2022年7月5日火曜日

GRIEF  "DISMAL"

 

愛聴盤紹介

8回目の今回は

GRIEF”DISMAL”です。

 


言わずと知れたスラッジコアの先駆者。

このアルバムは彼らの1stアルバムで発表は93年。

 

今でこそスラッジと言えば

誰もが音像を想像できますが、

このころはそういった音楽はまだまだ世の中に

ほとんど出てきていませんでした。

私にとっても、このアルバムが初めてのスラッジです。

 

とにかく重く、暗く、遅い。

いまどきのスラッジなどに比べると洗練はありませんし、

フルレンジな迫力あるミックス技術もない時代の作品で、

決して聴きやすくありません。

リズムも揺れ揺れです。

でも、だからこそバンドの息の合いが全面に見えてくる。

気持ちを込めての演奏が、鬼気として迫ってくる。

 

この1st以降、GRIEFは

徐々にハードロック化していきます。

重さ、迫力はそのままながら、曲はわかりやすくなっていきます。

 

それはそれでかっこいいのですが、

そうなっちゃうと個性が薄れてきてしまいます。

よそと同じ感じになっていっちゃう。

ちなみにこのハードロック化は

「スラッジバンドあるある」で多くのバンドがこの道を進み、

面白みを失っていく傾向があります。

 

ですが、この1stはちゃんとスラッジ “コア” です。

曲のルーツはあくまでもハードコア。

自分たちの描きたい世界、言葉にとって、

この音楽の形がベストなんだ、と胸を張っている感じがすごく好き。

 

中ジャケのメンバー写真もなんともいなたくて最高です。



グレコ、アリアプロっぽいギター、ベースがいかす。

これ、どこで演奏してるんだろ。

大きなお世話ですが、もう少しいい写真は無かったんだろうか・・・

いや、格好や場所なんでどうでもいいんです。

 

そして、盤面印刷も最高です。

 


これ誰だろ。

意味不明で怖い・・・

音楽の怖さに不思議な味を付与するような謎の盤面です。

 


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さて、すでに何度も告知させていただいておりますが、

今月末、24日は国分寺でライブをやらせていただきます。

 


これ以降、いまのところライブ予定入っておりません。

この機会に是非どうぞ。

よろしくお願いします。




2022年7月1日金曜日

渋滞にはまると

 

以前、何かで読みましたが、

男性は渋滞にはまって動けないときに

漫然と過去の出来事、失敗などを考えることが多いそうだ。

 

ブルーハーツの歌詞で、

「あの時ああすればもっと、今より幸せだったのか」というものがあるが、

渋滞中にはそんなことを考えてしまうらしい。

 

女性はこういったことを考えないということもないだろうが、

妻と会話していても、どうも私の方が、

過去のことをうだうだ考える傾向が強いように思う。

 

改めて考えるに、

あの時ああしていたから、今より幸せであることなど無い。

今は今で幸せで、それを比較できるものではない。

 

人はついつい他人と自分を比較してしまう。

きっとこれは社会生活を送る動物たる人間としての、

本能の一つなのだろう。

過去について思いを馳せるというのは

他人ではなく、自分を対象とした比較と言える。

 

我々はこの「比較」を明確にするためのツールとして

数字という概念を持っている。

何事も数字に置き換えるシステムが存在し、

それにより比較を具体的かつ他者と共有できるようになっている。

お金、人(人数)や、SNS以降は「いいね」の数など。

 

だが、本当はそんな数字で比較することなどできない。

幸せとはそんな一定のルールで測れるものではない。

数字での比較をする時点で

自分なりの価値判断を捨てている傾向にある。

そうではなくて、自分なりの価値判断を持っていることが「幸せ」なんだと思う。

 

自分なりの価値判断は以前にも書いた「経験」の中で醸成されていくものだろう。

 

ただただ生き続けていくことだ。

何も気に病む必要なんてない。

 

まぁ、そう言いつつも渋滞にはまると

過去のことを考えてしまうんですけどね。

 

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さて、7月になり、次回ライブまで1カ月を切りました。

 




最近はだんだんとライブ告知などを聞く機会が増え、うれしい限りです。

私も今月はいくつかライブを見に行く予定です。

コロナ以降、会っていなかった音楽仲間と会えるのも本当にうれしいし、楽しいものです。

 

24日は国分寺でお会いしましょう。

 

2022年6月20日月曜日

小室哲哉

 

私には3歳上の姉がおりまして、

子供のころに聞こえてくる音楽と言えば、

姉が聴いている音楽でした。

 

