2022年1月18日火曜日

NAPALM DEATH "THE PEEL SESSIONS"

 

愛聴盤紹介、第3弾はこちらです。

NAPALM DEATHTHE PEEL SESSIONS

 

NAPALM DEATH1987年、89年、90年に

BBCPEEL SESSIONSに出演した際のライブ収録で、

バンド公認の音源ながら、ディスコグラフィーには乗らない

オフィシャルブートといった感じです。

 

NAPALM DEATHと言えば、グラインドコアの始祖と目され、

世界にブラストビートを広めたバンドの一つかと思います。

 

いわゆる激しい音楽、うるさい音楽で、今では普通に導入されるブラストビート。

その黎明期である80年代中盤ごろから

各地でブラストビートを導入するバンドが現れ、

それぞれが表現方法を発展させていきます。

このブラストビート黎明期の音楽が好きでして、

NAPALM DEATHのほか、SOB、SIEGE、FEAR OF GODも好きでよく聴きます。

 

今ではブラストビートというと一般的な奏法になっており、

スマートに使いこなすバンド、プレイヤーが多いですが、

このころのブラストはどのバンドも粗野というか力づくというか、

鬼気迫るものがあります。

 

このTHE PEEL SESSIONSでも87年、89年のライブあたりは濁流のような音像です。

当時、ノイズ系のアーティストが

グラインドコア、デスメタルに接近する場面が多かったですが、

この濁流感は確かにノイズに近い印象です。

 

90年のライブになるとツインギターになり、

ボーカルもリードリアンからバーニーに代わり、

だいぶ重量感が出て、少し音が整理され、

この後のデスメタル化をうかがわせていますが

まだまだ力づくな感じが残っており、聴いていて怖い。

 

このTHE PEEL SESSIONSに収められている曲群をオリジナルアルバムで聞くと、

音がローミッドにたまりがちだったり、

謎のリバーブ感、フェイザー感もあって爽快感は少ない。

これはこれで好きなのですが、ちょっと聴き疲れします。

 

THE PEEL SESSIONSでは比較的すっきりした音像にもかかわらず、

オリジナルアルバム以上に暴力的で、正直何やっているかよくわからない・・・

ですが、ライブゆえの有無を言わせぬ直球感、爽快感があります。


足りないものを初期衝動の強さで補っている感じ。

この感じはこの音源以外ではそうそう味わえない。

すごく独特な味わいのある1枚なのです。

 

これを聴いた後に最近のグラインドコアバンドを聴くと洗練っぷりに驚きます。

ちゃんと各楽器がぶつかりすぎない音域に分かれ、

位置も整理されている。

 

レコーディング技術、音楽性の進化を感じておもしろいですが、

やっぱり、心のどこかでグラインドコアにはサービス精神の無さを求めちゃいます。

それじゃ売れないので徐々に進化していったのでしょうけどね。

 



2022年1月3日月曜日

あけましておめでとうございます。

 

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。


正月1日、2日は妻、私の実家に行ってまいりました。

両家とも都内ですので、帰省という感じではないのですが、

1日は実家に泊まり、のんびりさせていただきました。

 

翌2日は特にやることもないので、

朝から実家付近を散歩し、子供のころの通学路から、

20代頭のころに一人暮らししていたぼろアパートなどを見てまわる。

忘れていた風景に触れる。


友達と遊んだ公園、喧嘩した友達の家、買い食いした駄菓子屋の跡地、

よく寄り道した本屋、恋人に電話した電話ボックスなどなど。

昔の記憶がよみがえってくる。

 

人は他の動物よりも確固とした「記憶」という能力をもつことで

時間の観念、未来への予測を立てられるようになった。

だがその結果、絶対に避けることができない

「死」を常にどこかで意識することになったという。

他の動物たちにとってはいつか来る一瞬でしかないものを、

我々は常に覚悟、恐怖しながら生きる。

それゆえに時間が過ぎていくことへの無意識的な不安を持ち続ける。

これが人間の特徴であり、不幸でもあるとする説を読んだことがある。

 

