2025年10月27日月曜日

オーストラリア バスキング遠征 その1

 

以前より書いておりました、

オーストラリアへのバスキング遠征ですが、

先々週~先週にかけ、無事完了いたしました。

 

今回から数回、
そんなオーストラリアバスキング日記を書かせていただきます。

 

 

1015

 

オーストラリア遠征日程は
16日(木)往路フライト、20日(月)復路フライトとなっているのですが、

私の家は山奥なので、当日の朝一移動では、

空港チェックインに間に合わない・・・

なので、15日から移動し、羽田近くの蒲田で前泊です。

 

昼頃に家を出て、地元駅の連泊可能な駐車場に車を置き、

そこから電車で蒲田へ。

 

荷物はリュック1個とスーツケース。
妻は特大のリュック1個とウェストバック。

お互い、最低限の荷物に抑えたつもりですが、

そこそこかさばる。

 

ベースは分解して、アンプと共にスーツケースに。

スーツケースはDODのコロコーロというものでして、

縦長なので、分解すれば小型のボルトオンネックベースなら入ります。

 

以前の記事では、今回のツアーに向けて

ホーナーのスタインバーガータイプを準備、調整した旨を書きましたが、

このベースはスルーネックなので分解できない。

 

そこで、できるだけ荷物をコンパクトにすべく、
新たにヘフナーのバイオリンベースを入手、調整しました。

渡航の1.5週間前に購入し、その後、フレットを外してフレットレス化したり、

トーン回路を外すなど、自分の中でのお決まりの改造を施し、

時間の許す限り、体にならせるべく弾きこみました。




 

このベース、かなり小型でありながら、

ネック幅は通常のベースと変わらず、違和感なく弾けます。

また、なぜかすごくサステインの長い楽器でして、

その辺も個性的で面白い。

 

ただ、ピックアップがハムなので、私には音が太すぎる。

また、ピックアップ位置がネックに近すぎるので、

ハーモニクスも鳴りにくい。

出発当日までピックアップの交換を悩みましたが、

時間が足りなく断念。

 

さて、そんなわけで、蒲田に16時頃到着し、

ビジネスホテルで一泊。

 

翌朝が早いので、早めに床に就いたのですが、

私も妻も、明日以降のことが頭をめぐって眠れない。

23時ころ、軽くホテルの周りを散歩に出る。

 

地元でも、眠れない夜は軽く散歩に出たりするのですが、

真っ暗で当然人っ子一人いない。

ですが、さすが都会。23時なのに人が多い。

そして営業している店も多い。

まぁ、私も7年くらい前まではそういう環境で暮らしていたのですが、

なんだか、不思議な気持ちを抱えつつも、都会の便利を享受し、

軽食などつまみ、薄い眠りにつく。

 

 

1016

 

5時起床、すぐにホテルを出て羽田へ向かいます。

 

最後に海外へ行ったのは昨年末の中国での仕事。

1年ぶりの羽田。

当たり前ですが、仕事で来るのとはワクワクが全然違う。

 

早く着きすぎてしまい、少し待機後、チェックイン受付へ。

妻は学生時代以来の海外とのことで、

ほのかな緊張が伝わってくる。

 

無事荷物預け、検査を経てチェックイン。

後はフライトを待つのみ。

空港の高級スタバなど飲みながら待つ。

 

そしてフライト。

オーストラリアまでは約8時間のフライト。

普段、仕事で中国、韓国に行くことはありますが、

たいてい23時間のフライトなので、

こんなに長いのは初。

 

映画見たり、本読んだり、仮眠したり、

時間をつぶすのはさほど苦は無かったのですが、

3人掛けの真ん中だったので、トイレに行きにくいのは閉口しました。

機内食で久々にアイスなんか食べたもんだから、

おならを抑えるのに苦慮。

まぁ、抑えずに日本人の恐ろしさを機内に知らしめるのも一興ですが。

 

