてしまった。

伊福部昭さんのインタビューで、
初めてボレロを聴いたとき、
リズムに同調してしまい、卒倒しそうになったと読んだ。
ちょっと笑い話みたいな話だと思っていたが、
なんとなくその気持ちがわかった気がした。

 街の中ではロックが心に響きやすいように
音楽にはきっと最適な環境というものがある。
そしてそれは作曲者の生きた環境と近いほど
適性が高まるのかもしれない。

ボレロは当然今の東京のような環境で作曲されていない。
勝手な想像だが、少なくとも私が歩きながら聴いた環境のほうが近いのだろう。
その音楽が作られた環境、つまりは想定されている環境。
それが聞く環境とマッチしたとき、
環境が音楽を際立てる。

それだけではなく、音楽が環境を際立てる。
音楽を介在し、リスナーと環境が混ざり合う。
そこにあるのは個人+環境ではなく、ただ世界がある。
その瞬間に涙してしまった。

伊福部昭さんの生きた世界ももちろんいまの東京と異なる。
きっと今聴くよりもボレロが響いたのだろう。

つくづく音楽は面白いな。
同じ音楽でもいくらでも表情が変わる。

そんなことを考えた。


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さて告知です。

実は明日、今年初のライブです。
NILOMETERで高円寺4th

1月12日
高円寺4th

”CREAKY DOOR”

18:30 open 19:00 start
2000yen+1D

w/やまざきたきじろう
砂山続き
DSFAPLS+小川京子
四分儀座:阿坐弥(三味線)+ゴーレム佐藤(即興話芸)


そしてその後は先日の記事に書いた
連続企画です。



両日ともぜひぜひよろしくお願いします。





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