私と違い、社交的な性格の姉は、

頻繁にいろいろな友人からレコードを借りたり、

テープをダビングしてもらったりしており、

そんなわけで、姉と共有の子供部屋には流行の音楽が鳴っていました。

 

BOOWY、レベッカ、SHOWYATMネットワーク、渡辺美里、

米米クラブ、レッドウォリアーズ、爆風スランプ などなど。

 

そうして受動的に聴いているうちに、

自分にも好きな音楽ができてくる。

TMと渡辺美里が好きになりました。

いまでも好きでたまに聴きます。

 

改めて考えてみると、小室哲哉の曲が好きだったのだと思います。

TMはもちろん、渡辺美里にも小室哲哉は多数の曲を提供しており、

私が好きな渡辺美里の曲はたいていが小室作品だ。

 

小室哲哉の作曲スタイルというと、

わかりやすく、少し影のあるメロディと

頻発する転調。

あとは時代に合わせた電子音かと思います。

 


久々に渡辺美里のアルバムを聴いていて、

何気なく音を取ってみて驚いた。

 

この曲、転調しまくりで、

後半のサビリフレインなどは延々転調を繰り返す。

でも全然散らかった感じがしない。

歌唱力と彼女の声質もあいまって、すごい高揚感。

 


この曲は91年のアルバム「LUCKY」に収録されている。

91年の小室哲哉というと、TMネットワークがユーロビートに接近したり、

レイブに傾倒し、TRF結成をもくろんだりと、

小室スタイルに「ビート」が重要な要素として入ってきたタイミングのようです。

 

そんな「ビート」前夜の集大成的な作曲なのかな。

本当にすごい。

 

私の小室哲哉についての知識はほとんどなく、

爆発的に人気のあった時代のことも、その後のこともほとんど知らない。

世間的にはいろいろ言われていますし、

言われるからには問題もあったのだろう。

でも、とにかく天才であることは間違いないと思う。

 

今、アメリカでは80年代日本のいわゆる「シティポップ」が人気らしい。

ノスタルジックで無国籍な音楽性が受けているらしい。

 

おそらく数年後に海外での小室哲哉再評価ブームが来るような気がする。

この特異性と異国性は他にないと思う。

 

 

 

 

2022年6月10日金曜日

エントンベド キュッス

小ネタです。

 

自分なりのバンド名の呼び方ってありますよね。

読み間違いでの呼称がそのまま癖になったり。

その後、正式な読み方を覚えるんですが、

いくつかはそのまま癖になってしまっていたりします。

 

読み間違いの代表格と言えばこのへんかと思います。

ENTOMBED(エントゥームド)→エントンベド

KYUSS(カイアス)→キュッス

 

定番ですね。

高校生のころ、当然のように間違い呼称で読んでいました。

 

もう少しかわいい間違いだとこの辺。

BATHORY(バソリー)→バトリ

ASSUCK(アサック)→アスック

BRUJERIA(ブルへリア)→ブルジェリア

MINOR THREAT(マイナースレット)→マイナースリート

 

私の話ではありませんが、ネペの須藤君は

SAINT VITUSのことをビタスと言っていました。

なかなかの学の無さです。

 

あと深読みしすぎて間違えるパターン。

AMEBIX(アメビックス)→エイメビックス

AUTOPSY(オートプシー)→オートサイ

LARM(ラーム)→レルム

 

ラームは本来はレルムが正解な気もしますが

一般的な呼称はラームですね。

 

基本的には本来の外国語発音をカタカナに落とし込んでの呼称が正解なのでしょう。

ただ、一時期に伊藤正則にごり押しされたせいで、

CATHEDRALをキャシードラル、

SEPULTURAをセプルトゥーラというのは抵抗があります。

そっちが正解なのはわかっていますが、

あくまでもカテドラルであり、セパルトゥラです。

 

あと、KREATORは絶対クリーターです。

クリエイターではありません。

しかもどこにもイントネーションを置かずに

棒読みで「くりーたー」が正解です。(私の)

 

 

間違いとは少し違いますが、

BURZUMのことはいまだにバーザムなのかバーズムなのかわからず、

いつもぼんやりと発音するようにしています。

 

あと、LED ZEPPELINの略称“ZEP”も

ツェップなのかゼップなのかよくわからない。

なので、この略称はあまり使わないようにしています。

 

バンド名ではありませんが

NWOBHM (NEW WAVE OF BRITISH HEAVY METAL)

