2020年2月29日土曜日

ペスト


コロナウィルスが猛威を振るい、
不安な日々が続いている。

感染の怖さもあるが、
つい一か月前まで、影も形もなかった話が、
急に危機として身近にあるという事実が怖い。

アウトブレイクなんて言葉が聞こえてくると
カミュの小説「ペスト」を思い出す。

ちょっと調べてみると、今回の騒動に合わせて、
「ペスト」が売れているらしい。
アルジェリアの平和な街を突然襲ったペストの恐怖と
それに抗うもの、あきらめるもの、街からの脱出を図るもの、
騒動の中に安息を見出すものなど・・
街の人々のペストへの対応から、
生きることの難しさ、悲しさ、すばらしさが描かれる。
私の大好きな小説のひとつだ。

よく言われることだが、カミュの作品には不条理を描いた作品が多い。
「シーシュポスの神話」では人生をシーシュポスへの神罰にたとえ、
「異邦人」では流れるままに生きた末に罰せられる人物が描かれる。

カミュはサルトルと並んで、実存主義思想といわれることもあるが、
いまいち腑に落ちない。

人間はなにかがあらかじめ定められているわけではなく、
実存が先行し、そこに自身の行動、選択で意味を結び付けていく存在である。
サルトルは実存主義をそのように説明する。

不条理な世界、そこに生きる人物を描くカミュの作品群から、
実存主義的な印象も受ける。
とくに「ペスト」の群像劇はまさしくそういった流れも感じる。
だが、それだけではなく、やさしさや愛の方が大きく感じられるのだ。

実際、カミュは実存主義者とくくられることを否定していたそうで、
サルトルとは論争も繰り広げている。

サルトルの実存主義には時代のせいもあり、
政治的な意思のような強さを感じる
対して、カミュに感じるのは無常観に近い。

世界は無常だ。だがそこにあるのは諦観ではなく、
無常ゆえに刹那を生きようという思いを感じるのだ。

「ペスト」の時代に比べて、世界は身近になり、
小説に描かれていたように、街を封鎖するようなこともかなわず、
世界中にコロナウィルスが広がっていっている。
場当たり的政治が不安に拍車をかけ、
この騒動と同時進行で進む経済への影響も計り知れない。
冒頭に書いた通り、これはわずか1か月前には想像もしなかった事態だ。

世界は無常だ。
コロナは一つの例に過ぎず、世界は本来無常であふれている。
昨日の世界は今日の世界ではなく、刻一刻と変わっていく。
無常の中で奇跡が続き、いまの世界が、我と汝が、その関係がある。
我々ができるべきことは刹那を大切に生きることだ。


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そんな不安な中ですが、
ライブをやらせていただきます。

まずはNILOMETER

3月1日(日)
阿佐ヶ谷天
 series IMPROVISATION

共演
procede
marioノブナガ本田ユニット
celibattere+ゲスト 柴田美和(ダンス)、北田めい(ペインティング)

タイトル通り、インプロ主体のイベントです。
NILOMETERも少しインプロに挑戦してみる予定です。


3月4日(水)
西荻久保ピットバー

詳細未定

そしてABNORMALSは
すでに何度か告知させていただいているこちら。
 

よろしくお願いします。



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