だが、記憶をたどる散歩の中で去来するのは不幸とかの類ではなく、

もっと温かい気持ちでした。

「記憶」というのは今の自分の礎であることが意識され、

感謝の気持ちがわいてきた。

 

「記憶」が人間の特徴であるのなら、

この「感謝」も特徴であろう。

もっと明確に意識して生きていくべきだろうな。

過去に感謝の気持ちを持ちながらすごそう。

 

そんなことを考えました。

 

 

さて、年明けから堅苦しい話になってしまいましたが、

コロナ状況が昨年よりは安定していってくれることを期待し、

今年は自主企画も復活したく思います。

 

その第一弾が決定しております。

 

“純粋経験ギグ”

2022226日(土)

阿佐ヶ谷天

 

出演:

斉藤新

山際英樹

SCHOOLDAYS

 

開場 19:00

開演 19:30

チケット  1000円+1

 

以前コロナ影響で共演がとん挫してしまった山際さんと、

私のソロ活動に指針をくださった

SCHOOLDAYSをお呼びし、

自主企画の再出発の意味合いも込めさせていただきました。

 

ぜひお越しくださいませ。

よろしくお願いいたします。

 

 

 

2021年12月30日木曜日

年末ご挨拶と”GUNDA”のこと

 

年末です。

あと二日で2021年も終わりとなります。

 

今年、自分の中での大きな出来事というと

ソロアルバムの発売」かと思います。

 

コロナ以降、一人稽古を続け、

自分なりに練り上げた曲と技術を一応形にできたことは

自分にとって事件でした。

 

一般流通していませんし、決して人目を集めるような作品でもなく、

たくさんの人に聴いていただくことはできていませんが、

それでも、聴いていただけた方々からはいろいろなご感想、ご評価をいただけており、

励み、力になるとともに勉強、気づきの糧にさせていただきました。

本当にありがとうございます。

 

現在も当然販売中ではございますが、

上述の通り、一般流通はしておりません。

ライブ会場での販売かメールオーダーでの販売となります。

ご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、

下記までメールいただけますよう、よろしくお願いいたします。

sleepsleepgotosleep@gmail.com

 

 

さて、年末で仕事も休みに入っており、

ここ数日は街に出て買い物したり、

ライブを見に行ったりなどしています。

コロナ状況も比較的落ち着いており、ありがたい限りです。

昨日は映画を見に行ってきました。

 

GUNDA”というドキュメンタリー映画。

セリフ無し、字幕無し、音楽なし、色なし(白黒画像)で

ある牧場の動物たちの姿を描いた作品。




 

本当にすごい映画でした。

こんな映画見たことない。

宣伝文句の中にもあった表現ですが、人生観を揺さぶられる感じです。

妻と見に行ったのですが、見た後の昼食は二人とも

衝撃を消化しきれずに変に無口になってしまいました。

 

そのすごさは言葉にするのが難しく、

仮に述べようとすると恐ろしく長文になりそう。

そしてそれでも言い尽くせない。

まれに言語化不可能、言語化拒絶な音楽に出会うことはありますが、

映画では初めての経験です。

不立文字な作品。

 

 

音楽に関わる観点で少しだけ頑張ってみますと、

上述の通り、作中に「音楽」は無いのですが、

動物たちの鳴き声、風、踏みしめられる草の音などが

完璧な音楽として存在しています。

それらはどこにでもある音なのに、

いわゆる「映画音楽」以上に作品にぴったりマッチする。

 

フィールドレコーディングをして、後で聞くと、

普段聴いている世界と違う表情が聞こえてくることがあります。

例えば、風の音などは普段の生活では「音」としてはあまり意識しません。

ですが、レコーディングすると、風の音、いわゆる「吹かれ」の音は

すごい存在感を示してくる。

 映画を見ていてそんなことを思い出しました。


映画の中の音は、普段の我々の生活の中でも聴いている音です。

我々の周りにも素晴らしい音楽があふれているのだと気づかされます。

ただ、それに気づけないだけで。

 

