先日、久しぶりに音楽誌を購入し、読んでいたところ、
ある有名ミュージシャンが歌詞を作るにあたり、
AIにキーワードとなりそうな言葉を探させながら、
歌詞を作ったとの記事があった。
世も末だと思う。
嘆かわしい。
ためらいなく最新技術を使えることに
プロ意識を見ることもできなくもないですが、
私には強烈に違和感がある。
そんなことをしなきゃ伝えたい言葉が探せないならやめちまえ。とすら思う。
どうやら最近はそういった形でAIを使用する人達が一定数いるらしい。
いっそ曲もAIに作ってもらえば?
そのAIを操作したのはあなたなのだから、
作曲者はあなたってことでいい。
というかどうでもいい。
先日、SNSでたまたま宮崎駿さんのインタビューを見た。
私は中学生のころ(ジブリ作品でいうと魔女の宅急便の頃)、
宮崎アニメに傾倒し、大人になったら
ジブリに入りたいと本気で思っていました。
今とは違い、当時は学校で「アニメが好き」なんてばれると、
スクールカースト最下層確定の時代でしたが、
そんなことは気にせず、最下層スクールライフを満喫しながら、
絵の勉強をしていました。
そんな熱意も高校に入ってからの体育会系部活生活や、
ロックへの目覚めとともに薄れていくのですが、
いまでも宮崎駿さんへの尊敬は変わらない。
私が見たインタビューは「ポニョ」時のもので、
同作では鉛筆での作業にこだわったとの内容を
語っていらっしゃいました。
同作前までは3DCGなども使っての映画作りをすることもあったものの、
どうもそれでは伝えられないものがあり、また面白くもないため、
原点回帰したとのお話でした。
やっぱりすごい人だな、と再認識させられます。
その美学、哲学にすごく惹かれます。
先週末のライブでSIFTというバンドと共演しました。
ギターボーカルの島田君が秩父の出身とのことで、
秩父周辺で活動している場面が多く、
以前に秩父での彼ら企画に参加させていただいたこともある。
高い熱量でショートカットのファストコアを演奏する
かっこいいバンドです。
毎回ではないのかもしれないが、
彼らはライブ後にフリーペーパーを配る。
そこにはメンバー各員のコラムとともにライブ告知が書かれている。
この活動に「鉛筆」を見る。
SNSでもブログでもなく「紙」。
それを本人から手渡されるという行為に大きな意味がある。
その活動の先には「AI」が見えない。
私はこうしてブログも書くし、SNSもやっている。
積極的ではないもののAIの恩恵も受けている。
それらを利用、享受することが悪いとも思っていない。
でもそれは日常生活の話。
創作、芸術の場面でそれを使おうとは思わない。
結局、個々の美学なのだろう。
単純にそういった行為はカッコ悪いと感じるからやらない。
2010年に宮崎駿さんがIpadについて語っていらっしゃいます。
その中で、情報の上前をはねて想像力を注ぐことをしない者を戒めています。
AIに作ってもらうとかはそれどころの話じゃないだろう。
宮崎駿さんは最後にこう〆ています。
「あなたは消費者になってはいけない。生産するものになりなさい。」
私もそうありたい。
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