2023年9月29日金曜日

展覧会で思ったこと


 

今月、珍しく2つの展覧会を見てきた。

 

まずは損保美術館で「山下清展」。


素晴らしかったです。

特にお若いころの貼り絵作品が好みでした。

有名な「花火」では感動で涙が出ました。

すごく混んでて、しんどい思いもありましたが、

見に行ってよかった。

 

そして、もう一つは三井美術館で「明治の超絶技巧展」

明治時代の精密工芸品を集めた展示会。


過去にも開催されていた展示会でして、

その時は見に行けなかったものの、

その時の図録をヤフオクで入手して眺めるにつけ、

いつか実物を見たい、と思い続けていました。

 

・・・ですが、実際に展示を見て、

正直なところあまりガーンとくるものには会えなかった。

 

いや、もちろんすごいです。

特にあこがれの安藤緑山氏の作品などは

見ていて釘付けになりました。

 

ですが、大半の作品は

「へぇ。すごいなぁ。」という、

文字にすると何とも不遜な感じになってしまうような感想だった。

比べるものではないですが、山下清展での衝撃、感動は味わえなかった。

 

工芸品ゆえに芸術とは違う、とかいうことではないです。

どんなものでも、人が作ったものは

どこかで芸術に転化するものだと思っていますし、

実際、安藤緑山氏の作品は「芸術」として受け取りました。

ですが、その感じを持っている作品は少なかった。

 

特に今回の展示では明治時代のものばかりではなく、

現代の作家さんの作品も並んでいたのですが、

それらからは明治時代のものたちよりもさらに薄味に感じられました。

(にもかかわらず、芸術であることをアピールするみたいな、
作意についての文字説明がくっついていたりするから
さらに冷める・・・)

 

 

さて、話がすこし変わりますが、

先週末、義理の母の喜寿お祝いにて

妻の実家に行ってきた。

義兄夫婦、姪にも久々に会った。

 

姪は小学校1年生。

家では何か紙があれば夢中で絵を描き続けているらしい。

義兄は過去にBucket-T/PIGMENスプリットのジャケをデザインしてくれた人物で、

妹である私の妻も絵描き。

義兄、妻、姪と絵描きの血が流れているのだろう。

 

そんな姪の絵を見せてもらって驚いた。

ちょっと感動的に素晴らしいのだ。

 

もちろん技巧はつたないのだが、

とにかく熱い。

なんというか「これが描きたい」がほとばしっているのだ。

 

結局こういうことなんだと思う。

「これを表現したい!」をどれだけ作品に込められるか。

それを無意識にやっている山下清さんや姪の作品は

だからこそ心に響くのかもしれない。

 

音楽もきっとそうだろう。

心に届く作品かどうかは

「うまい下手」とはまったく別問題。

 

昔から思っているのですが、

「うまい」よりも「すごい」でありたいものです。

なかなか達することはできないのですが・・・

 

 さて、告知です。

まずは久々のベリコン企画。



そして、その翌週の12月9日には

地元名栗のクリスマスコンサートなるイベントで演奏させていただきます。

こちらはまだフライヤーなどないのですが、

追って上げさせていただきます。


さらに、11月にもう一本予定が入ってきました。

そちらも追って詳細を上げさせていただきます。



 

 

 

2023年9月16日土曜日

052

 

コロナが落ち着き、仕事での出張、宿泊の機会も増えてきた。

 

そんな中、今週頭に久々に名古屋に宿泊となったので、

九狼吽のリキさんと吞んできた。

 

ABNORMALS時代、

いろいろな人と知り合ったり、友達になったりしましたが、

なかでも、不思議とリキさんとは意気投合し、

仲良くしていただいている。

 

いかつい彼と、もやしっ子な私という凸凹なサシ呑みながら、

同じベーシストであり、年齢も近く、音楽趣味も近い。

そしてなにより、私が九狼吽ファンであることもあり、

話題は尽きず、あっという間の呑み会だった。

彼のまじめさや純粋さにすごく刺激をいただきました。

今後、発表されるであろう音源もすごく楽しみ。

 