そんなこんなでシドニー国際空港到着。

時差もあるので、現地時間は20時。

着陸時、街の明かりが見えてきたときは、
いよいよ来たんだなぁと胸が熱くなる。

 

入国審査で楽器を咎められないかと心配していましたが、

問題なくスルー。

妻は頭痛薬などを持ち込む必要があったので、

英語の説明書きなども準備していましたが、

こちらもあっさりスルー。

よかったよかった。

 

そして空港を出る。

当たり前ですが、周りは外国人ばかり。

オーストラリアは白人圏という認識でしたが、
本当にいろいろな人種がいる。

不思議な気持ちになります。

海外に行くと常々、日本人であることを再認識させられる。

そして、それを誇りと思えるように行動しようと背筋が伸びる。

 

空港から電車で宿泊先へ移動。

電車はクレジットカードでタッチ改札可能。

すごく便利です。日本もこれを導入してくれるとありがたいんですが、

どうせいろんな利権なんかが絡んで簡単にはいかないんだろうな。

電車に限らず、今回の遠征中、

買い物はすべてクレジットカードのタッチ決済でした。

 

セントラルステーション駅で乗り換え、

宿泊先のキングスクロスへ。





駅を出ると、酔っ払い、路上喫煙、タトゥーびっしりマンなどが目につき、

道の向こうでおじさんが「ファックオフ!」と大声で誰かにどなっている。

道にゴミも多く、タバコ屋、タトゥー屋、風俗店らしき店も目立つ。

 

清潔安全なシドニーをイメージしていたので、

驚かされましたたが、調べてみると、

キングスクロスはかつて南半球一の歓楽街だったらしく、

いまでも怖い事件などが起きたりするらしい。

夜はあまり出歩かないほうがいいとのこと。

怖い怖い。

 

解放感とほのかな緊張をいだきつつ、ホテルへ15分程度歩く。

街中の建物はヨーロッパ風のものが多く、美しい。

 

森有正さんの本で、パリには名所が多いということを書いてあったのを思い出す。

日本の「名所」は「名所」として整えたものが多いが、

パリはもともとある街並みが残っていったことで「名所」となっているので、

日本の「名所」とは意味合いが異なる、といった内容だったと思う。

 

キングスクロス(シドニー)も同じかもしれない。

もちろん近代的な建物もあるが、古くからのものも大事に残されていて、

調和している。その様子がとにかく美しく、うらやましい。

 

戦火、震災などの有った東京では同じことはできないのは百も承知だが、

もう少し、残す努力はあってもよかったのかもしれない。

そんなことを思う。

 

 

途中、コンビニで軽食、水を買う。

物価が高いので、抑えての購入。

日本は貧乏になったのだな、と再認識。

あながちそれが悪いことばかりとは思っていませんが。

 

そして21時過ぎにホテル着。

今回の遠征は、私の退職記念でもあり、

初の夫婦海外遠征でもあるので、

少し奮発してHISでツアーを組みました。

(と言っても、航空券とホテル予約のみをお願いする形で、
結果的にかなり安価な旅になりましたが・・・)

 

なので、ホテル選定はお任せだったのですが、

先述の文章にかぶるような、古風で素晴らしいホテルでした。

 

今時のシティーホテルなどに比べると、

調度品は古いし、建屋、壁も古さを感じるのですが、

我々にはむしろうれしい。

木製の階段手摺、陶器の風呂おけ、固定式のシャワーなど、

管内をうろうろするだけでも歴史と異国感が味わえる。

 

部屋で楽器の状態などを確認しつつ、組み立て。

ちょっとゴルゴ気分。

 

そして、就寝。

 

翌日からはいよいよバスキングとなりますが、

天気予報によると、午後から雨らしい。

午前早い時間から動き出そうと、計画し、早く寝ようとするが、

やはり興奮して寝付き悪し・・・

 

 

次回へ続きます。

 

 

 

 

2025年10月2日木曜日

くそバイクに学ぶ

 

