2025年10月2日木曜日

くそバイクに学ぶ

 

ちょっと前の酷暑とうってかわり、

最近は朝晩寒いくらいになってきた。

 

こういう季節になると、私の家の周りは騒がしくなる。

我が家は山間部にあり、すぐ近くに峠道もあったりするので、

ツーリング、ドライブの連中が増えてくるのだ。

 

それはもちろん一向にかまわないのだが、

なぜか大きなエンジン音を出したがる連中がいる。

大きくふかしてみたり、
バックファイヤみたいな音を出してイキり去るのもいる。

普通に走りゃいいのに。

周りに迷惑をかけるくらいしか表現手段がないのだろう。

 

以前住んでいたところほどではないものの、

土日の朝ともなると結構なやかましさ。

山なのでやまびこ効果で響くのだ。

 

まぁ、信号もなく、交通量も少なく、

自然に囲まれている。

そんな中を走っていたら、飛ばしたくもなるのかもしれない。

 

おそらく、普段の自分を忘れることの快感がそこにあるのだろう。

バイク乗りの大半はコスプレしている。

アメリカンバイカーごっこ、暴走族ごっこ、

各種ロゴの入った、ガンダム顔負け配色のツナギを来てレーサーごっことか。

 

このコスプレも「普段の自分を忘れる」一環なのだろう。

くそみたいな普段の生活を爆音爆走で忘れるぜ、みたいな。

結果、人間的にはさらにくそ堕ちしているのだが。

 

 

さて、この「自分を忘れる」という行為ですが、

以前から私も取りつかれている言葉でして、

忘我の快感というものについて考えたりする。

 

例えば、映画を見たり、小説を読んだりして
その世界に入り込み、自分を忘れる。

 

ふと、その世界に飽きを感じたりすると、日常を思い出したりする。

この忘我率みたいなものの高さが映画の評価に
つながったりする面もあるように思う。

だからこそ、ハリウッド映画のように大スペクタクルで

常に事件、アクション、ショッキングな場面が続く映画が
「面白い」とされたりするのだろう。

 

 

人は自分の行為を認識するとともに、

その認識者を認識する癖(能力)がある。

メタ認識なんて言われたりもしますが、

自分を自分が見ているという状態だ。

 

自分を自分で見て、
自分の思う自分と異なることを目の当たりにする。

これはつらい。

メタ認識は必要だが、たまにはそこから離れたい。

だからこそ忘我は快感なのだろう。

 

 

私は坐禅を日課にしていますが、

坐禅中は頭の中に沸き起こる妄想、雑念を認識するとともに振り払う。

この「振り払う」行為をどうやって行うかというと、

自身の姿勢、体、呼吸に目を向ける。

呼吸の出入りを確認しつつ、自分の体を上から下までスキャンしていく。

そうすると、意識は頭の中から体へと移行し、いったん雑念は離れていく。

 

それでも、「怒り」「いらだち」など、離れにくい想念はある。

ネガティブな想念ほど、心に絡みつく。

その場合はその想念自体を改めて見つめてみる。

怒っている自分、いら立っている自分を見つめ、
なぜそんな風に思うのかと考える。

段々と普段からそういった癖がついてきて、
冷静な自分でいられる(気がする)。

 

要はメタ認識を捨ててみて

ダメなときはメタ認識をみつめてみる。

そんなことをしているわけだ。

 

人である以上、メタ認識を完全に捨てることはできない。

 

動物はメタ認識を行わない(と思われる)。

メタ認識こそが人を人たらしめ、同時に転落させるものなのだろう。

マタイの福音書によると「天国に入るには幼子に戻るしかない」という。

幼子はメタ認識力が低いゆえに
天国入りできるということなのかもしれない。

そうじゃない我々は煉獄に居残るか地獄に落ちるしかない。

 

でも、私は動物でも幼子でもないし、なれるものではない。

人としてメタ認識とうまく付き合っていくしかない。

 

 

楽器を演奏するとき、私は「忘我」状態であろうとしてきた。

メタ認識を捨てた、無心に近い状態。

西田哲学でいうところの純粋経験状態での演奏が理想と思ってきた。

 

坐禅を重ねる中で少し変わってきた。

メタ認識を排除した「忘我」ではなく、

メタ認識と共存した「忘我」、そんな境地があるのではないか。

 

坐禅にヒントがあるのかもしれない。

いったん没入を求め演奏し、

雑念が紛れてきたときには
自分の音、演奏姿勢、楽器の手触りなどを実感してみる。

それでも紛れ込んでくる雑念にはいっそ乗っかってみる。

 

先日の記事で自信の演奏に酔ってみるということを書きましたが、

これなどは私なりに雑念に乗っかる行為の一つだったりする。

 

 

早朝、坐禅をしていると騒音バイクが聞こえてきた。

うーむ。邪魔くさい。

 

でも、大したものではないかもしれないが、

騒音バイクのおかげでの「気づき」というのもあるかな。

 

・・・不本意だが、ありがとうございます。

 

 

 

 

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