 

さて、話題が変わりますが、

電車移動が増える中、周りを見渡すと

誰もがスマホをいじっている。

特に通勤の車内となるとスマホいじり率80%超といったかんじだ。

 

そしてそういう中で思うのは

プライバシーマナーみたいなものの希薄化です。

皆さん、あけっぴろげ過ぎませんでしょうか・・・

 

ガラケーの時代はモニター面に

のぞき見防止の偏光シートみたいなものを貼るのが普通でしたが、

スマホでは流行っていない。

スマホはPCの延長的な側面があるからでしょうか。

 

混雑した車内では、見たくなくても周りの人のスマホ画面が目に入る。

他人のプライバシーや趣味が勝手に視界に入ってくる。

メール、ライン、SNS、

萌えアニメ、5ちゃん、ゲームに夢中なおじさん・・

 

マナー云々の前に恥じらいを感じそうなものですが、

今はそういう世の中ではないんだろうな。

オープンにしていい領域みたいなものが

一昔前に比べて大きく拡大しているように思う。

 

結局、こういうのは各人の美意識でやっていくしかないんだろうな。

私はあんまりあけっぴろげなのは粋じゃないと思うので気を付けている。

人は人として、自分はどこまでをマナーと考えるか。


ただ、単純にまぶしかったりチカチカするには目障りなので勘弁してほしい。

 

購読している季刊誌「いいね」にて

スマホ専用車両の導入というアイデアの記事があった。

誌面での主旨はスマホによる

電磁波影響、アレルギー対策としての導入提案でしたが、

面白いアイデアだと思います。

ぜひ導入してもらいたいな。

 

 

さて、告知です。

 

年末、12月に2本のライブ予定が入っています。

 

まずは12月2日

ベリコン企画でエルプエンテ

 VERITAS CONC.75 presents

BORN TO BOOZE Vol.20




ベリコン企画に参加させていただくのは、

コロナ直前のピットバー以来。

昔の記事を見てみたら、2019年の11月でした。

もう4年前か・・・

プエンテもすごく久しぶりだし、本当に楽しみです。

 


そして翌週の12月9日には

地元の名栗でのクリスマスコンサートイベント。

出演は二胡演奏、リコーダー、笹笛、フラダンスなどなど、

かなりのバーリトゥード。

 

こちらはオープンマイク的な乗りで演奏時間は短めですが、

地元の人だけを対象にしているわけではありませんので、

気兼ねなくお越しください。




 

2023年8月9日水曜日

BPM212を超えろ!

 

以前の記事で書きましたが、

誰しも「やってみたいけど後回しになってきたこと」や、

「いつかできるようになりたいけど

手つかずになっているようなこと」はいくつかあるんじゃないでしょうか。

 

私にとって、その中の一つが「読譜」でして、

現在勉強中です。

中年脳みそは物覚えが悪く、

自分にうんざりするばかりですが・・・


 

もう一つ「いつか達成したいこと」に着手しました。

それはダウンピッキングです。

 

ベースでダウンピッキングの名手といえば、

ディーディーラモーン(RAMONES)、松井常松(BOOWY)、

ジェイソンニューステッド(METALLICA)といったところでしょうか。

ですが、私がやりたいのはいわゆる「ベースでのダウンピッキング」ではなく

メタルギターで見られるような、

ブリッジミュートをしながらの高速ダウンピッキングです。

私のベース演奏はギター寄りな弾き方が多いので、

ギタリストのダウンピッキングがやれるようになりたいのだ。

 

メタルギターでダウンと言ったら、

10人中10人がMETALLICAの”MASTER OF PUPPETS”を

思い浮かべるんじゃないでしょうか。

 

この曲でのジェイムズのダウンピッキングは本当に迫力がある。

BPM212あたりのスピードで延々続けるダウンピッキングは、

ある意味、発明的なメタルギター奏法であり、

エポックメイキングな演奏だったのではないかと思います。

 

