2024年2月5日月曜日

最初からなのか、どこかで踏み外したのか?

 

今日は腹の立った話のおすそ分けです。

 

まず、この話は私の過失に端を発したものであり、

誰かを責めるべき話ではなく、

私の責任であることは十分に理解しております。

この前提の上にお読みください。

 

 

先週、仕事で関西に出張がありました。

 

以前からこのブログで書いております通り、

私は最寄り駅から車で50分ほどの山の中に住んでおります。

午後一からの打ち合わせに向け、

7時に自宅を車で出発し、8時前に駅到着。

車をコインパーキングに入れて、駅まで歩き、電車に乗ろうとして、

家に財布を忘れてきたことに気づきました。

 

その時点では、

「財布取りに戻ったら打ち合わせに間に合わなくなっちゃうなぁ…」

「先方に連絡して、予定の後ろ倒しをお願いしなきゃなぁ…」

くらいだったのですが、

パーキングに戻って気づきます。

財布(小銭)がないと車をパーキングから出せないのです。

 

車内、手荷物のなかに小銭は一切なく、途方にくれます。

誰かに借りるしかない。

 


まず、ダメ元で駅に行き、駅員さんに相談したのですが、

お金は一切貸せないというルールとのことでお断り。

まぁ、そりゃそうかと思います。

一度貸したら、何かと借りに来る人もいそうですし、

なかには詐欺やいたずらも出てきそうです。

 

駅員さんが申し訳なさそうに言うには、

「交番や警察署に行けば貸してくれるはずです。」とのこと。

確かにそんな話を聞いたことがある。

 

ですが、その駅には交番がない…

歩いて1015分ほどの隣駅まで行く必要がある。

それでも警察署(歩いて3040分くらい)に行くよりは近いので、

隣駅まで走ります。

 

交番についたのですが、鍵が閉まっていて誰もいない。

田舎の駅とはいえ、朝8時ですので一番にぎわう時間帯。

そんな時間に人がいないことに驚きながらも、

ドア脇にある「不在の場合はこちらへ」と書かれた受話器を取ると、

本署のほうにつながる。


電話先に事情を説明、

先方が言うには、勤務交代にて830まで交番には人がいない、

急ぐようでしたら、本署まで来てくださいとのこと。

「本署まで歩いていったら30分以上かかります」というと、

「そうですよね・・じゃあそちらでお待ちください」とのご回答。

「・・わかりました。ここで待ちます。」


 

そして交番前で30分待機。

その間、仕事の相手に遅れる旨をメールしたり、

ダメ元でその駅の駅員さんにも相談するも、やはりNG

寒空の下、勤務交代のお巡りさんを待ちます。

 

845ころ、年配のお巡りさん登場。

お巡りさんに会えれば問題解決と思っていたので、

安堵とともに事情を説明すると、

「無理です。お金は一切貸せません。」と即答。・・・え?!

「そもそもここにお金なんてないから貸せません。」・・・ええ??

 

「こういう時は貸してくださると聞いたんですが・・・」

「いや、それは勘違いですね。(ニヤニヤ)」

「駅員さんにも言われたんですよ。」

「その人も勘違いしてる。(ニヤニヤ)」

こんな問答。

しかも、このお巡りさん、

なぜか鬼の首でも取ったかのような態度。

 

「本署に人にもここで待てって言われたんですよ。」

「そうですか・・・じゃあ、本署に確認してみますね。」

“本署”という言葉で少し態度が変わり、確認してくれることに。

 

交番の中に入り、電話するお巡りさん。

「中に入ってお待ちください」は無し。

一人だけ中に入り、私は外で待ちます。冬ですが。

 

23分後、出てくるとさらに態度が変わり、

「いや~すみません。今から〇〇員のものが来ますので、
その人と話してください。」

正式な名称は忘れましたが、

要するに本署から担当の人間が来て、
その人と手続きすればお金を貸してもらえるらしい。

少し前まで力説していた「貸せない」は間違いだったようですが、

そこへの謝罪は無し。

 

「え、今からまだ待つんですか?」

「すみませんね。お待ちください。」と会話を断ち切って、

またそそくさと交番の中へ。今回も中で待たせようという意思は無いようです。

 

