2021年3月24日水曜日

即興演奏について その1

 

1年前、即興演奏に挑戦し、

自分の中で納得が得られなかったという記事を書いた。

その後、1年間、折あるごとに考えたり、試したりしてきた。

 

今回(と次回)の記事は、自分の考える即興とは何か、

また、それがなぜ自分にできないのか、

迷いの末にたどり着いた

自分なりの即興手法について書かせていただきます。

 

そもそも即興演奏とは何を指すのか。

いろんな考え方があるだろうが、

自分の考える最重要項目は「無意識での演奏」だ。

 

といっても完全に無意識なんてありえない。

あくまでも無意識的にフレージングがなされるという状態と考えている。

意識してフレーズを作っていくのではなく、

知覚は保ちつつ、周囲の状況などをとらえながら、

(ほぼ)無意識にフレーズを作っていく。

そんな状態が私の考える理想的な即興演奏だ。

以前、純粋経験について書いたが、

それに近いかと思う。

 

即興音楽というと、よくイメージされるのが、

激しい動き、身体表現の同居かと思う。

動きを伴うことで表現の幅が広がるし、

演者の意識も分散されるので、演奏の無意識化にも効果があるのかもしれない。

 

それが違和感なく音に混ざり合ったライブにであったりすると、

自分が何を見ているのか、わからなくなる。

本当にすごい即興演奏に出合うと、

なんというか神々しさを感じることもある。

 

だが、それが演出過多になっていたりすると全く別物になる。

なかでも顔芸、コミカルな動きなどの演出過多は一番嫌い。

中には受け狙いが主軸になっているようなのもいる。

それらは苦手どころかうんざりする。くだらない。

 

「ぶっ飛んだ感じ」「行っちゃった感じ」への演出が本筋になっているなら、

それはもう「音楽」ではなく「コント」だ。

しかも予定調和だったりするのだから、そもそも即興ではない。

それはそれで面白い表現分野なんだろうとは思うが、

即興でやってます、とか言われるとお前なめて・・・(以下略)

 

 

ちょっと荒ぶって脱線しちゃいましたが、

「受け狙い」は好きになれないものの、

「動き」「音以外の表現」は必然であり、

それによってより深みを出すことができると思う。

 

フレージングが無意識で行うものなのだとすると、

本来、「動き」も無意識で行われるものだと言えるだろう。

自分の意思を持たずに全身をつかって音を表現するということになるのか。

 

こうなると、即興音楽は総合的な芸術表現とも言える。

即興音楽と即興演劇

音楽と演劇は即興という場面でリンクしてるのかもしれない。

 

英語でパフォーマンスというが、

その意味には演奏、演技、芸術表現が含まれる。

即興音楽はパフォーマンスであり、

そこにはすべての表現が含まれると言えるのかもしれない。

 

 

続く

 

 

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