2021年10月26日火曜日

ヤトウムシ

 

2年前に郊外に引っ越してきてから、

家庭菜園的なものをやるようになった。

 

と言っても、本格的なものではなく、

小さい庭の一部を耕して、数種の種を植えている程度のものだ。


収穫に固執することもなく、

種を植え、芽が出て、葉が伸びる。

そんな過程を日々見ているだけでも、

憩いであり、学びがある。

いうなればそれが目的であり、収穫であったりする。

 

もちろん、食べられる程度に採れるとそれはそれでありがたい。

自分で育てて、地元の空気、庭の土で出来た野菜は不思議とおいしい。

だが、たいていはその前に虫に食べられてしまう。

 

本当にいろんな虫が来る。

アブラムシ、エカキ虫、毛虫、芋虫、バッタ・・・

さらには野良猫が糞をして、

それを埋めるために土を掘り返して苗を倒していくこともある。

 

こうして野菜を作ってみるまで知らなかった虫もいる。

ヤトウムシ、ヨトウムシがそうだ。

 

彼らはヨトウガの幼虫で芋虫なのだが、

名前の「夜盗」の通り、昼間は畑の土の中に隠れていて、

夜になると出てきて葉を食べる。

朝起きて畑を見ると、昨日有ったはずの葉、芽が無くなっているのだ。

 

その存在を知った時、面白い習性に感心しつつ、

その習性にたどり着いた進化について考えた。

 

人間の耕作文化とともに進化していったのかと、一瞬考えたが、

そんなわけもあるまい。

おそらく、昼間に葉をついばんでいると、小鳥に狙われるので、

夜中に食べるようになったのではあるまいか。

 

ヤトウムシは鳥や人から隠れて夜に行動する。

でも、鳥と人で大きく立場が違う。

 

鳥はヤトウムシを食べようとしている。

人はヤトウムシと野菜を取り合っている。

ヤトウムシにとって、人はたかだが競争相手。

鳥の方がよっぽど脅威だ。

 

にもかかわらず、ついつい自分たち(人間)に対抗するための進化なのではないか、

などと思いあがったことを考えたりする。

人なんてそんなもんだ。

 

今朝もヤトウムシと競争しながら、そんなことを考えた。

 

 

 

さて、告知です。

 

先日の記事でも書きましたが、

ひさびさにライブをやります。

 

1113日(日) 国分寺モルガーナ

DENY THE END vol.7”


 

同日、新作アルバム、シングルも持参予定です。

よろしくお願いします。




2021年10月7日木曜日

アルバム、シングル発売。そして久々のライブ

 

HPにも記載しておりますが、

ソロとして初のアルバムを発売いたします。

 

過去にライブでも披露している

JOHN FAHEYU.のカバーを含む全7曲。

いずれもベースのみを使い、

オーバーダブ無しの一発録りでまとめています。

 

発売は11月を予定しており、

現在は各種手配などを進めている状況です。

フォーマットはCD、特殊ジャケ仕様になっております。

1300円。





 

同時にCDRでのシングルも発売いたします。

こちらは幾分実験的な曲とMELVINSのカバーの2曲入り。

紙ジャケ仕様、300円。

 

アルバム、シングルとも、

現時点、店頭卸の予定はありません。

ライブ会場もしくはメールオーダーのみになりますので、

気になる方がいらっしゃいましたら、以下までご連絡お願いします。

 

斉藤 新

sleepsleepgotosleep@gmail.com

 

 

そして、久々にライブもあります。

 

1113日(土)

国分寺MORGANA

Guilty Forest presents

DENY THE END vol.7”

 


 

積極的にライブイベント主催を行う、

Guilty Forestの企画。

 

最初にこのライブが予定されたのは年初だったかな。

コロナ影響で延期が2度続き、今回ようやく開催できそうな状況です。


楽しみにしていた企画ですのでうれしい限り。

また、不屈の意思で企画し続けてくれた、

Guilty Forestおよびモルガーナスタッフさんに感謝です。

 

このライブにはアルバム、シングルを持っていけるよう、

引き続き準備を進めます。

 

