以前の記事で書きました、エレキベースでの弓弾きの導入、
前回記事で書いたフレットレスベースの導入と、
新しいことへの挑戦を進めており、
そんなわけで今まで以上に熱心に練習を重ねております。
なにかを習得するには、完全に下り坂な年齢ではありますが、
練習を重ねていくと少しずつは上達していけるものです。
楽器に限った話ではありませんが、
継続は自分発信でしか続かないので、
今後も楽しみながら継続していきます。
上記の弓弾き、フレットレスの他、
実はもう一つ、挑戦(勉強)をしているものがあります。
それは読譜です。
実は20代の頭くらいに一度読譜を勉強したことがあります。
当時、JAZZやFUSIONに興味を持ち始め、
そっち系のベーシストはたいてい読譜ができることから、
読譜にも興味を持った。
読譜出来たらこんなすごい演奏できたり、曲が書けるのかと
変な幻想を持っていました。
また、当時は出先で思いついた曲のアイデアを残す手段がありませんでした。
今でこそスマホにレコーダーやDTMソフトが普通に入っていますので、
出先でも何らかの形でアイデアを残しておけますが、
当時は低機能な携帯電話しかない時代。
なので、携帯で自宅に電話をかけ、
留守番電話にアイデアを残したりとか回りくどいことをしていましたが、
そういう時、楽譜で残せれば便利だな、なんて思い、
読譜勉強に着手した次第。
ですが、難しくてすぐに挫折・・・
以降、「いつか読めるようになりたい」という思いが心の隅に残っており、
この度、ついに勉強を再開してみた。
具体的な勉強法としては、
仕事での電車移動中はスマホアプリでの勉強、
また、自宅ではコントラバスの教則本を弾いてみている。
フレットレスに慣れる練習にもなる。
とまぁ偉そうに書いたものの、
まだまだ全然読めない・・・
読めないながらも、先述の話ではないが、
少しずつは上達してくるものです。
このまま続けていって、いつか自分の曲を楽譜に落とし込めるくらいの
読譜能力を目標にしています。
誰だったか忘れてしまいましたが、海外のスタジオ系ベーシストが、
「楽譜が読めるべきだと思いますか?」との質問に対し
「人は文字を読めるべきだと思いますか?」と返していたのを読んだことがある。
楽譜は文字と同様に作者の思いを作者本人が残すことができる。
モーツァルトの描いた世界も、伊福部昭の描いた世界も、
作曲者たちの意志を、書き残されたそのままの形で読むことができるのだ。
演奏者の違い、録音環境、録音時代の違いなどが味をつけてしまう前の、
素の状態の曲がそこにある。
これって、本当にすごいことだと思う。
以前、木田元さんの本で、
アリストテレスの思想が翻訳を通じて世界に流通される過程で、
誤訳がそのままに浸透していってしまったという例を読んだことがある。
本当は本を読むにも、作者の書いた言語をそのままに読むのが理想的だ。
だが、そのためには各種言語を使えるようにならなければならず、
ちょっと現実的ではない。
どうしても翻訳本を読むしかないが、
それらは言葉の壁で微細なニュアンスが削られ、
翻訳者による意図せぬ色付けがなされている。
楽譜にはそれが無い。
世界共通なのだ。
楽譜の絶対視には危険もあると思う。
西洋音楽から生まれたフォーマットである楽譜に
落とし込むことのできない音楽もたくさん存在するし、
強引に落とし込むことで、言語ほどではないにしても誤訳もあり得るだろう。
でも、そんなことを考えるのは全然先の話し。
まずは読譜ができるようになってから考えていくことにしょう。
なんか、勢いでいろんなことに挑戦をしはじめてしまってます。
そういう時期なのかな。よくわからないけど。
ちなみにいい機会(?)なので、
読譜のように、やりたい、できるようになりたいと思っていながら、
踏み出せていないことをリストアップしてみた。
ちょっと恥ずかしいので、ここには書きませんが、
意外とズラっと出てくるものです。
たまにはリストを見直して、少しずつでも踏み出していこうと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