高校のころに雑誌で見かけて、どう読めばいいのかわからず

“ンウォーバム”という独自読みでインプットされています。

ただ、この呼称、不思議と万人に伝わるので、

みんなこんな感じに読んでいたんでしょうね。

 

 

略称も各人の癖がでますね。

学生時代の友人はSCORPIONSのことをスコピーと呼んでいました。

強いて言うならスコーピだろ、と突っ込みたいところですが、

なんか、おさまりがよくて私もスコピーと呼ぶ癖がついています。

 

RED HOT CHILIPEPPERSと言えばレッチリですが、

高校時代の友人は赤チリと呼んでいました。

うーむ。すごく不快。

ちょっと「流行らそう」みたいな色気が感じられてむかつきます。

絶対に使いたくない。



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くだらない話の後で恐縮ですが、

告知です。


久しぶりのモルガーナ
 

ライブ合間にこんなバカ話でもいたしましょう。

 

 


2022年6月8日水曜日

Christy Doran and Boris Salchak ”SHAMAN”

 

愛聴盤紹介。

第7回目の今回はChristy Doran and Boris Salchak の”SHAMAN”です。

 

ジャズギタリストのクリスティドーランと

モンゴルのミュージシャン、ボリスサルチャックとのコラボアルバム。

 

基本線はボリスサルチャックによる民謡、民俗曲に

ギターでコードや空間エフェクトを付与する感じなのですが、

中には強烈なインプロもあり、ボリスサルチャックの語り、煽り(?)声、

突発的な打楽器乱打の裏に不穏なギターノイズがかかるなど、

呪術的な雰囲気に飲み込まれます。

 

一応探してみたら、1曲だけYOUTUBEにありましたね。

この曲はアルバム中で一番聴きやすい曲かと思います。

 


モンゴルの民族音楽というと、やはりホーミーが思い出されます。

このアルバムでもホーミーは多用されていますが、

それだけではなく、なんだか不思議な音、リズムがたくさん出てきます。

どこまでがエレキギターでの加工音で

どこまでが民族楽器によるものなのかわからなくなる。

この曲でも全体を通してなっているボワボワ言ってる謎のリズムが面白い。

そのリズムにユニゾンで「うんばーやくばー」という

謎コーラスが入ってくるところにぞくっと来る。

ボワボワはどんな楽器なんだろう。

 

購入した当時(2000年ころ)はYOUTUBEなど無い時代でしたので、

想像を膨らませるだけでしたが、今は便利になりました。

モンゴルミュージシャンによるライブ映像を見ることができます。


 

この動画の1曲目”CHYRAA KHOR”は

このアルバムの中でも取り上げられています。

有名な民謡なんですかね。


ボワボワの正体は左端の方が弾いている

胴が深めの謎弦楽器なのかな。

革袋みたいなマラカス、石みたいなカスタネット状楽器とか、

モンゴルの音楽は本当に不思議です。

 

そして、こうして聞いているとギターでの味付けは不要な気がしてきます。

この状態で完璧だと思う。

クリスティドーランさんには悪いけど。


愛聴盤紹介なのに、身も蓋もない話になっちゃいました。

いつかこういう音楽も生で見てみたいな。

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さて、告知です。



すっかりモルガーナブッカーが板についてきたユリアキ君の企画です。

 

このライブ以降、今のところライブ予定ございません。

この機会によろしくどうぞ。




2022年5月27日金曜日

血で書かれたもの

 

面白い動画をみました。

 

デニスチェンバースがTOOL”SCHISM”を一聴して、

それを叩いてみるという動画です。




 

この「達人が未聴曲に一聴で挑戦」というのは

シリーズになっていて、過去に別の動画も見ましたが、

今回は課題曲が5/8+7/8という変拍子の難曲ということもあり、

すごく興味深く見させていただきました。

破綻することなく叩ききるリズム感覚にうならされます。

 

また、見ていて不思議だったのが、

ヘッドフォンで元曲を聴くときのデニスのリズムの取り方。

軽く顎を上下させながらリズムを取っているのですが、

リズムの何を聴いて乗っているのかわからない。

 

裏で乗っているように見えるが、その限りでもなさそう。

彼の顎の動きに合わせてリズムを取ってみましたが、全然しっくりこない。

うーむ。これが以前の記事で書いた

国民性、民族性による違いなのかもしれない。

 

 

最近、伊福部昭とバルトークの本を立て続けに読んだこともあり、

音楽への民族性の影響みたいなものについて意識が深まっている。

 