なお、このあとのライブ予定は白紙です。

いろいろと思うところがあり、

路上ライブをやっていこうかななどと考えています。



さて、

レコーディングしていて、ちょっと考えたことがあります。


ソロの楽曲ではルーパーで作ったバックトラック上に

リード演奏を重ねる場面があります。


そのリード演奏は何度も稽古を重ね、

新しいフレーズを試していく中で徐々に収斂されていき、

自分の好み、曲に求めるものなどを踏まえて

最終的は一定の形になってくる。


そして、それが「正解」として

その曲を弾くときにはいつも同じリードを弾くようになる。


それは当然「正解」と呼んでしかるべきものだと思うし、

だからこそ今回、レコーディングでも「正解」リードを弾いた。

でも本当にこれでいいのかなとふと思った。

無意識的に可能性を拒否してしまっているのではないか。

本当のリードはその場、その時、気分に応じてベストがあって、

それを追い求めるべきなのではないか。


ロック(特にメタル)を聞いて育った身としては

リード演奏というのは一定の形であるべきものだという無意識的な認識がある。

何時聞いても同じフレーズ。

リスナーとしてはそれを聞きたいし、それを待っている。


だが、そういう認識を自分から覆す努力をしないと、

自分のやっていることはいつまでも同じだろう。

もう少し意識的に覆していかなくてはいけないんじゃないか。

そんなことを考えた。


いや、具体的に何をすべきかはわからないし、

考えすぎだとも思うんですけどね。





2021年8月27日金曜日

ツイッターをやめた話

 

ツイッターをやめました。

 

震災の時、電話が使えなくなり、

家族と連絡が取れなくなった際、

WEBを介して連絡を取るSNS

さほど影響を受けずに連絡が取れたという話を聞いたのがきっかけで、

緊急時の準備として始めたのが20113月。


そこから10年続けてきたことになる。

いよいよやめることにした。

 

やめる理由はいくつかあるが、

なんというか、精神的に不健康な気がしてきたことが主因だ。

 


ツイッターは限られた文字数で

基本的には写真ではなく文字情報を伝えるという性格からだろうか、

結構強めに自身の意見を書く人が多い気がする。

場合によっては他者を叩いてでも。

もちろん、勉強になったり、興味深い考え方に出会うこともあるが、

どちらかというと嫌な気持ちになることの方が多いように思う。


これはよく言われる話ですよね。

各種SNSの特徴を挙げるとき、

ツイッターの攻撃性はたいてい挙げられているように思います。

 


次に、似通った他者の考えを連続して受け取るなかで、

自分のタイムラインの中の独自世論みたいなものが形成されてきて、

流されそうになることもある。

自分の意見を確固と持っている分野の話であればそんなこともないが、

ツイッターで流れてくる話題はそういうものばかりではない。

いろんな話題が流れてくる中で、無意識に影響を受け、

自由な感じ方、発想が妨げられているように感じるときがある。


以上の2点は以前から感じていたことで、

不健康だな、と思いながら利用してきましたが、

 コロナ以降、フォロワーフォロイーとリアルで会う機会がなくなったことで、

もう一つ嫌な一面が見えてきてしまった。

 

SNS性格みたいなものってあると思う。

現実の人物とSNS上の人物像が異なる現象のことだ。

 

FACEBOOKをやっていたころ、

敬意を持っていた先輩が痴話記事や恨みつらみ記事ばかりを書いているのを見て

幻滅してしまったことがある。

ご本人的には「どちらも自分」とおっしゃるだろうが、

他者からするとその限りではない。

(それが理由というわけではないですが、FACEBOOKも結構前にやめています。)

 

ツイッターでも似たような現象があり、

リアルで会う機会があれば、「これもこの人の一面」で済ませられるのだが、

コロナ以降はそうはいかず、ツイッター人格=その人とインプットされがちだ。

 

もちろんいい方向に裏切られることもあり、

「この人、こんな面白い一面もあるんだな」もあるが、

残念ながら、大半は逆だ。

 

こんなつまらないことで人を嫌いになるなんてつまらない。

 

 以上がツイッターをやめるに至った理由です。

もちろんこれらはあくまでも個人的な意見であり、

それらを割り切ってうまく付き合っていける人もたくさんいるだろう。

うまくやれない私に問題があるのかもしれない。

とにかく、私には合わない気がしてきたのだ。

 

 上述の通り、コロナで加速したけど、実は「やめようかな」はずっとあった。

でもやめなかった理由は音楽活動への宣伝効果だ。

 

いまや、SNSは重要な宣伝ツールであり、

ツイッターはその最右翼かと思う。

 

でも、気づいたんですよ。

「ツイッターで見ました」って言って来てくださったお客さん、

10年のツイッター歴の中で5人もいない・・・

 

それどころか、ツイッターで拡散したら「よーし宣伝完了!」みたいな感じで

集客がおろそかになり、赤字になった経験の方が多い。
(結構この経験をお持ちの方は多いのでは?)