若いころのジェイムズはライブとなるとさらに加速する。

手元にある1986年のブートを確認してみたところ、

曲中でリズムは揺れるものの、最速でBPM235となっていた。

さすがにスタジオ録音と比べると荒いが、

なんだか、噛みついてくるような演奏だ。

 

最近のライブではさすがに少しピッキングを減らすなどしているようですが、

それはそれで老獪でいい。


プロレスでいうと、がむしゃらなパワーボムでG1初優勝した蝶野も好きだが、

膝が曲がらない状態での小橋と名勝負した蝶野も好きというかんじですね。

 


少し話がずれました。

 

私の目標は、そんな”MASTER OF PUPPETS”のギターパートを

原曲より速くベースで弾けるようになる、というものです。

 

”MASTER OF PUPPETS”の呪縛は私が大学1年生の時にさかのぼります。

 

私は高校時代にギターを初めましたが、

音楽趣味が深まるとともに徐々に低音の魅力にひかれ、

高校卒業のころにはベースへの強いあこがれを持っていました。

 

そして大学に進学し、音楽サークルで同級生のギタリストに出会いました。

今では音楽をやめてしまった彼ですが、

音楽の趣味も近く、意気投合し、いまでも友達です。

彼は当たり前のように”MASTER OF PUPPETS”をダウンのみで弾くことができました。

しかもニヤニヤしながら、原曲よりも早く弾いて見せることもあった。

 

この出会いは私がベースに転向するきっかけの一つにもなりました。

先述の通り、ベースをやってみたいという思いが高まっていたというのが強いですが、

同級生にこんなすごいギタリストがいるなら・・・

なんていう思いもあったわけです。

 

そんな負け犬根性を清算する意味もあって、

いつか”MASTER OF PUPPETS”ダウンピッキングを達成したいと思っていました。

しかもベースで。

 

そんなわけで、練習を重ねています。

日中は暑いので、早朝に練習。

早朝にリズムマシンに合わせて、連続でマスター、マスターな47歳。

なかなかに異様な光景。

 

最初はBPM170でヒイヒイ言っていましたが、

現在はぎりぎり200は行けるかな、といったところ。

今後も練習を続けてまいります。

 

まぁ、自身の音楽でこの技術を使う機会はおそらく無いとは思いますが・・・

 

 

さて、久々に動画を撮ってみました。

ダウンピッキングではなく、通常の自曲の演奏動画です。

ボウイング導入、フレットレスにしてから初の動画となります。

 

1stアルバムに収録した”EARWIG”の現在の状態と、

先日のライブで披露させていただいた

DEATHのカバー(というか曲の一部を大きくアレンジした編曲)の”CRYSTAL MOUNTAIN”の2曲です。





よろしければご覧ください。




 

2023年7月19日水曜日

ナガメ

 

山の中に引っ越してきてから、

小さいながらも庭に畑を作っています。

 

以前、高尾に住んでいた時も

小さな畑をやってはいたのですが、

少しスケールアップし、家庭菜園以上畑以下という感じのサイズでやっています。

 

冬の間に雑草を抜いて、土を耕し、

鹿、猿が多いので、一応柵なんかもつけて、

春前くらいからいくつかの野菜を植えている。

 

夏が近づくにつれて、たくさんのお客さん(虫)がやってくる。

アオムシ、夜盗虫、毛虫、絵描き虫、バッタなどなど。

そしてここ最近、大量に増えてきたのが、

ナガメというカメムシ。

 

菜っ葉を食べることから、ナガメというらしく、

ぱっと見、毒虫かと思わせる、赤と黒のド派手な見た目。

中邑真輔みたいだ。

 

畑を荒らす虫としては結構ポピュラーらしく、

WEB上で「畑を荒らす虫のワースト1」に挙げている方を見かけたくらい厄介な虫。

木酢液やら自家製虫よけ液なども試してみましたが、全然効かない。

私は使いませんが、農薬の類でも効き目があるものは少ないそうです。

 

