2023年2月2日木曜日

プラスチックの問題

 

山間部に引っ越したり、

ABNORMALS時代は結構活発に音楽活動させてもらったりとか、

自由に生活させていただいている風ではありますが、

私は普通にしがないサラリーマンでして

ものつくりの業界にて20年ほど

プラスチック製品の設計、量産工程の立ち上げなどを仕事にしています。

 

また、音楽以外の趣味として造形、模型も続けており、

こちらも主にプラスチックを材料とした趣味となります。

 

私の生業にみっちりと関わっている「プラスチック」

多機能で加工性もよい素晴らしい素材です。

ですが、プラスチックが世界に普及し始めてから約100年経ち、

いろいろな問題が顕在化しています。

 

海に捨てられたり、河川から海にたどり着いたプラスチックごみが

海洋生物に影響を与えている海洋プラスチック問題、

捨てられたり放置されたプラスチックが砕けたり削れたりして

回収不能な微粒子状態で自然環境に残り続けるマイクロプラスチック問題、

さらにはプラスチックを作る際のエネルギー問題、二酸化炭素排出問題などなど、

多々の問題があります。

今のままのプラスチック消費生活を続けるということは

これらの問題をさらに拡大させていくことに直結します。

 

そんな中、環境配慮プラスチックというものが徐々に脚光を浴びています。

プラスチックに天然素材を混ぜ込んだ材料や、

天然素材のみで作成したバイオプラスチック、

放置してもいずれ土に帰ってくれる生分解性プラスチックなどがあり、

プラスチックによる環境汚染に対して国際的に法整備も進む中で、

各プラスチック材料メーカーがそういった環境配慮材料の開発に力を入れ始めています。

 

実は、私も仕事でそういった材料の評価、検証を行っており、

いろんなメーカーと話したり、プラスチック汚染について勉強する機会も多く、

何とかこの問題群解決に協力できないものかと努力しているつもりなのですが、

その中でいろいろと葛藤がわき、苦しんでいます。



問題解決の唯一にして、一番わかりやすい手段は、プラスチックを使わない世の中をつくることです。

ですが、それは不可能でしょう。

産業革命時代に戻れ、江戸時代に戻れ、と言っているわけですから

経済活動、政治活動、文化活動など含め、すべてにおいて根底を変えていく必要があり、

現実的ではありません。

 

となると、プラスチック汚染をいかに食い止め、

いかに共存するか、という話になります。

そんなわけで上述のとおり、各材料メーカーが環境配慮材料を研究開発しているわけですが、

これも解決に直結する話ではありません。

 

天然素材を混ぜようが、天然素材から作ろうがプラスチックはプラスチックです。

海、山に捨てればそこに残り続けます。

生分解してくれるならばOKかと言えば、そうでもありません。

 

先日、ある材料メーカーさんと話していて、生分解樹脂について興味深い例え話をききました。

生分解材料というと、その最右翼は木材です。

木材は間違いなく土に帰ります。

だが、その木材で出来た古墳、古寺は1000年以上健在だったりする。

生分解プラスチックも分解環境がそろわなければ、同じように残り続けることがありうるのです。

 

また、別のメーカーさんとの話では

海洋分解するプラスチック製品が一か所で大量に分解されれば、

それにより海水の糖度などに変化が出て

赤潮などの別の問題が起こる可能性があるらしい。

 

こうしたジレンマを抱えながらも各種メーカーは研究開発しているわけですが、

ここにも矛盾がある。

 

結局、メーカーはここにビジネスチャンスを見ているのです。

新たなスタンダードになりうる材料をいち早く提示して、

それを拡販したいのです。

だが、そうして作られるプラスチックは上述の通り、

問題解決に直結するわけではない。

(もちろん石油由来の「今のプラスチック」よりはマシですが。)


それらの環境配慮プラスチックも大量につくられ、廃棄されれば

程度はともかく同じ問題に行きつくのです。

 

このジレンマは材料を作る側(材料メーカー)だけでなく、

その使い方を考える私のような職種にも同様に起きます。

新材料群をなんとか環境負荷を減らすことに使うべく研究する一方、

それを商売につなげる方法も考えなければならない。

あーいやだいやだ。

 

 

 

言うなれば我々は詰んでしまっている。

 

こんなことを考えながら、近所の山の中を歩くと、

信じられないようなところにプラゴミが落ちていたりして、また暗澹たる気持ちになる。

 

我々が普段着ている服、履いてる靴、乗ってる車にも

たくさんのプラスチックが使われています。

それらをまとって自然の中に入れば、その時点で、

マイクロプラスチックのいくらかをそこに置いてくることになるのです。

服から落ちるプラ繊維、靴から削れる合成ゴム、車からはがれ落ちる合成塗料・・・

 

もちろんそれらは微々たるものだ。

でも、捨てられたプラゴミと、落としてしまったマイクロプラの違いは

大小の差しかないのかもしれない。

どうやっても今の生活を続けている限り、環境に負荷をあたえてしまうのだ。

 

 

 

結局のところ、我々にできることと言えば、

できるだけ無駄なプラスチック製品を作らず、買わず、

捨てるときは確実な処理方法で捨てる。

これを徹底するに尽きると思う。

 

意識を持ってできるだけ気を付けるしかない。

個々が意識するしかないのです。

 

レジ袋が有料化された際、

そんなことで削減できるプラスチック使用量は大したことが無いから

無駄な行為だという非難が沸き起こりました。

私は無駄ではないと思います。

使用量削減には低意義だとしても、

プラスチック問題の存在を多数の人に意識させたことに意義があったと思います。

こうして少しずつでも人々に周知のきっかけを作っていくしかない。

 

こういう問題に触れると、

「意識高い系」なんて言葉で揶揄するのが流行かもしれません。

高低なんてどうでもいい。大事なのは意識の有無です。

 

先述の通り、私の仕事はプラスチックものつくりです。

趣味はプラスチックでの造形です。

そして生活する限り、何らかのマイクロプラスチックをまき散らしています。

だがせめてそれを最低限に抑えていきたい。

 

それを積み重ねれば、廃棄を回収が上回り、

回収不能なレベルのもの以外は回収しつくせる日がいつか来るかもしれない。

 

そんなことを夢みつつ、

これからも意識を持ちつつ、生活していこうと思っています。

 

 

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