 

 

少し心残りと言えば、フォロイー、フォロワーさんとのダイレクトメール機能だ。

今後、ご連絡をいただく際はブログコメントもしくはメールにてお願いします。

 

メールアドレスは「斉藤新HP」にも記載していますが、

sleepsleepgotosleep(a)gmail.com

(a)を@に変更してお使いください。

 


ツイッターでつながっていた皆様とは

ちょっと疎遠になりますが、今後ともよろしくどうぞ。

 

 

 

2021年8月26日木曜日

DITTO LOOPERとBOSS RC1

 

今日はエフェクターの話。

 

今、私が作っている音楽スタイルの中で、

一番重要なエフェクターはルーパーとなります。

 

以前はルーパーのほかにも

各種FUZZやピッチシフターなどを使って、

いろいろなトーンの音を重ね合わせる音楽を作っていましたが、

今はそれらも排し、ピッキングの仕方、位置などでトーンを操作し、

足元はルーパーのみとなっております。

 

ルーパーは各社から出ているのですが、

有名なところだと、

BOSSRCシリーズ(LOOP STATIONシリーズ)、

TC ELECTRONICSDITTO LOOPERシリーズあたりが挙げられるかと思います。


左がDITTO LOOPER、右がRC1


私もこの2種を所有しており、

試す機会が多いので、その比較でも書いてみたいと思います。

 

 

操作性は大差無いですが、大きく異なるのが、

TRUE BYPASSか否かです。

DITTO LOOPERTRUE BYPASS(トゥルーバイパス)

RC1BUFFERED BYPASS(バッファードバイパス)となります。

 

TRUE BYPASSとは、

エフェクターのスイッチがオフになっているときに、

エフェクターの回路を通らずに信号がインプット→アウトプットに流れる仕様のことです。

その為、スイッチを入れていないときに、

エフェクター回路による音質変化を被らないという利点があります。

 

対してBUFFERED BYPASSはスイッチオフ時にも、

エフェクター内のBUFFER回路を通ることになり、

微細な音質変化が起きてしまいます。

実際、DITTO LOOPERRC1でバイパス時の音を比べると、

RCの方が若干高音域が削られてしまう印象があります。

 

BOSS製品は大半がBUFFERED BYPASSを採用しています。

そのため音質変化が嫌でBOSS製品を嫌がる方も結構います。

 

 

私が若いころはあまりTRUE BYPASSという言葉を聞いた覚えがないのですが、

ここ10年くらいでしょうか、よく聞くようになりました。

それは上記のような「バイパス時に音質変化が少ない」という点での流行かと思います。

 

こう聞くとTRUE BYPASSの方が理想的に見えてきますが、

そうとも限りません。

 

TRUE BYPASSのエフェクターは、

スイッチを入れる際に音量の変化が起きます。

(もしくは起きることが多いです。)

 

ひずみ系など音質変化をともなうものであれば、

ボリューム調節次第で何とでもなるのですが、

例えばディレイなどだと、踏んだ瞬間に音量が上がってしまうので、

ちょっとこのままでは使えません。

なので、そういうときはBUFFER回路を持つエフェクターを交えて使う必要があります。


 

エレキギター、ベースから出てくる電気信号は

ハイインピーダンスという状態になっており、

外部のノイズ影響を受けやすい信号形態です。

これをBUFFER回路に通すとローインピーダンスという信号形態に変化し、

ノイズ影響を受けにくくなります。


ハイインピーダンス信号を一度BUFFER回路に通して

ローインピーダンス信号に変えてからであれば、

TRUE BYPASSのエフェクターでの音量変化現象はなくなります。


TRUE BYPASSのエフェクターに入ってくる信号がハイインピーダンスだと、

スイッチをオンにした瞬間に内部でローインピーダンスに変化し、

回路内で音量が調整されてしまうのです。(もしくは調整しやすくなります。)

結果、回路の性格によって

踏んだ瞬間に音量が変わってしまうのです。

 