ちょっと前の酷暑とうってかわり、

最近は朝晩寒いくらいになってきた。

 

こういう季節になると、私の家の周りは騒がしくなる。

我が家は山間部にあり、すぐ近くに峠道もあったりするので、

ツーリング、ドライブの連中が増えてくるのだ。

 

それはもちろん一向にかまわないのだが、

なぜか大きなエンジン音を出したがる連中がいる。

大きくふかしてみたり、
バックファイヤみたいな音を出してイキり去るのもいる。

普通に走りゃいいのに。

周りに迷惑をかけるくらいしか表現手段がないのだろう。

 

以前住んでいたところほどではないものの、

土日の朝ともなると結構なやかましさ。

山なのでやまびこ効果で響くのだ。

 

まぁ、信号もなく、交通量も少なく、

自然に囲まれている。

そんな中を走っていたら、飛ばしたくもなるのかもしれない。

 

おそらく、普段の自分を忘れることの快感がそこにあるのだろう。

バイク乗りの大半はコスプレしている。

アメリカンバイカーごっこ、暴走族ごっこ、

各種ロゴの入った、ガンダム顔負け配色のツナギを来てレーサーごっことか。

 

このコスプレも「普段の自分を忘れる」一環なのだろう。

くそみたいな普段の生活を爆音爆走で忘れるぜ、みたいな。

結果、人間的にはさらにくそ堕ちしているのだが。

 

 

さて、この「自分を忘れる」という行為ですが、

以前から私も取りつかれている言葉でして、

忘我の快感というものについて考えたりする。

 

例えば、映画を見たり、小説を読んだりして
その世界に入り込み、自分を忘れる。

 

ふと、その世界に飽きを感じたりすると、日常を思い出したりする。

この忘我率みたいなものの高さが映画の評価に
つながったりする面もあるように思う。

だからこそ、ハリウッド映画のように大スペクタクルで

常に事件、アクション、ショッキングな場面が続く映画が
「面白い」とされたりするのだろう。

 

 

人は自分の行為を認識するとともに、

その認識者を認識する癖(能力)がある。

メタ認識なんて言われたりもしますが、

自分を自分が見ているという状態だ。

 

自分を自分で見て、
自分の思う自分と異なることを目の当たりにする。

これはつらい。

メタ認識は必要だが、たまにはそこから離れたい。

だからこそ忘我は快感なのだろう。

 

 

私は坐禅を日課にしていますが、

坐禅中は頭の中に沸き起こる妄想、雑念を認識するとともに振り払う。

この「振り払う」行為をどうやって行うかというと、

自身の姿勢、体、呼吸に目を向ける。

呼吸の出入りを確認しつつ、自分の体を上から下までスキャンしていく。

そうすると、意識は頭の中から体へと移行し、いったん雑念は離れていく。

 

それでも、「怒り」「いらだち」など、離れにくい想念はある。

ネガティブな想念ほど、心に絡みつく。

その場合はその想念自体を改めて見つめてみる。

怒っている自分、いら立っている自分を見つめ、
なぜそんな風に思うのかと考える。

段々と普段からそういった癖がついてきて、
冷静な自分でいられる(気がする)。

 

要はメタ認識を捨ててみて

ダメなときはメタ認識をみつめてみる。

そんなことをしているわけだ。

 

人である以上、メタ認識を完全に捨てることはできない。

 

動物はメタ認識を行わない(と思われる)。

メタ認識こそが人を人たらしめ、同時に転落させるものなのだろう。

マタイの福音書によると「天国に入るには幼子に戻るしかない」という。

幼子はメタ認識力が低いゆえに
天国入りできるということなのかもしれない。

そうじゃない我々は煉獄に居残るか地獄に落ちるしかない。

 

でも、私は動物でも幼子でもないし、なれるものではない。

人としてメタ認識とうまく付き合っていくしかない。

 

 