畑に行くと、大量に見つかる。

交尾中のものも結構いたりして、増える気まんまん。

よっぽどうちの畑は暮らしやすいのでしょう。

一応こちらの存在に気付くと、葉の後ろに隠れようとしたりするのですが、

そのバレバレっぷりもなんか腹立たしい。

 

一般的な対策は「捕まえて圧殺」という

なんともボルトスロワーなもののようなのですが、

殺してしまう、というのはなんか違う気がする。

なので、デコピンで葉っぱから落としたりするのですが、

まぁ、そんなことで減ってくれるはずもなく、増える一方。

大根、小松菜、のらぼう菜、ブロッコリーはどれも丸坊主だ。

 

忌々しさの中で、ふと思う。

 

そもそも、ナガメが大量に沸いた原因は彼らにあるわけではない。

私が畑を作り、昨年まではなかった彼らの好物の野菜を植えたことによる。

私が植えた野菜群がナガメを呼び、増やしたのだ。

いうなれば、私がナガメを増やしたということになる。

 

彼らが異常なのではない。

私が異常を作ったのだ。

そう思ったら、まぁ仕方ないという気持ちになった。

というか私の腹立ちはお門違いだ。

 

自然農的な考え方で行けば、

こうしてナガメと共存しているうちに、

ナガメが増えたように、今度はナガメの天敵がふえていくことで

少しずつ状況は改善されていくだろう。

 

この「少しずつ」は年単位の話なので、

なんとも悠長な話ではあるのですが、

こういう考え方を持つためにやってる畑だったりもする。

学びの機会をくれたナガメに感謝しつつ、気長にやっていきます。




2023年7月11日火曜日

挑戦

 

以前の記事で書きました、エレキベースでの弓弾きの導入、

前回記事で書いたフレットレスベースの導入と、

新しいことへの挑戦を進めており、

そんなわけで今まで以上に熱心に練習を重ねております。

 

なにかを習得するには、完全に下り坂な年齢ではありますが、

練習を重ねていくと少しずつは上達していけるものです。

楽器に限った話ではありませんが、

継続は自分発信でしか続かないので、

今後も楽しみながら継続していきます。

 

 

上記の弓弾き、フレットレスの他、

実はもう一つ、挑戦(勉強)をしているものがあります。

それは読譜です。

 

実は20代の頭くらいに一度読譜を勉強したことがあります。

当時、JAZZやFUSIONに興味を持ち始め、

そっち系のベーシストはたいてい読譜ができることから、

読譜にも興味を持った。

読譜出来たらこんなすごい演奏できたり、曲が書けるのかと

変な幻想を持っていました。

 

また、当時は出先で思いついた曲のアイデアを残す手段がありませんでした。

今でこそスマホにレコーダーやDTMソフトが普通に入っていますので、

出先でも何らかの形でアイデアを残しておけますが、

当時は低機能な携帯電話しかない時代。

なので、携帯で自宅に電話をかけ、

留守番電話にアイデアを残したりとか回りくどいことをしていましたが、

そういう時、楽譜で残せれば便利だな、なんて思い、

読譜勉強に着手した次第。

 

ですが、難しくてすぐに挫折・・・


 

以降、「いつか読めるようになりたい」という思いが心の隅に残っており、

この度、ついに勉強を再開してみた。

 

具体的な勉強法としては、

仕事での電車移動中はスマホアプリでの勉強、

また、自宅ではコントラバスの教則本を弾いてみている。

フレットレスに慣れる練習にもなる。

 

とまぁ偉そうに書いたものの、

まだまだ全然読めない・・・

読めないながらも、先述の話ではないが、

少しずつは上達してくるものです。

このまま続けていって、いつか自分の曲を楽譜に落とし込めるくらいの

読譜能力を目標にしています。

 

 

誰だったか忘れてしまいましたが、海外のスタジオ系ベーシストが、

「楽譜が読めるべきだと思いますか?」との質問に対し

「人は文字を読めるべきだと思いますか?」と返していたのを読んだことがある。

 