DITTO LOOPERも同様でして、

BUFFERを通さず、LOOPERのみで使用しようとすると、

踏んだ瞬間に音量が変わってしまいます。

結局、BUFFERとの併用が必要になってきます。

 

RC1と違って、BUFFERを別で準備することになるので、

自分の好みにあったBUFFERを選べるという点ではメリットではありますが、

1台余分にエフェクターを並べる必要があるというのは

デメリットかもしれません。

 

 

さらに、一番の問題点としまして、

DITTO LOOPERはルーパー回路がオン、オフになるタイミングで

「プツッ」というノイズが入ります。

ノイズ自体は小さいのですが、曲の中のどこで鳴るか次第では

結構気になります。

 

持続音(E-BOWなど)で演奏しているときに、

スイッチをオンにすると、「プツッ」が結構目立ちます。

また、ループ演奏を終える際、

そのままスイッチを長押しして、ループを消去しようとすると、

ループが止まって、数秒後、ループデータ消去完了の際にも「プツッ」が出ます。

 

BUFFERED BYPASSRC1はそういうことはありません。

ただし、上述の通り、BUFFERによる音質変化が発生します。

一長一短です。

 

持続音の中でスイッチオンをしない、

曲の中でループデータを消去することがないのであれば、

音質変化の少ないDITTO LOOPERの方が有利です。

ですが、そうでないならばRCシリーズの方が有利です。

 

ちなみにDITTOシリーズは上位機種であれば、

BUFFERの有無を選べるようです。

そちらで「プツッ」ノイズが入るのか否かは未確認です。すみません。

 

 

LOOPERから話がずれますが、

昨今のTRUE BYPASSブームには少し疑問も感じます。

なんか、盲目的にTRUE BYPASSが選定されている場面が多いように思います。

それよりも、音質変化の少ない、

もしくは音楽的に違和感のないBUFFER回路を開発するほうに

もう少し力を入れていただきたいものです。

 

今回、「プツッ」ノイズを指摘させていただいた

DITTO LOOPERの販売元TC ELECTRICSですが、

実はその辺、企業努力をなさっています。

昨年発表されたFLASHBACK2MINIHOF2MINIなどは

小型エフェクターながら、BUFFERの有無を選定できる仕様になっています。

 


DITTO LOOPERは小型で軽く、

デザインもかっこいい。

いつかBUFFER有無が選べる仕様になって、

「プツッ」が解消されると嬉しいです。

TC ELECTRONICSさん、よろしくお願いします。

 

 

 

2021年7月31日土曜日

多足

 

昨夜、寝室にゲジが侵入してきた。

 

郊外に住むようになって、だいぶ虫には慣れましたが

さすがにぎょっとした。

相変わらず足の多い虫は苦手だ。

 

あれだけたくさんの足があって、

それが確実に機能している。

頭で考えると本当に不思議な虫たちであり、

興味もわくのだが、いざ見ると嫌悪感が沸き上がってきてしまう。

 

多足類ではないがゴキブリも同様に嫌悪される虫の代表だろう。

漫画「テラフォーマーズ」で人間がゴキブリを嫌うのは

直観的なものだとして、ぬぐえない感情として書いている。

(漫画内ではゴキブリ側も人間を直観的に攻撃対象と認知している。)

 

この気持ちはどこから来るのか。

高校のときの生物の先生が面白いことを言っていたのを思い出した。

 

先生曰く、人の歴史の中で、虫が天敵だった時代があり、

その恐怖が遺伝子に組み込まれているという。

 

映画「スターシップトゥルーパーズ」のような怪物がいたというのか。

とんでもない仮説だ。

これが先生独自の説なのか、どこかで発表されている説なのかはわからないが、

面白い仮説だ。

 


この先生、こういう不思議な説を授業で紹介してくれる面白い先生でした。

 

記憶に残っているものにこんな話しもある。

恐竜は化石しか残っていない。

なので、我々が思い描く恐竜像はあくまでも骨格からの想像図に過ぎない。

例えば象の鼻には骨がない。

恐竜にもそういう器官があった可能性があるというのだ。

そして黒板に首長竜の鼻が大きく伸びた絵を書いてくれたのを覚えている。

 

もちろん教科書から逸脱した話だし、

先生が学校で教えるべき内容ではないのかもしれないが、

自分の信じている事実がすべてではないということを実感し、

なんだかドキドキしたのを覚えている。

 