お二人とも音楽に民族性、地域性が影響を与えることを書いている。

民族性によって音楽の好みにも違いが出る。

自分の血が求めるものは「好み」としても現れる。

 

ニーチェはツァラトゥストラの中で

「すべての書かれたものの中で、

私が愛するのは血で書かれたものだけだ」と書いています。


この「血で書く」には

自分の中に流れる歴史をさらけ出すという意味もあるかもしれない。

 

常々、いい曲を作りたいと思ってもがいていますが、

もっと単純に自分の中からあふれてくるものを大事にできればいいんだろうな。

それこそがきっと自分が好きなものであり、聴きたいもの、

ひいては「いい曲」なのだろう。


その「あふれてくるもの」を捕えるというのが難しいのですが。

 

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さて、告知させていただきます。

 


724日(日)

国分寺モルガーナ

 

MORGANA 40th ANNILERSARY

“THE SUMMONIG”

 

出演

ATACAGA

HYLKO

曇ヶ原

斉藤新

地底湖

 

開場: 1730

開演: 1800

 

前売り: 2500円+1D

当日:  3000円+1D

 

 真夏の国分寺。

モルガーナ、40周年なんですね。

すごい。





 

 

2022年5月18日水曜日

3発目の

 

以前にも何度かこのブログで引用させていただいてますが、

森有正さんという哲学者のお考えが好きでよく読む。

 

氏の考え方の中で特徴的なものといいますと、

「経験」に関するものかと思います。

 

「経験」とは「体験」と違い、

日々生きていく中で個々の中に無意識に樹立されていくものであり、

それが個々の考え方、言葉、生き方を作っていく。

 

我々は「経験」というと何かを「体験」することと考えている。

例えば食べたことのないものを食べるとか、

行ったことのないところに行くとか。

「初経験」とかいうが、それらの大半は「初体験」である。


経験とはそういうものではなく、

木は日々見る中では全く成長していないように見えても、

数年たってみると巨木になっているように、

変化はないように見えても変貌していくこと、

これこそが経験であるという考えだ。

 

言葉の意味も「経験」によって個々の中で変貌していく。

例えば、「愛」という言葉の意味は何だろう。

人によって、家族、恋人、ペット、などなど

いろんな形で「愛」とは何かを考えるだろう。

でも、その中に共通する何かは明確に説明できない。


言葉にして説明することができないとしても

それは「経験」によって積み上がっていき、

それぞれに中に「愛」という言葉の意味が樹立していく。


そしてその言葉を他者と共有する中で、

それはさらなる意味を持ち、言葉として強化されていくのだ。

(この辺、私なりの森有正解釈も含んでしまっています・・・)

 

「思想は、思想から出発しては全然ダメなのです。

問題はその素材である言葉の扱い方を学ぶだけなのです。

その素材が組織された姿がある一つの思想を定義するのを

辛抱強く待つほかないのです。」 

 

きっと年齢を重ねることの意味もここにあるのではなかろうか。

子供のころ、年寄りの話をよく聞くようにと言われたものですが、

それは年寄りの持つ知識を吸収せよ、という意味ばかりではなく、

どのように「思想」「生き方」が構築されていくのかを感じ取れ、

という目的もあったのではなかろうか。

 

生活の中で「経験」は積まれていき、

思想、生き方、ひいては「自分」はまとまっていく。

だが、その生活次第でその出来上がりには

違いが出てくるのではなかろうか。

その為の指針となるものが

道徳であり、文化であり、国家であるのかもしれない。

 

そしてその捉え方も個々の「経験」によって変わっていく。

文化、道徳、国家といったものも同様に

時間の中で巨木として構築され、更新されていく

なにもかもが互いの「経験」が絡み合う中で変貌していくのだ。

 

 

震災以降、「日本」について考えることが多くなった。

森さんの文章を読んでいてもまた考える。

 

「木々は光を浴びて」という文章を、

森さんは、日本に住むフランス人女性との会話の引用で終えています。

 

会話の中で東京での生活についての話になり、

その中で何がきっかけか覚えていないものの、

彼女がふと「3発目の原爆はまた日本に落ちると思います」という。

 

彼女には差別的な考えも偏見もない。

何のてらいもない、この突発的な発言に森さんは言葉を失う。

潜在的に彼女が感じていた、「経験」への日本の軽視が

こういった発言につながっているのではなかろうか。

 

「木々は光を浴びて」は1970年の文章です。

それから50年。

日本はどんな巨木になれたのだろうか。