気まずかったのでしょうか。

交番というと普通お巡りさんは見えるところに座っているものですが、

奥の部屋に入っていき、そのまま出てこない。

 

もう腹が立つを超え、情けなくなり、

そのまま交番を離れました。

こちらに向かうという〇〇員には悪いですが。

 

パーキングから出れない件は全く解決しませんが、

こんな人間に頼ってはいけない。

こんな人間に頼ったら人としておしまいだ。

物乞いしてでも自力で何とかすることに決めました。

 

元いた駅に戻る道すがら、

いろいろと方法を再考。

携帯は持っているので、

ペイペイをネット経由でチャージし、
それを現金化する方法がないものかと調べたり、

ペイペイでパーキング決済できないものかと調べたり、

結局どれもいい方法がなく、

近隣でお金を借りれそうな人を改めて考えました。

 

今の土地に引っ越してきて2年弱になりますが、

地元では人付き合いはあるものの、駅の近くではほとんどない。

少なくとも朝一でお金を貸してくれ、とお願いできる関係の人はいない。

 

考えた末、先日内部を見学させていただいたことのある、

駅近くのライブハウスの店長さんに電話しました。

まだそこまでの深い交友関係ではありませんし、

ライブハウスの店長さんに電話する時間としては早すぎて気が引けましたが、

非常識を詫びながら、電話で事情を説明すると、

「それは大変ですね。すぐ行きますよ。」との即答。

ありがたい。

ここまでの経緯もあり、余計に暖かさがしみます。

 

そして、お金をお借りし、車を出すことができました。

自宅に戻り、財布を持ち、出張先には1.5時間遅れとはなりましたが、

無事仕事を済ますことができました。

 

 

 

冒頭で書きました通り、もとはと言えば私の過失です。

誰も責めることなどできません。

ですが、ちょっとこのお巡りさんはひどすぎる。

 

前回の記事で「気遣い」について書きましたが、その対極ですね。

困っている人を助けるべき立場にいながら、

この人に助けられたら人間としておしまいだと思われるって逆にすごいです。

 

どんな想いをもって警官になったんだろ。

最初からこんなかんじだったのか、

どこかで踏み外したのか。


まぁ、どっちでもいいですけどね。

こちらとしては2度と会わないで済むよう、

2度と頼らなくて済むように気を付けるだけです。

 

 

 

 

 

 

2024年1月26日金曜日

かぶり

 

先週、車のエンジンがかからなくなってしまいました。

 

バッテリー上がりかと思って、

ブースターを使ったりしたのですが、

セルは回るけど、エンジンはかからない。

 

先ほど修理屋さんに診てもらい、何とか復帰。

おそらくプラグかぶりだろうとのこと。

初めてのことでしたが、旧車なので、

真冬にはままあり得るトラブルらしい。

 

 

そんなわけで1週間ほど車無しの生活となったのですが、

山暮らしで車が無いというのは結構不便。

 

妻の電動バイクを借りて片道30分かけて灯油を買いに行ったり、

仕事で町に出るにも片道1時間、870円のバスに乗る。

しかもこのバス、1時間に1本あるか無いかといったところでして、

家から町に行くには時刻表に合わせて出発すればいいのですが、

帰りは時間が読めないので、最悪の場合は2時間近く待つ必要がある。

 

我が家のあたりまでは来てくれないが、

途中までのバスはもう少し本数があるので、

それに乗って、途中のバス停まで来て、

そこから日が暮れかけの寒空を1時間ほど歩いて帰ったりしました。

 

そんなわけで不便な1週間でしたが、

まぁ、これはこれで学びもある。

灯油をいかにして節約しようか考えてみたり、

プラグかぶりというトラブルも知ったし、バスに乗ったのも初めて。

1時間歩いて帰るというのも普段は車で通る道を別の視線で見れて面白い。

 

特に改めて学んだのは人の気遣いのありがたさ。

市内の自動車修理屋さんや灯油配達屋さんをWEBで調べ、

いろいろと相談する中、無下に断られることもあり、

世知辛さを感じることもありましたが、

中には親身になって話を聞いてくれる方もいる。

一見さんからの電話なのに。

 