興味を持つこと、持たせることが学習の第一歩だろう。

プラトンも哲学の出発点は「驚き」であると言っている。

そういう意味では素晴らしい先生だったなぁ、などと

ゲジとの出会いから思い至った次第。

 

 

そういえばこんな話も覚えている。

黒板に爪を立てたときとかの「キ~~」という音は

誰しも苦手だが、これも過去にこういった声を出す天敵生物がいたのだという。

 

そうなると、人間の天敵として

「黒板に爪を立てる音で鳴く、大型の多足虫」が存在したということになる。

 



怖すぎだろう。




 

 

2021年6月4日金曜日

聴く

 

一番最初に買ったCDは何だったろうか。

ちょっと自信がないが、中学の時に買った

原由子のソロアルバムだったかもしれない。

 

その後、高校生になり、音楽に目覚めると、

音楽好奇心があふれ、とにかくたくさんのCDを聴くようになった。

とはいえ、なかなか買えるものでもなく、

たいていはレンタルだ。


親にうそを言って学食代を多めにもらい、

一番安い掛蕎麦で済ませて、差額を貯める。

 

お金がたまると近所のCDレンタル屋の回数券を買う。

回数券は10枚分の料金で11枚まで借りることができるのだ。

気になるものを片っ端から借りた。

 

そして近所の古道具屋に行き、

誰かが一度使ったカセットテープを買う。

ちょっと気持ち悪いが、当時はそんなものも売っていた。

たしか110円だったかと思う。

たいていはラジオや何かの講演などを録ったカセットだったが、

中にはロックもあったりした。

 

まずはそれを聴いて、気に入ったらそのまま残し、

いまいちだったらその上に借りてきたCDをダビングする。

ちなみに頭脳警察の1stはこの「古道具屋カセット」を通して出会い、

今でもそのカセットは持っている。

 

 

お金がないのでCDを買うことは少なかったが、それでもたまには買った。

そんな折、友人に中古CD屋の存在を教えてもらう。

今は亡き、南池袋のレコファン。

最初に店に行ったときは宝の山のようで、うれしくて楽しくて

ろくに知らないジャンルの棚まで見てまわった。

ブルーススプリングスティーンのアルバムを買ったのを覚えている。

 

 

当時はとにかく1枚のアルバムの重みが大きく、

買ったら(借りたら)絶対に通して聴いた。

あまり好きじゃないと思っても、絶対全部を聴く。

 


その後、年齢を重ねるにつれて、

聴き方が雑になっていった。

持っていないアルバムだからとか安いからという理由で購入し、

ろくに聴かずに棚に置くようなことも増えていった。

 

若いころに聴いていたものを今聴くとちゃんとアルバムの全体を覚えている。

次にどんな曲、パートが来るか覚えている。

「聴く」とは本来こうあるべきだろう。

棚の肥やしを増やすのは音楽を求める行為ではなく、

コレクションでしかない。

自分はやっぱりコレクターよりもリスナーでありたい。

 

コロナ以降、自宅にいる時間が増えたせいか、

音楽をよく聴くようになった。

保有しているCD、レコードを片っ端から聴いている。

中には購入時にろくに聴いていないものもあったりするが、

改めて聴きなおしていくなかで

自分の好きなもの、求めるものは何なのかが再認識される。

 

聴きなおしながら、改めて自室の棚を整理する。

聴きなおしていく中で自分の中の棚も同様に整理されていく。

いい感じだ。

こうしてこれからも音楽を聴き続けていきたい。

 



 

2021年5月28日金曜日

はてなの中で

 

昨年末に文庫化された、森達也さんの

「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」という本が面白い。

文庫化時にいっき読みして、最近再読した。

 

生粋の文系と自称する著者が、

科学の各分野の最先端の学者にインタビューを行い、

人間が根源的に持ちつつ、回答の得ることのできない、

「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」に対して

解を探っていくという内容だ。

 

ゴーギャンの作品名から取られたこのタイトルからすると、

哲学的な硬い本を想像してしまうが、そんなこともない。

軽すぎず、重すぎない文体が読みやすく、

また、文系といいながらも理系知識にも明るい著者は

変に学者さんに置いて行かれてしまうこともなく、

同時に読者も置き去りにしない。

絶妙な難しさ加減で進んでいく。

 