この映画の中には、この音楽の例にとどまらず、

特殊な事件、環境ではなく、普段の生活に真理があることを

示唆する要素があふれています。

 

うーん・・・

感想の一部だけでもうまくまとめようとするのですが、

全然伝えきれません。

やはりご覧いただくしかありません。

 

気になった方がいらっしゃいましたら、

ぜひ映画館に足をお運びください。

コロナの落ち着いているうちに。

 

 

今年も残り2日です。

楽器や模型でもいじりながら、のんびりと力まずに過ごしたく思います。

 

皆様、よいお年をお迎えくださいませ。




 

 

2021年12月22日水曜日

上原ひろみ THE TRIO PROJECT ”MOVE"


 

愛聴盤ご紹介。

第2回は上原ひろみトリオプロジェクトの”MOVE”です。

 

最初にこのトリオに触れたのはこちらの動画でした。


確か、今の日本のジャズミュージシャンを聴いてみたくて

彼女にたどり着いたんじゃなかったかと記憶しています。

そして一発でノックアウトされました。

以降、今年中で20回はこの動画を見ています。

 

本当に不思議な曲で、すごい構成美と演奏力に圧倒されます。

最初に引き込まれたのはSIMON PHILLIPSのドラムプレイでした。

ジャズ、フュージョン系ながら、

すごくロックっぽい盛り上げ方をなさるドラマーさん。

大好きです。

ツーバスの使い方やアタックの強さに

TOOLDANNY CAREYを連想しちゃうくらいロック的です。

 

中盤の5拍子のドラムソロ最後のツーバス連打、盛り上がりが絶頂になり、

一気に転調する場面に泣かされます。

なぜかこの動画を見るのは仕事での新幹線移動中が多いのですが、

何回か車内で涙ぐんでしまい、気恥しい思いをさせられています。

 


動画で感激して、ほかの曲も聞きたくてアルバムを買いました。

当然のようにアルバムもすごいです。

動画同様にハードでカタルシスにあふれる曲をメインに、

若干遊びを感じる曲も含め、アルバム9曲中7曲が7分越えの大曲ながら、

一気に聴きとおしてしまう。

 

上原さんはジャズピアニストとくくられるのかと思います。

実際、いくつかの曲ではジャズ的な演奏、フレーズが出てきますが、

どれもこれも一筋縄でいかない。

例えば、5曲目の中盤ではハードバップ的な4ビートが披露されますが、

これもフレージングに癖が強く、独特です。

 

ジャズ、フュージョンとかどうでもよく、

「いい曲」が並んでいます。

こんな曲をどうやって作曲したのか、

そしてこれをレコーディングしちゃう3人の技量、疎通を考えると気が遠くなる。

 

 

この記事を書こうと思い立ってから、アルバムを数回聴きました。

その上で昨日久しぶりに動画をみました。

 

驚きました。

アルバムでのピアノソロと動画でのソロは全く違う。

全然違和感がないので気づいていませんでした。

両方とも素晴らしいソロです。

 

どうすれば人間はここまでの音楽表現力、演奏力を身に付けられるんだろう。

どれだけのことを彼女は積み上げてきたんだろう。

童顔で小柄な彼女の演奏を見ながら

そんなことを思ったら、また泣かされてしまいました。

 

いつか生で見てみたいミュージシャンの一人です。







2021年12月3日金曜日

さらばガンプラ

 

ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、

私、プラモ、模型趣味がございまして、

こんなサイトもやっていたりします。

コロナの変異株の名前を聞くと、

ついついアナハイムの試作ガンダムのコードナンバーを

連想しちゃうくらいにはオタクです。

 

世代的にプラモというとガンプラです。

最近は触れる時間が少なくなってますが、

昔は頻繁に買っていて、

模型屋さんに行ってずらっと並ぶ製品を前に、

迷う楽しみを満喫したものです。

 