楽譜は文字と同様に作者の思いを作者本人が残すことができる。

モーツァルトの描いた世界も、伊福部昭の描いた世界も、

作曲者たちの意志を、書き残されたそのままの形で読むことができるのだ。

演奏者の違い、録音環境、録音時代の違いなどが味をつけてしまう前の、

素の状態の曲がそこにある。

 

これって、本当にすごいことだと思う。

以前、木田元さんの本で、

アリストテレスの思想が翻訳を通じて世界に流通される過程で、

誤訳がそのままに浸透していってしまったという例を読んだことがある。

 

本当は本を読むにも、作者の書いた言語をそのままに読むのが理想的だ。

だが、そのためには各種言語を使えるようにならなければならず、

ちょっと現実的ではない。

どうしても翻訳本を読むしかないが、

それらは言葉の壁で微細なニュアンスが削られ、

翻訳者による意図せぬ色付けがなされている。

 

楽譜にはそれが無い。

世界共通なのだ。

 

楽譜の絶対視には危険もあると思う。

西洋音楽から生まれたフォーマットである楽譜に

落とし込むことのできない音楽もたくさん存在するし、

強引に落とし込むことで、言語ほどではないにしても誤訳もあり得るだろう。

でも、そんなことを考えるのは全然先の話し。

まずは読譜ができるようになってから考えていくことにしょう。

 

 

なんか、勢いでいろんなことに挑戦をしはじめてしまってます。

そういう時期なのかな。よくわからないけど。

 

ちなみにいい機会(?)なので、

読譜のように、やりたい、できるようになりたいと思っていながら、

踏み出せていないことをリストアップしてみた。

 

ちょっと恥ずかしいので、ここには書きませんが、

意外とズラっと出てくるものです。

たまにはリストを見直して、少しずつでも踏み出していこうと思います。

 

  

2023年6月19日月曜日

やってもうた

 

ブログを書こうかと思いつつ、なかなか書けずにおりました。

と言いますのも、実は先々週、コロナに罹って、

まるまる1週間寝込んでおりました。

 

弱毒化したとは言え、やはり普通の風邪とは違い、

一気に高熱になり、猛烈にのどが痛む。

 

熱は4日ほどで引いてくれたのですが、

急激に高熱になったせいか、後遺症的に頭痛が治らなかったり、

寝汗がひどかったりと、完治には結構時間がかかりました。

 

その後、今度は妻が発症。

妻は熱はさほどでもないのですが、喉がかなり痛むらしく、

食事にも難儀するレベル。

おそらく同じウィルスと思われますが、

症状は体調、癖によって微妙に変わるみたいです。

 

コロナも5類になり、

以前のように、マスク無しで長距離出張などもしていますので、

どこでもらったのか、想像もつかないのですが

最近はまた流行っている様子。

皆様もお気をつけくださいませ。

 


さて、表題の「やってもうた」ですが、

コロナのことではありません。

 

実は勢いで愛機のリッケンバッカー4001をフレットレスにしちゃいました。

以前の記事で書きました通り、私は楽器をたくさん所有するのは苦手でして、

ベースは2本しか持っていない。

フレッテッドのリッケンバッカーと、

フレットレスのエピフォンのフライングVのみ。


そんな状況なのに、リッケンバッカーのフレットを引っこ抜いちゃいました。

結果、うちにはフレットレスしかなくなってしまいました。

 

きっかけはコントラバスへの興味でした。

もともと持続音が好きなことも有り、

クラシックでのコントラバスのアルコ奏法にあこがれを持っていました。

また、昨年から井野信義さんのライブを拝見する機会が多く、

そこでもコントラバスの存在感、自由度、幅みたいなものに惹かれていました。

 

とはいえ、コントラバスはサイズ的にも練習時の音量的にも

かなりハードルが高い。

多分今の自家用車だったら運べないし・・・

 