ある自動車修理屋さんは親身になって状況を細かく聞いてくれて、

いろいろとアドバイスをくれたのですが、すぐには車を見ることができず、

その間、代車が出払ってて貸すことができない状況でした。

急いでいたこともあり、「ちょっと他にも当たってみます」とのこちらの言葉に対し、

「困っているところ、力になれずにごめんなさい。」との回答。

なかなか言える言葉じゃないと思います。

 

この言葉で、こちらの自動車修理屋さんにお願いすることに決め、

腹をくくって1週間の車無し生活を決めた次第。

そして、さきほど車を見てもらって、無事復帰できました。

 

気遣いって本当に大事ですね。

困っていない側にとっては何気ない言葉でも、

困っている側には大きく響いたりする。

その言葉に「気遣い」があるか。

それ次第で意味は大きく変わったりするのだと思う。

 

 

被災地に対し、自分ができることは何だろう。

ボランティアや炊き出しに向かうことはできず、

募金をさせていただくにとどまっておりますが、

せめて「気遣い」は持ち続けよう。

 

写真は途中のバス停から家まで1時間歩いているときの風景。

寒くて、心細い風景ですが、

陽が沈みゆく山際がきれいでした。

 

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さて、告知です。


 

久々に都内でのライブです。

2月22日(木)

西荻窪PITBAR

「PEACEMEAL REMAIN DEPARTMENT」

1500円+投げ銭

 


昨年11月、宮ケ瀬でのDAYBREAK企画でご一緒した、

A SOXのボーカル 千葉さんに誘っていただきました。

 

よろしければどうぞお越しくださいませ。

 

 

 

 

 

 

2024年1月15日月曜日

丁寧

 

2024年になり、

気が付いたら「あけましておめでとう」の時期が過ぎてしまいました。

年明け早々から大きな天災や事故の報道が続き、

あまりおめでたい気分ではなくなってしまったというところもあるのですが、

ようやく今年1つ目の記事を書かせていただきます。

 

 

昨年から読譜の勉強を続けており、

いくつかのコントラバス向け譜を読み込み、練習しております。

 

具体的には、クラシックの定番「シマンドル」と、

JAZZの定番「レイブラウンベースメソッド」を練習していますが、

最近はWEB上で見つけた、バッハ「無伴奏チェロ組曲」のコントラバス譜も練習中です。


 

いまさらですが、バッハってすごいですね。

50前のおじさんが何言ってんだというかんじですが・・・)

 

ele-phantをやっていたころ、

少ない音構成でコード感を出すことに苦労し、

山際さん(割礼、血と雫、ソロ)に相談したところ、

バッハを勉強してみたら、とおすすめいただいたことがある。

その時はいくつかの曲を聴いてみるだけにとどまったのですが、

こうして自分で弾いてみると、おっしゃっていたことが改めてわかってくる。

 

チェロという、単音で弾くことが多い楽器むけに作られた組曲なのに、

しっかりとコード感がある。

また、JAZZ、ロック以降のコード概念が生まれる前に作られた曲なので、

使われている音が私の感覚からすると不思議だったりする。

それでいて「異音」とか「外れた音」という感じがしないのも面白い。

 

クラシックのすごい人はこの曲をどうやって弾くのかな、と思い、

適当にYOUTUBEで探し、この動画を見ました。

 

うーむ、凄い。

不勉強でこの方を存じ上げないのですが、

凄い演奏です。


当たり前ですがアコースティック楽器ですので、

コンプ、イコライザー、リバーブなどでのドーピング、味つけは無し。

(レコーディング、編集では若干掛けているかもしれませんが・・・)

それなのにこの表現力。

 

若いころ、クラシックの奏者に対し少しうがった見方をしていました。

「楽譜」という「答え」があるのだから、

凄いのはあくまでも作曲者(バッハ)であって、

演奏者は一定レベル以上ならば誰でも同じなんじゃないか。

そんな低レベルなことを考えていました。

でも、この演奏を見てまったく的外れな考えだったと

改めて思い知りました。

 