ですが、ここのとこ、状況が大きく変わっています。

 

今模型屋に行ってもほとんどガンプラが売っていません。

大型の模型店であっても数えるほどのアイテムしかありません。

以前は3棚くらいガンプラに割いていたお店でも、

今では1棚で数少ないアイテムを平置きして

なんとか「ガンプラコーナー」を埋めている感じです。

 

この現象ですが、コロナ以降、自宅趣味としてガンプラを始めたり再開する人が増え、

需要が高まり、その結果、転売目的に買い占める業者が多数現れたことが原因でして、

AMAZONであればたいていのアイテムは買えますが、

どれもこれもプレミアがついた状態です。

 

発売元のバンダイでも製品供給を増やすなどの調整をしているようなのですが、

ガンプラのアイテム数を考えると補完しきれるものでもなく、

最近では発売前の製品まで転売業者によって

AMAZON上でのプレミア価格で予約販売されているという異常事態です。

 

そんな状況なので購入希望者は転売屋と予約競争をしたり、

発売日に店舗に並ばなくてはいけない状態です。

そこまでするくらいならプレミア価格で買う、という人も多く、

悪循環に陥っています。

 

店頭で選ぶ楽しみが無く、

水物の転売価格を伺いながら買おうという気持ちにはなれません。

また、転売屋に売り上げ貢献するというのも、

この状況を受け入れるみたいで、なんか嫌な気持ちになります。

結局、ガンプラから気持ちが離れていきつつあります。

 

 

そんな中、ガンプラと持ちつ持たれつの関係にある

模型誌ホビージャパンの編集部員がこの状況に対し、

市場原理として普通のことであり、不満を言うのはおかしい。

黙ってAMAZONで買え、といった内容をSNSに書き、

炎上するという事件がありました。

言いたいことはわかりますが、模型誌までそんなことを言うとは世も末です。

同誌の質低下は以前から感じていましたが、

ここまで来たか、という感じです。

 

AMAZON、さらにはヤフオク、メルカリなどによって

個人であっても「プチ資本家」になれる時代。

この事態は資本主義では、

十分起こりえる事態なのだと思います。

個人である「プチ資本家」には市場倫理や業界調整なんて関係ないですから。

あくまでも利潤追求という本来の自由経済の形なのかもしれません。

 

起こるべくして起こっている事態なのかとも思いますが、

なんとも面白くないです。

 

 

最初にガンプラを買った(買ってもらった)のは

1次ガンプラブームの残り香がまだ漂っていた1981年、6歳の時でした。

1/550 ビグザム

6歳児には難しく、結局完成できませんでした。

 

あれから40年。ある時は熱中し、ある時は横目で見る程度に

細く長く付き合ってきましたが、

ガンプラとの関係もいよいよ潮時なのかな。

そんな気がしています。




 

2021年11月28日日曜日

MICHAEL GREGORY JACKSON "KARMONIC SUITE"

 

唐突に愛聴盤の紹介です。

 

今後、ブログの記事の一テーマとして、

自分の好きな音源などを紹介していこうかな、と思った次第でして

今回はその1回目です。

 

といっても、あんまり有名なものをわざわざ取り上げても、

ちょっと面白みに欠けるようにも思いますので

あまり一般的ではないけど、私が好きな作品を紹介していけたら、と思ってます。

 

そんな第一回目は

MICHAEL GREGORY JACKSONの“KARMONIC SUITE”です。




 

MICHAEL GREGORY JACKSONはアメリカのギタリストで、

一般的にはJAZZFUSION系のギタリストということになるかと思います。

フリー演奏、インプロで有名でして、

このアルバムもインプロが主体となっています。

 

