今年のGWは5月1日にライブがあったものの、
そのほかは大きなイベントがあるでもなく、
練習したり、本を読んだり、座禅したり。
いつも通りの休日を過ごしております。
いつも通りとちょっとだけ違うこととして、
何度か近所の森の中を散歩したりしています。
人のいない森の中を歩く。
まだ虫や動物も少ない季節ですので、歩きやすい。
ショーペンハウアーは、万物は意思を持ち、
我々はそれを五感で感じ取り、「世界」としてとらえているという。
「意思」というと擬人化が強くて
意味合いが伝わりにくいように思う。
私は「エネルギー」とか「生きる力」みたいなものとして考えている。
無機物も意思を持つ。
例えば重力はひきつけんとする意思であり、
結晶化は一体にならんとする意思。
植物、動物も当然意思を持ち、
人間に至るとその意思の幅広さ、強さは最大になる。
人間はその意思の強さゆえに苦しんでいる存在だという。
満たされない思いに常に苦しみ、
束の間、それが満たされると今度は退屈に苦しむ。
苦しみ続けながら生きているというのだ。
ショーペンハウアーの考え方が厭世主義と言われるゆえんだ。
すごく興味深い思想であり、否定しきれない思いもある。
そんな人間は自然の中に置かれると、
全周囲から感じる自然の意思に圧倒され、
自身の意思を忘れるという。
いうならば生きる苦しみを忘れ、自然と一体になる。
本来は「楽しむ」ものではなくて
こうして「混ざらせてもらう」ものであり、
さらには「跪く」対象なのかと思う。
なんだかアニミズム的、宗教的な話になって
抵抗のある人もいるかもしれませんが、
私はそういうものだと思っています。
森の中をうろうろしながらそんなことを考えた。
写真は森の入り口に立ってる看板。
なんかかわいい。
ご注意ありがとう、気を付けます。
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