2020年3月15日日曜日

読書随想


本が好きでよく読む。

同じく読書好きという方を紹介されて、話をする機会があるが、
「読書」という言葉はあまりにも多岐にわたってしまうので、
残念ながらあまり話が弾まなかったりする。

デルタブルース好きもゴアグラインド好きも音楽好きだが、
なかなかかみ合わないだろう。
それと同じだ。いや、違うか。

先日、読書家である某バンドのベースさんとお話したのですが、
氏がお好きなのはシュールリアルとのことで、
残念ながらまったくもって門外漢の私とはあまり話が弾まなかった。
(一応、その後ブルトンを読み直したが、やっぱりぴんと来ない・・・)
そんな私は哲学、古典文学、近代小説、漢詩などが好きだ。


近代(明治~昭和初期)の小説を読んでいると、
今の言葉の漢字もしくは当て字が出てきて興味深い。

例えば何かに合点がいったとき「どうりで」というが、
「道理で」と書かれていてなるほどと思わされる。

ほかにも
「歩行た」→「あるいた」
「濃やか」→「こまやか」
「人の間」→「ひとのよ」
などなど、並べてしまうとあまりインパクトはないが、
文中でこの漢字が出てくると、一瞬「?」となり、
読み方に気づいたときにハッとするとともに情緒すら感じる。

なかには
「可成り」→「かなり」
「成る可く」→「なるべく」
といった具合に、違う言葉でも漢字から追うと
近似の意味を持って使われていたのではないかと想像させる言葉もあったりする。

以前の記事で自然という言葉の語源に触れたが、
同様に自由という言葉も英語のFREEDOMLIBERTYを訳すにあたり、
仏教語の「自由」を当てたのがはじまりだという。

もともとの「自由」は「自ずからを由とする」、
すべては自分に理由があるといった意味合いだ。
FREEDOMLIBERTYには「解放」のニュアンスがあるが、
元々の自由にはそれは無い。
どちらかというと「責任」を感じさせる言葉だ。
翻訳とその流布とともに言葉が別の意味になったり、
別の意味が付与されていくのだ。


言葉は伝達、思考の手段であり、
誰もが言葉で感覚、心を翻訳しながら生きている。
頭の中には随時言葉があふれかえっている。
人から言葉を奪い去ったとき、どんな風にものを考えるのだろう。

想像もつかないくらい言葉というのは重要な道具だ。
でも、言葉の意味は確たるものではない。
時とともに揺れ動き、人によってもとらえ方は一律ではない。


そんなことを思いながら電車に乗っていて、
ふと「情報」という文字が目についた。
この熟語も「情を知らせる」というのが語源だったりするのかなとか思い、
無機質な言葉に情緒を感じる。

そこで、ちょっと語源を調べてみた。
すると、「敵情を報知する」という言葉が語源とのこと。

なんだよ、全然想像と違う。
まったく粋じゃない。





0 件のコメント:

コメントを投稿