楽器を演奏するとき、私は「忘我」状態であろうとしてきた。

メタ認識を捨てた、無心に近い状態。

西田哲学でいうところの純粋経験状態での演奏が理想と思ってきた。

 

坐禅を重ねる中で少し変わってきた。

メタ認識を排除した「忘我」ではなく、

メタ認識と共存した「忘我」、そんな境地があるのではないか。

 

坐禅にヒントがあるのかもしれない。

いったん没入を求め演奏し、

雑念が紛れてきたときには
自分の音、演奏姿勢、楽器の手触りなどを実感してみる。

それでも紛れ込んでくる雑念にはいっそ乗っかってみる。

 

先日の記事で自信の演奏に酔ってみるということを書きましたが、

これなどは私なりに雑念に乗っかる行為の一つだったりする。

 

 

早朝、坐禅をしていると騒音バイクが聞こえてきた。

うーむ。邪魔くさい。

 

でも、大したものではないかもしれないが、

騒音バイクのおかげでの「気づき」というのもあるかな。

 

・・・不本意だが、ありがとうございます。

 

 

 

 

2025年9月10日水曜日

のうてんふぁいらⅤ日記

 

先週末は「のうてんふぁいらⅤ」でした。

お越しいただいた皆様、ありがとうございました。

 

妻と二人での地元発信活動体「にじいろのめ」による5回目の企画。

いままでは昼の開催でしたが、初の夜開催となりました。

今回はそんな「のうてんふぁいらⅤ」日記です。

 

昼開催の時は朝から準備+移動でしたが、

夜開催ということで日中に時間余裕があり、
気負うことなく準備して15時過ぎに出発。

・・・ですが、これが「抜け」につながったか、

会場についてみると
妻の展示物類を持ってきていないという
痛恨のミス発覚。

 

会場準備は妻に任せ、私はトンボ帰りで自宅へ忘れ物を取りに帰る。

何とか開場前に間に合い、急いで食事を済ませて開場。

余裕をもって進むはずが、なんともドタバタな幕開けとなりました。

反省です。

 

そんなこんなで開場し、
来場のお客様や出演の山際さんと談笑などしているうちに

いよいよ開演の時間。

 

 

山際さんの演奏からスタートです。

談笑ムードから、山際さんがステージに出ると空気がピシッとする。

 

先日、SNSで古武術研究家の甲野善紀さんの言葉を読みました。

氏は古武術の中に見られる、現代人が忘れた体術、身体操作を現代に伝え、

格闘技、スポーツのみならず、音楽家に対しても
セミナー、講演をおこなっていらっしゃいます。

 

そんな氏のことばで、

音楽家にとって楽器演奏は
「型」みたいなものだと思う、との言葉がありました。

 

「型」とは身体操作を学ぶためのヒントが詰め込まれた先人の知恵であり、

空手では型演武の美しさを競う部門もあったりします。

「型」に隠されたヒントを読み解くことで、

以前に紹介させていただいた菊野先生などは、

見た目からは想像できないような重い突きを放ったりなさいます。

 

楽器演奏はそんな「型」だという甲野先生。

この言葉の根底には、
「楽器奏者である前に音楽家であるべき」という前提がある。

楽器演奏を通して音楽家として成長していく。

私などはついついこれを忘れ、
音楽家よりも「ベーシスト」として自認してしまいがち。

本当の自分完成はベーシストという楽器奏者ではなく、
音楽家であるはずなのに。

 

甲野先生の何気ないこの表現に、

上記のような気付きを得た次第です。

 

さて、話がずれましたが、

この「音楽家」という言葉に山際さんを思い出します。

山際さんはギタリストですがその前に音楽家。

どんな楽器を持とうが、
なんなら楽器を持っていなくても音楽家山際さん。

氏のたたずまいにはそういった雰囲気がある。

この日の演奏もそんなことを思い出させる、

自然体からあふれ出る山際ワールドを堪能させていただきました。

 

 