「楽譜」は「答え」ではなく、

「譜面に書かれていること以外はせず、その中で最高の演奏をしなさい」という指示書でもある。

決められた型のなかで最大限に自分を表現する。


 この方の演奏は流麗すぎて、軽く弾いているように見えますが、

実は1個1個の音の在り方をしっかり掴んだうえで、

それを最大限に表せるように丁寧に演奏しているように聴こえます。


確実な演奏力を持っていることは大前提でしかなく、

それ以上のものを望むならば、さらに厳しく楽譜と自分に向き合う必要がある。

こうして至ったこの演奏はこの方にしかできないもの。

バッハを素材とした固有の芸術作品だ。



「丁寧に演奏する」

当たり前のようで実は難しいのかもしれません。

どちらかというと勢いで演奏しがちな自分には丁寧さが足りない。

 

 

今年はこれをモットーに稽古していこうかと思います。

 

 

2023年12月28日木曜日

振り返り

 

クリスマスも終わり、いよいよ年の瀬ですね。

 

今年もいろいろなことがありました。

ちょっと振り返ってみます。

 

何と言っても一番の事件は「移住」です。

 

いままでも山に近いところに住んできましたが、

今年の1月にいよいよ山の中へ移住しました。

最寄り駅まで車で4050分、

コンビニも車で30分近くかかる環境。

 

数年前までは中野区鷺宮というところに住んでおり、

コンビニは徒歩10分圏内に4件。

駅までも10分かからない。

新宿ロフトまで早ければ30分くらいでついてしまう環境にいました。

 

そこから考えると、まぁだいぶ深いところまできたもんだと

我ながら不思議な気分になります。

 

極寒で寝れなかったり、信じられないサイズのクモが家に出たり、

近所で熊が出るなど、いくつかのラブリーな事件はあったものの、

大きな問題なく過ごしており、

近所の方々(基本的にご年配)にも仲良くしていただくとともに、

いろいろと学ばせていただく、実り多い1年でした。

 

妻は驚くべき順応を示し、

地元のフラサークルへの参加や学童保育バイトを始めるなど、

どんどん地元の交流を増やし、

その流れで私も年末には地元で演奏をさせていただく機会を得ました。

ありがたい限りです。

 

来年はさらに地元での音楽活動も加速していきます。

地元演奏会への参加、慰問演奏などのほか、

ぼちぼち自主企画なども開催していきたく思っており、

画策を続けております。

 

音楽に関しては、いくつか新しい試みに挑戦しました。

フレットレス化アルコ弾き導入といった

自身の音楽に即効的にかかわる内容のほか、

地力アップ(?)としてダウンピッキングの練習読譜学習なども持続しており、

ダウンについてはなんとかBPM212についていけるかな、といったところまで来ており、

読譜は国語読解に例えると小学生低学年くらいの読譜力はついたかな、といった状況です。

まだまだではありますが、この年齢でも少しずつは上達できることが改めて確認できて、

やりがいを感じています。

 

その他、生活習慣に関する挑戦として砂糖断ちもやってみましたが、

こちらはダメでした・・・

ちょっと気を緩めたらずるずると昔の習慣にもどってしまい、

先日は普通にケーキとドーナツを連続で食べたりしちゃってました・・・

これじゃいかんと、最近また砂糖断ち再開しておりますが、

まぁ、無理ない程度に今後もやっていこうかと思います。

 

もう一つ心掛けていたこととして、

「できるだけ人と会う」というのがありました。

とはいっても、例えばライブハウスや飲み会に頻繁に顔を出すとかではなくて、

じっくりと人に触れる機会を作り、その人を学ぶというかんじ。

決して多くはありませんが、何人かの尊敬できる仲間、先輩と

じっくり話す機会を作ってきました。


人は根底に思想、生きる指針みたいなものを持っているように思います。

それは本を読んで学べる哲学ではなくて、

その人からにじみ出る哲学。

それはじっくりお話しないと見えてこないものです。

 

じっくり人に向かい合って、その人が音楽から何を得て、何を信じているのか

さらには音楽で何をやろうとしているのかを肌で知る。

来年も積極的に人に触れる機会を作っていきたく思います。

 