 

森達也さんというと、オウム問題や超常現象など、

ある種、「サブカル」とか「タブー」「オカルト」にくくられそうな分野に

変な先入観を持たずにノンフィクションでまとめていく作家さんと見ている。

 

「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」以外にも1冊読んだことがある。

その名も「オカルト」。

超能力、霊能力などの特殊能力者や超常現象の起こる場所に赴き、

実際に体験しながら、その不思議を探っていく作品。

 

世間にあふれる超常現象は大半が

思い込み、トリック、インチキであるとしながらも、

残りの数パーセントは本当にそういった能力が

存在するとしないことには説明がつかない、として

各種の体験をまとめていく。

 

「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」でも「オカルト」でも

世界にはまだまだ分からないことがたくさんあるということを思い知らされる。

 

我々はついつい、世界は1+1=2の積み重ねであり、

説明の出来ないものは無いかのように考えてしまうが、

そんなことは無く、世界は不思議にあふれているのだ。

というよりも世界の根っこは不思議で出来ていて、

その上の楼閣で人は生きている。

 

Bucket-Tで「天使のうた」という曲を作ったとき、

こんな歌詞を書いた。

「永遠に続くはてなの中で 何を信じ、何を祈る」

自分で書いた歌詞に共感してたら世話無いですが、

まさしく世界はそういうものなのだと思っている。

 

どんなに知識を積んでも、勉強を重ねても疑問符は並び続いていく。

それが世界であり、我々にできることは

その中で何かを信じて、そこに跪きながら生きていくことだけだ。

 

 

「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」には

10人の最先端の科学者が出ているが

残念ながら私は大半の方を知らず、著書も数冊しか読んだことがない。

なので、この本を通してそれぞれの思想、研究を知りました。

 

たくさん興味深い話があるのですが、

脳科学者の藤井直敬さんの章での話でこんな話がありました。

 

我々とは何者か、との質問に対し、

藤井さんは世界の一部であると答える。

個は本来存在しないと。

おそらく大半の動物は個を意識せずに生きているという。

 

だが、人はメタ認識の能力により、

外界との相互作用の中で意識が芽生えていく。

言い換えると、外界によって自己が作られていく。

たかだか世界の一部でしかないものが、外界との関係、相互作用によって、

「我々」としての自我を作っていくのだ。

 

SFなんかで悪の親玉として出てきそうな、

培養液のようなものの中に脳だけが浮かんでいるだけみたいな存在、

それでは自己は芽生えないのではないかという。

外界との境界があいまいだからだ。

相互作用が生まれにくい。

 

 

体という「境界」が「環境」と相互作用しながら、

我々は自我を築いてゆく。

 

それは意識して行うことではなく、

ほぼ自動的になされてゆく。

例えば、病気、けが、老化などの身体(境界)変化、

政治情勢、経済状況、自然破壊などの環境変化、

さらには新ウィルスの流行なんかも環境変化といえるだろう。

すべてが個々の自我を作ってゆく。

 

それら変化は一見ネガティブに響くが

どのみち自我に作用するのだから

自己を作り上げていく要素としてポジティブに捉えたいものだ。

 

中国の紀元前300 年ころの思想家であり

道教の始祖の一人でもある荘子の考えに因循主義というのがある。

簡単に言うと自己を捨てて絶対的なものに委ねるというもので、

荘子が書いたとされる本にこんな逸話が残されている。

 

道家思想を持つ人物が謎の病気にかかり、

背中が折れ曲がり、異常な体形になってしまう。

その人物を見舞うと彼は全く落ち込んだ様子もなく、以下のようなことを言う、

「こんな体に変わってしまい、造物者のすることは本当に面白い。

 次はどんな変化が起きるのか楽しみでしょうがない。」

「この世に生まれたのは生まれた機縁を得ただけであり、

 死んでゆくのもその道理にしたがうだけだ。」

 

ちょっと話が大きくなりすぎましたが、

荘子の思想ほどではないにしても、

変化を楽しみながら生きていけるようにありたい。

体も環境も変わっていく。

不安や恐れはつきものだが、そこにこそ成長がある。

 

どうせ世界は不思議で包まれているのだ。

考えてもしょうがない。

GAUZEじゃないが、

「考えてもしょうがないことは東スポの占いで決める」くらいでいいのだろう。