今回の企画では、

ステージ上で妻のライブペイントもあり、
音楽演者と二分して妻もステージに立つ。

私の知る限り、妻がステージでペイントするのは初めて。

初の共演が山際さん・・・なんともすごい話です。

 

会場へ向かう車中での妻との会話で

思えば山際さんを知ってから10年になるといった話しをする。

夫婦でシスターポールのライブを見に行き、

共演の血と雫に衝撃を受ける。

帰り道、二人で「あのギタリスト、すごかったね」などと話しあった。

あれから10年。

こうして共演させていただく間柄になれるとは思いもよらなかったなぁ。

これからもよろしくお願いいたします。

 

 

山際さんの演奏を終え、転換中、

妻のアイデアで、お客様に事前に配った自作のシールを

描き途中のライブペイント作品の上に、思いのままに貼り付けていただく。

ライブペイントにハプニング要素を加えるとともに、

お客様にも参加してもらうという面白いアイデアです。

 

 

転換を終え、私の演奏。

自主企画ということもあり、
普段より長めのセットを演奏させていただきました。

 

妻も隣でライブペイント。

ソロ演奏でステージを誰かと共有するというのは初めてのことであり、

しかもそれが妻というのがまた不思議な感じです。

特に意識するでもないのですが、違和感のようなものは感じてました。

演奏にそれらが顕れていたかどうかはわかりませんが。

 

 

そして終演。

久々に会ったお客様からお初にあった方々と談笑。

飯能という土地柄、電車の都合もあってお客様皆様お早めにお帰りになり、

遠くから来てくれて、飯能に一泊するというお客様(学生時代の後輩)を
ホテルまで送って帰路へ。

 

なんかドタバタの中で駆け抜けた感じでしたが、

達成感とともに帰宅しました。

帰宅後、久々にビールなど飲みました。

あー楽しかった。

 

 

今回、夜開催というのも初めてであり、

ライブペイントとの共演というのも初めて。

5回目の企画にして、新たな試みができました。

次回はどんな形の「のうてんふぁいら」にしようかな。

 

その前に来月はオーストラリアです。

そちらでも妻との共演形式となる場面も多くなると思いますので、

徐々に新しい表現形態が模索出来てきたら面白い。

今後も焦らず、狙わず、変化していきたいと思います。

 

 




2025年8月19日火曜日

自演に酔う

お盆休みも終わり、昨日から平常運転です。

 

今年も毎年と変わらず、

特に遠出するでもなく、

坐禅、練習、模型、読書の日々でした。

 

休み序盤は天気が悪く、涼しいのはありがたいが、

かなり湿気が高く、楽器もべたべたする。

(うちはスパルタなので楽器のためにエアコンをつけたりはしてません。

 というか私の部屋にはエアコンがありません。)

 

べたべたする上に、やっぱり音もこもりがちです。

木が湿気を吸うからなのかな。

高音の抜けが悪い。

 

休み終盤からは天気が回復して、楽器の鳴りも復活。

なので河原で練習。

日中はさすがに無理ですが、早朝や夕方は全然問題なし。

まぁ、熊、蛇を警戒しながらの練習とはなりますが。

 

ここのところ、「演奏に酔う」ということについて再考しています。

 

日本人は感情をあらわにすることが苦手と言われており、

さらに私の世代はどちらかというとポーカーフェイスでいることが

かっこいいと感じてしまう傾向があります。


お笑いで言うと、ダウンタウンの漫才にはまった世代ですし、

音楽でも80年代の派手な演出よりも、

90年代的に「素でいること」のカッコよさに惹かれてきました。

(今思うと、あれも「素」ではなくて、ちゃんとカッコつけていると思いますが。)

 

そんなわけで、私は自分の演奏に心が奪われる、

言い換えると「酔う」ことをあまりかっこいいことと考えてきませんでした。

でも、今更ながら、より素直に感情を開放したほうが、

良い演奏につながるのではないか、と考えた次第です。

 