 

来年はどんな事があるかな、

いや、どんな事をしようかな。

夢想の時くらいは受動ではなく能動で。

 

 

それでは皆様、よいお年をお迎えくださいませ。

 

 

 

 

 

2023年12月11日月曜日

なぐりのコンサート

 

先週末は今年最後のライブでした。

地元飯能市名栗の福祉団体主催によるコンサート。

 

行政センターの大部屋にて地元の方々を招き、

地域福祉の一環でもある無料の音楽会。

出演者も地元の人間ばかりで、

弾き語りやリコーダー演奏、地元神社の獅子舞保存会による笛、

フラ、コーラスなど、

多様で基本的にロックとは縁が遠い出演陣だ。

 

妻の紹介で私にもお声をかけていただき、

出演させていただくこととなった。

演奏時間はセッティング込み15分と短めで、私は2曲を演奏。

 

 

とにかく緊張しました。

 

過去のバンド活動の中では

結構な大人数の前でのライブや、

失敗が許されないライブ録画、ワンマンライブなども経験してきましたが、

それ以上の緊張。

指が震えたのなんて何時以来だろう。

 

地元なのでおかしな失敗はしたくないという思いもありましたし、

機材は小型アンプだけでPAのサポートもない中で、

ちゃんと部屋全体まで鳴らせるのか、といった音響技術面の心配もありました。

それらも緊張の一因ではありましたが、一番大きいのは

普段、あまり音楽を聴いていない(であろう)方々の前での演奏ということかと思います。

 

お集りの皆さんは地元のご年配を中心に150名くらいといったところ。

その中で私の音楽を知るのは妻だけ。

他の方々はひょっとすると「ベース」という楽器もご存じない。

 

普段のライブでは当然のことながら、音楽好きがお客さんとして集まる。

さらには音楽をやっているお客さんも多い。

そういう場とは異なり、

機材、音作り、演奏力、音楽性といった音楽的要素や、

活動歴、趣味などの付随要素はほとんど聴衆に響かない。

 

単純に「演奏」だけで魅せなければいけないのだ。


この環境は春に出演させていただいたお寺でのイベントと同じですが、

その時はお祭り的なイベントでしたので、

受けなきゃ受けないでいいという吹っ切れた思いもありました。

ですが、今回は「音楽会」に集まってくださっているので、

ちょっと趣が違う。 


そんな緊張を抱えながらの演奏となりました。

 


結果、ありがたいことに盛況をいただきながら終えることができました。

あぁよかった。

 

演奏後はいろいろな初対面の皆様からお褒めのご感想をいただく。

なかなかできない経験だ。本当にうれしい。

また、帰宅後、妻が撮ってくれた映像を見ると、

演奏後に拍手とともに、ご年配が「わー」と感嘆を漏らされる声が入っている。

普段のライブでの「ワーッ!」ももちろんうれしいですが、

漏れ出る「わー」に少し泣きそうになる。

大げさですが音楽やっててよかった。

 

冒頭に書きました通り、

今年のライブはこれにて全部終了です。

 

ありがたいことに年明けのライブ予定も2本ほど決まっておりますが、

来年は今回のような地元での活動も加速させていきます。

 

同時に地元の皆さんに地域の一員として認知してもらうとともに、

地域のため、人のために私ができることを模索していきたい。


演奏後にいただいたお言葉で「プロなんですか」というものがありました。

ありがたいお言葉ではありますが、

私としては「楽器が得意なおじさん」で十分であり、

そう自覚している。

 

共同体はそれぞれの得意を持ち寄って構成されるというのが

最初にして理想的な形だと思う。

私が得意な楽器演奏で地域に何らかを添えることができたら素晴らしい。

音楽の力って何なんだろう。そんなことを少し考えていきたい。


写真は演奏後の控室からの風景。

抜けるような冬晴れ。



2023年12月3日日曜日

エンド

 

夏目漱石の小説に「行人」という作品があります。

漱石の作品の中でも哲学的要素が強めでして、

好きな作品です。

 