なので、エレキアップライトに挑戦してみようかと、

いろいろと調べてみたのですが、

YOUTUBEなどで確認してみると、大抵のエレキアップライトは

ほとんどフレットレスベースと音色が変わらない。

中にはしっかりとコントラバスの音がするものもあるようなのですが、

それらは30万超えがざらで、「興味がある」レベルで手が出せるものでもない。

 

そんなことを調べたりしている中で、

久々にフレットレスベースを弾いてみようと思い立ち、

上記のフライングVを弾いてみたんですが、これがすごく面白い。

 

フレットレスって、しっかり押弦しないと確実なピッチが得られない。

1音1音、丁寧に向き合い、耳を傾けながら弾く必要がある。

それが今の自分の考え方にマッチしていて、すごく楽しい。

大事なことを思い出させてくれる。

音楽というのは本当はこうして丁寧に紡がなきゃいけないと思う。

 

こうして、コロナから復調するなり、密に練習を繰り返す中で、

フライングVよりも体になじんでいるリッケンバッカーをフレットレスにした方が、

自分を出しやすいんじゃないか。。なんて思い詰めはじめ、

気が付いたらフレットを抜いていました。


 

フレットレスベースとフレッテッドベースでは結構音色が違います。

ジャコのベースの音色を聴いたジョーザビヌルが、

エレキではなくコントラバスによる演奏だと

勘違いしたなんて話を聞いたことがありますが、

やはりフレットレスの音は丸めで低音感が強い。

いままでの私のソロ音楽はむしろ逆の志向が前提になっていまして、

理想としていたのはピッキングした時に「コーン!」と鳴る、

ピアノに近い音像でした。

 

フレットを抜くことで真逆の音になっちゃいました。

ですが、それを補う新しい何かがぼんやり見えてきてるような、無いような・・・

 

うーん、やってもうたかなぁ・・

とにかく練習を続けます。




 

 

 

 

2023年5月8日月曜日

Cスタ

 

GWが終わり、本日から通常営業です。

 

皆様、どんなGWを過ごされましたでしょうか。

 

私はと言いますと、例年同様でして、

どこかに遊びに行くでもなく、

練習、模型、座禅、野良作業、読書・・・

そんなGWでした。

 

 

我が家の辺りは山の中ということもあり、

近隣にキャンプ場や川遊びスポットが多く、
GWは各所から人が集まってくる。

街に比べれば大したことは無いんですが、

普段は人が少ないので、なんだかすごく人が多くなったように感じる。

 

なので、練習のために以前紹介したAスタ、Bスタに行くのが億劫。

もっと近くで練習できないものかと考え、

いいところを開拓しました。



 

こちらのCスタ、

家から30秒くらい。

川沿いのおばあさんの家の庭を抜け、

裏庭から降りた川っぺりです。

 

おばあさんの家と書きましたが、

現在は介護施設に入っていらっしゃり、家は無人。

近くに住んでいる、弟さん(おじいさん)が管理しています。
そのおじいさんに相談し、裏庭に出入りさせていただけるようになったという次第。

代わりにというのでもないですが、
おばあさんの家周辺の草むしりを引き受けさせていただいています。

 

私は自然の中での練習が好きです。

 

自然の中で音楽をやっていると、

まれに不思議な感覚になる。

言葉で説明が難しいのですが、

自覚的な演奏意識がなく、ぼんやりと勝手に手が動く。

月並みな表現ですが、自然に溶け込むというか、

自分が無くなるというか・・

 

この感覚、狙って到達できるものでもなく、

練習を続ける中でふとそんな瞬間が来る。

 

ぼんやりしていても演奏はしっかりしている。

そして、そんな感覚にある自分に気づき、ハッとすると、

いつもの感じに戻ってしまう。

そんな、すごく曖昧で繊細な感覚。

 

でも、これがすごく気持ちよく、

訪れとともに多幸感が満ちる。

 

自覚はできないが、
この瞬間の演奏はきっといいものなのではないかと思う。


そんな演奏が自覚的に、人前での演奏時にも発揮できればいいのにな。