音を出すことは気持ちよく、楽しい。

それを素直に楽しみ、

心を揺らす旋律にはそのままに心を揺らす。

それらの集積が曲になり、

それを分析せず、描かれる世界に酔う。

 

まぁ当たり前と言えば当たり前なのですが、

これが意外と難しい。

 

ありがちなのが、ライブハウスでも結構見かける、

それっぽい表情や動きで演奏するという行為。

「私、イっちゃっております。」

「俺、自分を解放しているぜ」みたいなコント。

 

そうではなく、中からの発動。

なんなら表には何も現れないこともある。

そんな「酔い」です。

 

先日、武術系のYOUTUBEを見ていて

「地球押し」というワードに出会いました。

要は腕立て伏せなのですが、

体を支えるという意図で行う腕立てよりも、

地球を押す意図で行う腕立ては格段にきついとの話でした。

おなじ一つの行為でもイメージの持ち方によって
大きく効果が変わる証左かと思います。

以前に短期間ですが合気道を学んだ際にも、

「気」の出し方で演奏内容が変わるのでは、
といった内容を書かせていただきました。

その中でele-phant時代にコミさんから歌のアドバイスとして、

「遠くに届かせるように歌うとよい」といった話を
もらったとのことを書きましたが、

これなんかもやはりイメージの持ち方で表現が変わる例なのだろう。

 

自分の演奏の世界に入り込み、

その中で演奏する。

いまさらですが、そんな稽古に励んでみたお盆休みでした。

 

 

 

さて、そんなお盆を経て、

いよいよ「のうてんふぁいらⅤ」近づいてまいりました。

 

 




現時点、この企画以降は

いわゆるライブハウス出演の予定が入っておりません。

10月にオーストラリア、12月に地元の音楽祭イベントはありますが。)

 

そんなわけでひょっとすると
年内最後のライブハウスになるかもしれませんので、

ぜひぜひ遊びにいらしてくださいませ!




2025年7月30日水曜日

クライシス帝国越え

 

夏真っ盛りといった時期になってきて、

我が家の方もかなりの気温になってきています。

日中は38℃に達する日もあります。

平熱をゆうに上回る温度です。

 

SNSなどでも見かけるネタですが、

1989年放送の仮面ライダーブラックRXにて、

クライシス帝国が日本政府脅迫のために作った
人口太陽による気温が38℃でした。

 

当時私は中学生。

真夏でも30℃を超えると猛暑日という感じで、

学校の教室にはエアコンもついていませんでした。

38℃となると脅威の温度だったんですね。

おそらく人類が生きていけないレベルと考えての気温だったのでしょう。

 

そんな酷暑の今夏ではありますが、

私の部屋にはエアコンがありません。

また、練習部屋(?)でもある物置にも当然エアコンはありません。

そんなわけで、最近は朝4時から練習しています。

 

山の中なので、日中は38℃ですが、

朝は肌寒いくらいです。

この寒暖差、なんでこんなに街中と違うものなのかと
不思議に思ったりしていたのですが、

最近その理由(の一つ)に気づきました。

それはコンクリート、アスファルトが少ないことに
起因するのではないでしょうか。

 

コンクリやアスファルトは日中
強烈な日光で熱せられて焼石となるため

日が暮れてからの放熱には時間がかかります。

外気温が下がってきても、じわじわと放熱していくことで、

町全体の気温低下勾配が鈍角になるのだと思います。

 

山の中、森の中ではコンクリ、アスファルトが少なく、

木々、草花や土に囲まれています。

生物である森、土は代謝があるので放熱も早いです。

日が暮れると一気に放熱し、

夜中にはすっかり熱が抜ける、そんな理屈なのかと思います。

 

また、我が家はお化け屋敷級のアンティーク木造物件ですので、

風の通りがよく、熱もこもりにくい。

そんなわけで、日中もエアコンなしで何とかしのげています。

この風通りの良さで各種の虫たちが家の中を闊歩しておりますが・・・

 

 