主人公の兄は哲学、思想の勉強に取りつかれており、

その果てに思想、さらには疑心を伴わなくては何もできなくなってしまっており、

それに苦しみ続けます。

果ては家族すらも信用できなくなってしまい、

楽天的な性格の主人公にその思いが伝わらないことにも苦しみ続けます。

 

そんな兄の印象的な言葉があります。

「自分のしていることが目的(エンド)になっていないことほど苦しいことはない。」

自分のやっていることがどこへ向かっているのか、

すべてに目的、意味を探してしまう。

でも、そこに答えが見いだせない。

 

本来はそんなものは探さなくてもいい。

というかそんな「エンド」なんて存在しないことのほうが多い。

でも、そういうことを考えずに生きることができない。

答えが得られないその苦しみはある種の無間地獄だ。

 

そこまで高尚なものではないのですが、

自分にも同じ傾向があります。

何かと考えすぎてしまい、それに苦しんでしまうのです。

 

音楽に対しても考えすぎてしまう。

手放しで楽しむことができないことがある。

常に意味を求めてしまうのだ。

音楽を作ることにも、学ぶことにも、演奏することにも、

演奏を見ること、聴くことにも。

 

 

昨日(12月2日)、VERITAS CONC75の企画で西横浜エルプエンテでライブでした。

そして、2週間前の11月18日はDAYBREAK企画で

宮ケ瀬湖畔地でのライブ。

 

この2つのライブに出演させていただき、

それを楽しむ中でなんとなく悩みが晴れた気がする。

つきものが落ちたような。

 

2つの企画に共通していた方向性は

「コミュニティの形成」のように思う。

「いい空気」「居心地」を作る。

お金、集客、企画(バンド)のブランド形成とかに主眼はない。

それらは結果論であり、目的ではない。

 

 

そのための場は公共施設(湖畔公園)だったり、

DY度の高いライブハウス(エルプエンテ)だったりする。

演出や音響は必ずしも完璧ではないかもしれないが、

自分たちで会場をつくりあげたり、

会場もコミュニティの一部とするべく協同し、

理想的な空間に仕上げていく。

 

お客様、出演者、誰もが音楽をそれぞれのやり方で楽しむ空間。

そういう場に触れ、

「楽しい」という感想だけで十分であり、

その先にことは考えなくていいのだと実感した次第。


きっと企画者の2バンドに上記のような明確な意図があるわけではないでしょう。

気づいたらそんな企画になっていたのだと思う。


エンドは求めるものではない。

気づいたときに見つけているものなのだろう。

だから、心配はいらない。

歩き続けるだけでいいのだ。


 

まぁ、きっとまたすぐに何かと考えすぎてしまう癖が顔をもたげることでしょう。

性格なので仕方ない。

でも、今はなんかすっきりしてる。

そんな2企画に感謝です。

 



 

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さて、来週は地元コンサートです。

 


今年最後のライブとなります。

町場からは遠いですし、

演奏時間15分と短めではありますが、

よろしければ名栗の紅葉を見にいらしてください。

 

 

2023年11月9日木曜日

ライブ拝聴記 蛯名宇摩さん

 

先週末、隣町の原市場で蛯名宇摩さんのライブをみてきた。

 

蛯名さんは奄美大島のヒッピーコミューンに生まれ、

15歳で和太鼓を学ぶために上京。

たまたま触れた高橋竹山さんの津軽三味線の音色に惹かれてその道に進み、

その後、民謡、尺八、竪琴、蛇味線などを習得するとともに、

各地の民謡を学ぶ。

原発事故を機にそれまで住んでいた福島から岡山に移住し、

現在は岡山を拠点に活動なさっています。

 

ちなみにこんなすごい経歴ながら、

私より年下。

世の中、いろんな人がいるものです。

 