このアルバムは彼の2枚目のソロアルバムで、1978年の作品。

ギターはエレキ、アコースティックを曲によって使い分けつつ、

曲によってはポエトリーリーディングやマリンバ、パーカッション、バンブーフルートなんかも演奏しています。

数曲でOLIVER LAKEがサックスを吹いており、

それらの曲では一歩下がってサックスが主役になっている場面も多い。

自分のソロアルバムなのに。

全体を見ることができる人なのでしょう。

 

フリー演奏のエレキギタリストと言いますと、

轟音や空間操作など、エフェクターを効果的に使用する方が多いのですが、

MICHAEL GREGORY JACKSONはフレーズで攻めるタイプです。

このアルバムでもエフェクターはほとんど使ってないように聴き受けられます。

おそらくアンプで歪ませてる程度かな。

 

そのフレーズが独特。

「フリー」であろうとすると、無調音楽になりがちだったり、

むしろフリー=無調みたいな考え方の人もいるかと思います。

この人は調性を感じさせるフレージングも多い。

曲によっては喫茶店でかかってても大丈夫なくらい。

 

その塩梅が絶妙で、不思議な雰囲気があります。

このアルバム全編を通して、その不思議感が漂っています。

不思議だけど不気味ではなく、乗れないけど揺れがある。

 

以前に「フリー演奏を聴く」とはその「人」を聴く行為ではないか、と書きましたが、

このアルバムを聴いていると、MICHAEL GREGORY JACKSONの「人」を感じます。

勝手な想像ですが、きっとちょっと難しいけど明るくて優しい人なのではないかと思う。

 

実はMICHAEL GREGORY JACKSONを知ったのは最近でして、

YOUTUBEで偶然知りました。

たしかKENWOOD DENNARDのドラムプレイを見ようと思って動画を探してて、

共演している動画を通して初めて出会ったんじゃなかったかと思います。




 

この動画ではギターシンセを使ってますね。

今回紹介したアルバムに比べて音が強すぎて

ちょっと魅力が伝わりにくいかと思いますが、

フレージングの癖はにじみ出てます。

ここから興味を持って今回紹介のアルバムにたどり着きました。

 

ちなみにタイトルの”KARMONIC”という単語は造語だそうです。

KARMA+HARMONICということでしょうか。

邦訳が難しいですが、なんかいい言葉です。




2021年11月25日木曜日

人間の発揮することのできる最も大きな力は人間の中に起源を持たない

 

郊外に引っ越してきて2年が経った。

 

郊外といっても徒歩圏内に電車駅、コンビニもあるし、

観光地なので、土日は人も多い。


とはいえ、家の裏は川でその向こうには森、山が広がる。

引っ越す前に住んでいた都心に比べると

自然との接点がかなり多い環境だ。

 

そんな中、絵描きである妻の作品に変化を感じることがある。

昔から動物をモチーフにすることが多いのだが、

最近書く動物は「可愛すぎない」ように思う。

可愛くも不思議な作風であることは変わらないが、

なんというか、「可愛く書く」というディフォルメが少なくなっているように感じるのだ。

 

自分の音楽作品についても変化があるようで、

以前は映画的と言われることが多かったように思うが、

転居以降は風景、自然を感じると感想をいただくことが増えた。

 

先日、内田樹さんの「武道論」という本を読んでいて、

興味深い文章に出会った。

「人間の発揮することのできる最も大きな力は人間の中に起源を持たない」

 

過去にラベル、伊福部昭の音楽を例に、

環境による作曲への影響について書いたことがありますが、

この内田さんの言葉はそういうことも説明できるかもしれない。

 

外部の力、環境が人の発信、性格に影響を与える。

 

ただ、外部から受け取るものを自分なりの形に変換する力は個々のものだ。

その力を常に整え、磨く努力は続けていかなくてはいけないな。

 

それは受け取ったものへの敬意、感謝でもあると思います。



何事のおわしますかはしらねども

かたじけなさにに涙こぼるる


これは西行法師が伊勢神宮にて謡った歌です。

八百万の神との関係として、あるべき姿のように思います。

この「涙」が作品であれたら素晴らしい。

ちょっとロマンチックすぎるかな。