さて、朝4時に練習と書きましたが、

アンプを鳴らして練習するときは河原に行っています。

そんな時に少し不安に思っているのが、熊との遭遇です。

 

今年は全国的に熊害が多いですね。

我が家の周りでは、熊が目撃されると

その場所に「熊目撃アリ」とのポスターが貼られるのですが、

今年はそのポスターが近所でも増えてます。

 

先日、練習のために河原に行くと、

対岸に鹿の親子がいました。

私を見て驚いて森の中に入っていきましたが、

私も驚きました。


鹿も増えているような気がします。

夜中に近所から鹿の鳴き声が聞こえ、

不審に思って庭をみたら2頭の鹿がいたなんてこともありました。

 

鹿はかわいいのでいいですが、

熊は怖いです。

ですが、朝の空気の中で練習するのは本当に気持ちがよく、

音を出し始めると熊のことも日常のことも忘れます。

熊さんのほうも私の音楽で和んでいただけるといいのですが。

 

 

さて、告知です。

 

9月ににじいろのめ企画「のうてんふぁいら」開催します!

 






地元(飯能名栗、秩父)からの文化発信を視野に妻と結成した活動体

「にじいろのめ」による、今年3回めの「のうてんふぁいら」となります。

 

第5回となる今回は初の夜開催となり、

第一回にも出演いただいた山際さんに胸をお借りします。

 

ツーマンライブとなりますので、

長めのセットリストで臨ませていただきます。

普段のライブで披露しにくい長曲や実験曲もやってみたく思います。

 

また、妻はライブペイントをやるとのことで、

こちらの化学反応も楽しみです。

 

宜しくお願いします!

 

 

 

2025年7月15日火曜日

コンパクトな曲+映像=映画オープニング

 

大先輩であるcorruptedのギタリスト横田さんとお話している中で、

80年代以降にプログレバンド(GENESIS,EL&P辺りが顕著)が

長大な作風から、5分以内のコンパクトな作風に
移行していった現象について語り合ったことがある。

 

一般にはラジオ、テレビでかかりやすいように
ポップス化していったという見方が多いですが、

氏から、大曲でなければ表現できなかった自分たちの世界を

短い中で表現することができるようになったからなのではないか、

短くなければ伝えられないことも多いことに気づき、

その方法論を磨いていったのではないか、

といった説をうかがい、慧眼に感服したことがありました。

 

確かに音楽好きな人間であれば、

10分超えの曲であっても違和感なく聴けますが、

普段から音楽に触れていない人には長すぎるだろう。

そういう人たちにも聴いてもらえて、かつ感動させるとなると、

そこにはいろいろな「わざ」が必要になる。

 

ましてや、長曲を作り続けてきたバンドがそれをやろうとなると、

その苦戦はすごかっただろうし、ハードルは高かったはずです。


それを成し遂げてきたプログレバンドたちは、

「商業化した」とか揶揄されることもありますが、

大変な挑戦をして成功したのだと思うと、改めてすごさに気づかされます。

 

 

同様にコンパクトに世界観を表現する音楽というと、

映画音楽が挙げられるかと思います。

 

ここでいう映画音楽とは挿入曲ではなく、メインテーマ曲のこと。

たいていはオープニングで3~4分のメインテーマが流れ、

そのメロディが映画自体を印象付けたりもする。

 

そこで使われる楽器は多様ですが、

やはりオーケストラ楽器が使われることが多いと思います。

同じようにオーケストラで演奏される交響曲などでは1楽章で1015分、

それが通常4楽章となっているので、1時間くらいあるのが普通です。

映画音楽では、その15分の1。
緩急をつけて3~4分にまとめあげる。


しかも映像とのマッチングも必要であり、

映像より目立ってもダメだし、逆に映像に負けてもダメ。

そんなバランス感覚も必要になる。

(これは音楽側だけの課題ではありませんが。)