私は以前にこの動画をみて津軽三味線に興味を持ちました。


以降、高橋竹山さんのCDを聴いたり、

一時は習ってみたくて先生を探したりもしたのですが、

その後、コロナ禍となり、その熱も冷めてしまった経緯があります。


三味線、特に津軽三味線にはベース(フレットレスベース)との共通点が多い。

グリスを多用する奏法はミックカーンのようだし、

バチで激しく弾く様子はスラップ奏法のようだ。

また、三味線にはフレットがないので、

確実な音程を確保しながら弾くためにはしっかりと押弦する必要があり、

津軽三味線奏者は左手指の爪が弦の形に削れてしまうそうだ。

その辺もフレットレスベースとの共通点を感じて興味深い。


また、文化面でも、盲人の生活の糧であったという歴史が

デルタブルース、戦前ブルースと共通していて面白い。


そんな思いから、一度ライブで見てみたいと思っていました。

そんな中、地元の喫茶店にて常連さんから

たまたま今回のライブの情報をいただき、

見に行ってきた次第。

 

 

会場は普段はナチュラル食材販売や市場などが開かれる古民家。

ライブは約2時間。

中間に15分の休憩が入り、その間、主催者さんのご準備なさった

ハーブティーやお菓子をいただくという、なんともアットホームな雰囲気。

 

ライブ前半は主に日本各地の民謡を聴かせていただく。

全然なじみがなかったのですが、これが面白い。

同じ南国でも沖縄と奄美では全然雰囲気が違ったり、

京都の部落民謡では少しブルースに近い音使いを感じる。

(解析したわけじゃないので、あくまでも感覚ですが。)

こうした民俗学的な面白さを味わうとともに、

これら民謡の謡い手がどんどん失われて行っているという事実に少し暗然ともする。

 

後半は蛯名さんのオリジナル曲なども交えたセット。

これがまたすごい。

関東大震災時の韓国人虐殺や、原発問題といった社会的な内容を

三味線弾き語りという形で謡い上げる。

このくらいの時点では奏法を勉強しようとか、

民俗学的な興味などは薄れ、

ただただ演奏に引き込まれる。

 

彼女は民謡という年配者になじみのある様式に乗せて

こういった社会問題や目をそらしがちな問題を聴衆に問いかける。

すごくロックでパンクな姿勢だ。

酔っぱらって騒ぐことをパンクだと思っている自称パンクは足元にも及ばない。

そんな蛯名さんの姿勢と突き刺さる謡に涙が出る。

 

 

聴衆は地元のご年配がメインで、

私などは若い部類かと思う。

そんな年配の皆さんはネット、SNSとは離れた生活を送っている。

だからだろうか。すごく純粋に演奏を楽しんでいらっしゃる印象を受けた。

 

曲間の蛯名さんの説明によると、

津軽三味線のルーツは新潟の「ごぜ」にあるらしい。

「ごぜ」は「瞽女」と書き、盲人女性を意味します。

新潟上越地方には盲人女性が寄り合い、三味線、民謡を生業とするコミューンがあり、

それを「ごぜ」と呼んだそうだ。

 

ごぜさんたちは季節ごとに近隣の村々を回り、

演奏を聴かせ、生活の糧を得る。

娯楽の少ない時代、各村々はごぜさんを待ち望み、

ごぜさんが来ると、演奏会場に村中の人が押し掛けたという。

音楽を聴く、見るというのは貴重な行為だったのだ。

 

平成の頭ころに最後のごぜさんが他界し、

ごぜさんの文化はすでに失われてしまっているのですが、

ごぜさんを楽しんでいた昔の人たちは、

きっと今回会場にいらっしゃったご年配のように、

まっすぐに音楽を楽しんでいたのだろう。


音楽というのは本当はこうして楽しむものなのかと思う。

私のように奏法だの、歴史だのと頭でこねくったりしてしまうのは邪道だろう。

 

世の中は変わり、

音楽は近く、安く、軽くなった。

その有難さを享受していますし、楽しんでもいますが、

やっぱり私は遠くても高くても、重い音楽を聴きたいし、

聴くべきだなと感じました。


そんな2時間のライブ。

本当に行ってよかったです。

 

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さて、告知です。

11月のライブはこちらです。


DAYBREAKの秋の名物企画。

いよいよ来週末です。


そして来月はこちら。

ベリコンの忘年会。


そしてこの翌週の12月9日には

地元名栗のクリスマスコンサートに出演させていただきます。

こちらの詳細は後日アップさせていただきます。


よろしくお願いします。