本当にすごい作曲能力がないとできない。


※念のためですが、クラシック音楽や交響曲と映画音楽では
作品の意図、目的、歴史が全く違いますので、
全くの別物であり、横並びで比較するものではありません。
そういった意図ではなく、使用楽器が近似であることから、
対比したような記述になっております。
どちらも素晴らしいですし、どちらも大好きです。


 

名作とされる映画音楽は本当に素晴らしく、

オープニングでその曲が鳴っただけで引き込まれる。

「ゴジラ」「スターウォーズ」「夕陽のガンマン」・・・

いずれもあの音楽無くしてどこまで名作足りえたか。

 

 

話が長くなりましたが、

今回は私が過去に感動した映画オープニング3選のご紹介です。


いずれも、短い中で音楽、画像が絶妙に絡み合っており、

これだけで感動させられてしまう。

また、映画を見た後にもう一度オープニングを見ると、

そこに表現されているものの深さにさらに気づかされたりもする。

 

ではまず1つ目。

コーエン兄弟の「FARGO」です。


 

この映画は当時、予備知識なく見たのですが、

オープニングを見ただけで感動して泣いてしまいました。

私は若いころにビデオレンタルで働いていたこともあり、

結構な量の映画を見てきましたが、
オープニングだけで泣いたのは後にも先にもこの映画しかない。

 

音楽を担当しているのはカーターバーウェル。

この方はコーエン兄弟の映画では常連の音楽家でして、

「バートンフィンク」なども素晴らしい。

コーエン兄弟作品以外でも「キャロル」なども素晴らしいです。

 

 

次は「DANCER IN THE DARK


 

こちらは主演のビョークによる音楽です。

抽象的な画像との荘厳な音楽の対比が素晴らしいです。

 

盲目の主人公の心象風景なのでしょうか。

映画を見た後だと、
オープニングの意味合いが変わってくる好例かと思います。

 

ビョークは本当にすごいですね。

色々なスタイルの音楽を常に一定水準以上に作り上げ、

さらにこの映画では女優としても名演技を披露しています。

 

・・ですが、この映画、重すぎるので、2度と見れない。

視聴後、かなり落ち込まされる、いわゆるトラウマ系映画です。

 

余談ですが、私の中でのトラウマ映画3選となりますと、

「ダンサーインザダーク」「ミリオンダラーベイビー」「火垂るの墓」となります。

「火垂るの墓」にいたっては
こうして名前を書いているだけで胸が締め付けられます・・・

 

 

最後は「HANA-BI

 


音楽は言わずと知れた久石譲さんですね。

たけしさんの色彩豊かで素朴な絵、途中に入る北野映画らしい寸劇、

全体を彩る北野ブルーに混ざり合う音楽が素晴らしいです。

 

久石譲さんの音楽は北野映画、ジブリ映画問わず、

不思議なほど心に響く。

一聴して久石さんの音楽と分かる個性があるのが素晴らしい。

 

ラヴェルのピアノ曲などを聞いていると、

影響元と思われるフレージングがあったりしますが、

まさしくエッセンスの抽出~コンパクト化の例と言えるかもしれません。

 

 

以上となります。

 

翻って自分を見てみると、私の楽曲はどれも長いです・・・

ループを重ねていくというスタイルですので、

どうしても長くなりがちなのですが、

改めて短い曲での表現を研究しております。


また、こうして映画オープニングを見ていると、

映像と絡み合うことによって、世界観がより分かりやすく、
明確になることの面白さを感じます。

映像とのコラボ、もしくは映像そのものにもいつか挑戦してみたいです。

 

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さて、告知です。


7月20日(日)

URON ALPHA #9

京王堀之内timetokyo

w/

ANANAS

TECHNOCRACY

QUILL

THE EARTH TEMPLE

GRIND SHAFT

Communicates

xonto

YOUNG FOREVER

don horror


open 12:50
start 13:10

900yen +1D


いよいよ今週末ですね。

URON ALPHAへの参加は2回目。
今回も楽しそうです。

皆様、遊びにいらしてくださいませ。